明日を冷凍するスーパーマーケット 第7話「第六章:店長の告白と因果の目録」
壊滅的な被害を受けた「蔵屋」は、一週間の休業期間に入った。業者は「電気系統の異常による火災未遂と棚の老朽化」と診断したが、その言葉を信じている者は誰もいなかった。 冬馬は休業中も、片付けのために店に通った。自分の存在が消えかかるという恐怖体験は、数日経っても体の芯に残っていた。時折、自分の手が透けて見えるのではないかと不安になり、何度も強く握りしめては血が通っていることを確認した。 「如月、少し手伝え」 店長に呼ばれ、冬馬は事務所のさらに奥にある、小さな物置部屋へと入った。そこは埃っぽく、古い伝票や帳簿が山積みになっていた。 「これは、歴代の店長が書き残してきた『因果の目録』だ。君にも知ってお
壊滅的な被害を受けた「蔵屋」は、一週間の休業期間に入った。業者は「電気系統の異常による火災未遂と棚の老朽化」と診断したが、その言葉を信じている者は誰もいなかった。
冬馬は休業中も、片付けのために店に通った。自分の存在が消えかかるという恐怖体験は、数日経っても体の芯に残っていた。時折、自分の手が透けて見えるのではないかと不安になり、何度も強く握りしめては血が通っていることを確認した。
「如月、少し手伝え」
店長に呼ばれ、冬馬は事務所のさらに奥にある、小さな物置部屋へと入った。そこは埃っぽく、古い伝票や帳簿が山積みになっていた。
「これは、歴代の店長が書き残してきた『因果の目録』だ。君にも知っておく権利がある」
店長が差し出したのは、表紙の擦り切れた数冊のノートだった。黒い革張りの表紙は手垢で黒ずみ、角は丸く削れている。何十年もの間、誰かの手から手へと渡されてきた歴史の重みがそこにはあった。
冬馬は震える手でそれを手に取り、ページを捲った。そこには、整然とした筆致で、日付と共に奇妙な記録が延々と並んでいた。
『昭和五十八年 十月十二日 予言:落雷。回避成功。代償:レジ三台焼損。客に怪我なし』
『平成四年 六月五日 予言:交通事故(十字路)。回避成功。代償:精肉コーナー全滅。異臭騒ぎあり』
『平成二十年 二月二十二日 予言:心筋梗塞。回避失敗。代償:なし。本人は安らかに逝去』
冬馬は最後の一行に目を留めた。心臓が跳ねる。
「回避に失敗すれば……代償は発生しないんですか?」
「そうだ。起きてしまうはずの不幸がそのまま起きれば、因果の天秤は動かない。店は無傷で済む。残酷な言い方だが、誰かが死ぬことで、この店という共同体は守られるんだ」
店長は窓の外、寂れた商店街を見つめた。街灯が一つ、瞬きをするように明滅している。
「この街、烏森市はね、地理的に気が溜まりやすい場所なんだよ。昔から災厄の多い土地だった。洪水、火災、原因不明の疫病。それらを防ぐために、古の人々は祠を建て、時には生贄を捧げ、必死に神に祈った。このスーパーマーケット『蔵屋』は、その『祈り』の現代的な形なんだよ。街全体の不幸を、この店という小さな箱の中に閉じ込め、冷凍して保存する。そして、少しずつ溶かして、店の商品の損壊という形で処理していく。ここは、街のゴミ捨て場であり、同時に防波堤でもあるんだ」
店長の声には、長年この「目録」を書き続けてきた者特有の、深い諦念と使命感が混じり合っていた。
「我々店員は、その在庫の番人だ。決して未来を支配する神ではない」
冬馬はノートの最後の方に、見覚えのある名前を見つけた。
『佐藤 健一(夜勤担当)』
店長が言っていた、消えた前任者の名前だ。
彼の記録は、他の誰よりも詳細だった。
『八月一日 予言:子供の溺死。回避成功。代償:エアコン故障』
『八月五日 予言:老人の孤独死。回避成功。代償:照明全滅』
『八月十日 予言:……』
そこからの記述は、文字が激しく乱れていた。
『もう耐えられない。救えば救うほど、僕の輪郭が消えていく。でも、見捨てることはもっと苦しい。明日、僕は……』
記述はそこで途切れていた。
「彼は、最後に誰を救おうとしたんですか?」
「……自分自身だよ」
店長の声は、氷のように冷たかった。
「彼は、自分が消えるという未来を予言で見つけ、それを変えようとした。だが、自分の消滅を回避するための代償は、この店そのものの消滅だった。彼は店を守るために、自分から因果の渦の中に飛び込んだんだ。店を消すのではなく、自分を消すことを選んだんだよ」
冬馬はノートを閉じた。指先が震えていた。
救うことの代償は、常に救う者の身近にある。そして、最も重い代償は、救う者自身が支払わなければならない。
この店は、街を守るための盾であると同時に、善意ある者を飲み込む墓場でもあった。