透明な島の給食当番 第13話「第10章:三層の伏線回収(中編)」
そして、ハルが島を離れる最後の日がやってきた。
そして、ハルが島を離れる最後の日がやってきた。
島はこれまでにないほど深く、鮮やかに透明化した。校舎の壁はもはや存在しないかのように透き通り、教室に座っていると、まるで海の上に浮かんでいるような錯覚に陥る。
クラスメイトたちは、昨日の騒動のせいでどこか気まずそうな表情で席についていた。美央は教壇の前に立ち、静かにクラスを見渡した。
「みんな、昨日はごめんなさい。私の勝手な思い込みで、ハル君を傷つけちゃった。今日は、ハル君の最後の日です。私たちは、彼が話したいことを、ただ静かに聞きたいと思います」
美央の言葉に、クラスの空気がふわりと和らいだ。
ハルが教室に入ってきた。彼は昨日とは違い、真っ直ぐに前を向いていた。僕と目が合うと、彼は小さく頷いた。
給食の時間が始まった。今日の献立は、トミさんが僕のわがままを聞いて作ってくれた「潮成島の特製おにぎり」と「つみれ汁」だ。
僕は給食当番として、一人一人の器につみれ汁を注ぎ、おにぎりを配っていった。
ハルの番が来た。僕は心を込めて、彼におにぎりを手渡した。
「……凪」
ハルが小声で僕を呼んだ。僕は首を振った。
「見てて。今日は、文字なんて出ないから」
僕はハルのおにぎりをじっと見つめた。トミさんの魔法は成功していた。島が透明な日、心を込めて作った料理には、秘密の文字の代わりに、その人の「願い」が光となって宿るのだという。
ハルがおにぎりを一口食べた。その瞬間、彼の周りの空気が、淡い真珠色の光に包まれた。それは文字ではなく、言葉にならない温かな感情の奔流だった。光はハルの身体から染み出すように広がり、透明な教室の隅々まで行き渡っていく。その光に触れたクラスメイトたちは、一様に驚きの表情を浮かべた後、何かに包まれるような安らかな顔になった。それは、島がハルの「感謝」と「覚悟」を光に変えて、みんなに届けている証拠だった。
「……みんな」
ハルが立ち上がった。教室中の視線が彼に集まる。透明な壁の向こう側にある海が、彼の背後でキラキラと輝き、まるで彼を後押ししているように見えた。ハルは一度深呼吸をし、僕の方を見て小さく頷いた。その瞳には、もう迷いはなかった。
「僕は……嘘をついてました。お父さんの仕事の都合じゃなくて、お金がなくなって、夜逃げみたいにしてこの島に来たんだ。都会の友達にはバカにされたし、ここでも本当のことを言ったら、みんなに引かれるんじゃないかって、ずっと怖かった」
ハルの声は、透明な校舎の中に凛と響き渡った。
「でも、この島は僕の嘘を許してくれなかった。凪や美央に秘密を知られた時は、本当に死にたいくらい恥ずかしかった。でも……今は感謝してる。隠し事をしなくていいって、こんなに楽なんだって、初めて知ったから」
ハルは僕の方を見て、微笑んだ。
「凪、ありがとう。僕の『重荷』に気づいてくれて。美央、ありがとう。僕のために怒ってくれて。みんな、ありがとう。僕を友達でいさせてくれて」
ハルの言葉が終わると、教室には沈黙が流れた。だが、それは昨日までの気まずい沈黙ではなかった。透明な水の中に、一滴の澄んだインクを落としたような、清らかな静寂だった。
「……ハル君!」
一人の女子生徒が声を上げた。それをきっかけに、クラスメイトたちが次々とハルに駆け寄った。「また遊びに来いよ!」「手紙書くからね!」「嘘つきなんて思ってないよ!」
ハルはみんなに囲まれ、泣き笑いのような表情でそれに応えていた。
僕は給食室のトミさんの方を見た。トミさんは遠くから、満足そうに頷いていた。島は依然として透明なままだったが、その透明さは、もはや何かを暴くためのものではなく、みんなの心を一つに繋ぐための舞台のように見えた。
給食の時間が終わった後、僕は食器を片付けに給食室へ向かった。トミさんは大きな鍋を洗いながら、僕を迎えてくれた。
「凪君、お疲れ様。いい給食だったね」
「トミさん、ありがとうございました。おにぎりの魔法、凄かったです」
「魔法なんて大層なもんじゃないよ。私はただ、凪君の思いを米粒に込めただけさ。給食当番が『食べてほしい』と願う時、料理は最高の薬になるんだよ」
トミさんは濡れた手をエプロンで拭き、僕の目を見た。
「凪君、君は今日、島の一部になったんだよ。秘密を知るだけでなく、それをどう扱うかを選んだ。それが、この島で生きていくということなんだ。不透明な世界に戻っても、今日の光を忘れないでね」
僕はトミさんの言葉を胸に刻んだ。給食室の透明な窓から見える海は、満ち始めた潮によって、ゆっくりと青さを濃くしていた。