明日を冷凍するスーパーマーケット

明日を冷凍するスーパーマーケット 第12話「第十一章:静かなる告白と尊厳」

「花村さん。信じられないかもしれませんが、聞いてください。これは、僕がこの店で体験している本当のことなんです」 冬馬は、自分の身に起きていること、冷凍庫の奥にある不思議な棚のこと、そして今夜彼女が買ったあんぱんに貼られていた「期限切れ」のラベルが意味することを、包み隠さず話した。言葉が漏れるたびに、冬馬の胸は締め付けられるような痛みに襲われた。大切な常連客に、死の宣告をする。それは、どんな重労働よりも過酷な仕事だった。 話し終えるまで、花村さんは一度も口を挟まなかった。彼女はただ、冬馬の目を真っ直ぐに見つめ、静かに耳を傾けていた。その瞳は、まるで深い森の湖のように静まり返っていた。 冬馬が最後

「花村さん。信じられないかもしれませんが、聞いてください。これは、僕がこの店で体験している本当のことなんです」
 冬馬は、自分の身に起きていること、冷凍庫の奥にある不思議な棚のこと、そして今夜彼女が買ったあんぱんに貼られていた「期限切れ」のラベルが意味することを、包み隠さず話した。言葉が漏れるたびに、冬馬の胸は締め付けられるような痛みに襲われた。大切な常連客に、死の宣告をする。それは、どんな重労働よりも過酷な仕事だった。
 話し終えるまで、花村さんは一度も口を挟まなかった。彼女はただ、冬馬の目を真っ直ぐに見つめ、静かに耳を傾けていた。その瞳は、まるで深い森の湖のように静まり返っていた。
 冬馬が最後に「明日の二時十五分に、あなたは自宅で……亡くなるかもしれません」と告げた時、彼女は悲鳴を上げることも、顔を背けることもなかった。ただ、ふっと小さく息を吐いただけだった。
「……そうですか。あの子が、知らせてくれたのね。わざわざ私の大好きなあんぱんを使って」
 花村さんは、慈しむような表情で、レジ袋の中のあんぱんを撫でた。
「あの子……って、まさか」
「このお店の冷凍庫よ。実はね、冬馬さん。私も昔、このお店で働いていたことがあるの。もう何十年も前の、まだここが木造の小さな商店だった頃の話だけど」
 冬馬は絶句した。思いもよらない事実に、頭の中が真っ白になる。
「まだこの店ができたばかりの頃、私はあなたと同じように、あの棚の奥にある『未来』を見たわ。そして、自分の夫を救おうとして……大失敗したの。夫は助かったけれど、その代わりに彼は私のことを完全に忘れてしまった。私の存在そのものが、彼の記憶から『代償』として消し去られたのよ」
 彼女は遠い目をして、窓の外の闇を見つめた。そこには、彼女が失った長い年月の断片が浮かんでいるようだった。
「救うことは、その人の本来あるべき運命を奪い、歪めてしまうことでもあるの。私はその時、自分の傲慢さを骨の髄まで知ったわ。愛しているから救いたいという気持ちが、相手の人生を壊してしまうこともあるんだって。だから、私はこの店を辞めたのよ。でもね、あの子……冷凍庫は、ずっと私のことを見守ってくれていたのね。私がいつか、自分の終わりの時を自分で選べるように」
 彼女は冬馬の手に、自分の皺だらけの手を重ねた。その温もりは、冬馬の冷え切った心を溶かしていくようだった。
「冬馬さん、教えてくれてありがとう。あなたが勇気を出して話してくれたこと、本当に嬉しいわ。……でもね、私は逃げたりしないわよ」
「でも、死ぬかもしれないんですよ!? 今すぐ病院へ行けば……」
「病院へ行けば、私は機械に繋がれて、あと数ヶ月生き延びるかもしれない。でも、それは私の望む『明日』ではないの」
 花村さんは、きっぱりと言った。
「私はね、自分の家で、大好きなあんぱんを食べて、静かに眠りにつきたいの。それが私の選ぶ最後よ。……ただ、もし本当に苦しくなったら、その時は自分で電話をかけるわ。それが私の『選択』よ」
 彼女は立ち上がり、背筋を伸ばした。
「冬馬さん。あなたはもう、ヒーローになろうとしなくていいの。あなたは、ただの店員さんでいて。私たちが自分で選べるように、そっと背中を押してくれる、優しい店員さんで」
 花村さんはそう言い残すと、夜の闇の中へと消えていった。
 冬馬は彼女の後ろ姿を見送りながら、涙が溢れてくるのを止められなかった。
 救済とは、命を長らえさせることではない。
 その人がその人らしく生きるための時間を、守り抜くことなのだ。