雨を集める宇宙港 第6話「第5章:空からの宣戦布告」
軌道エレベーターの第一支柱。その外壁に取り付けられた整備用ラダーは、普段ならロボットが使用するものだ。人間が登るにはあまりにも細く、そして心許ない。 カナタはハーネスのフックをラダーに掛け、一歩ずつ上を目指した。 高度五百メートル。地上の景色が遠ざかり、宇宙港の全容が視界に収まり始める。数キロメートル四方の要塞のような基部が、今は小さな模型のように見える。 高度千メートル。風が唸りを上げ、カナタの体を壁から引き剥がそうと執拗に揺さぶる。ナノカーボン製のラダーは冷たく、手袋越しでもその凍えるような温度が伝わってきた。一段登るごとに、ハーネスのフックを掛け替える。その単調で命懸けの作業が、永遠に続
軌道エレベーターの第一支柱。その外壁に取り付けられた整備用ラダーは、普段ならロボットが使用するものだ。人間が登るにはあまりにも細く、そして心許ない。
カナタはハーネスのフックをラダーに掛け、一歩ずつ上を目指した。
高度五百メートル。地上の景色が遠ざかり、宇宙港の全容が視界に収まり始める。数キロメートル四方の要塞のような基部が、今は小さな模型のように見える。
高度千メートル。風が唸りを上げ、カナタの体を壁から引き剥がそうと執拗に揺さぶる。ナノカーボン製のラダーは冷たく、手袋越しでもその凍えるような温度が伝わってきた。一段登るごとに、ハーネスのフックを掛け替える。その単調で命懸けの作業が、永遠に続くかのように思えた。
高度二千メートル。酸素が薄くなり、肺が焼けるような痛みを訴え始める。意識が朦朧とし、視界の端にチカチカと光の粒が踊る。カナタは震える手で酸素マスクを装着し、無理やり酸素を肺に流し込んだ。荒い呼吸の音が、ヘルメットの中で反響する。
その時、下の方から空気を切り裂くような鋭い音が響いた。
見下ろすと、公社のロゴが刻印された高速昇降機が、青いプラズマの光を引いてカナタを追うように急上昇してくるのが見えた。
「……しつこいな、本当に」
昇降機の窓から、冷徹な表情のエドワードがこちらを睨みつけているのが見えた。彼は外部拡声器を使い、暴風の唸り声さえも突き抜ける鋭い声で叫んだ。
『カナタ! 無駄な抵抗はやめろ! その膜は公社の莫大な投資によって維持されている資産だ。一介の見習い整備士が触れていい領域ではない。今すぐラダーを降り、投降しろ!』
「資産だって!? あんたたちが勝手に空を囲い込んだだけじゃないか! 空にある水が、いつからあんたたちの私有物になったんだ!」
カナタは怒りに任せて叫び返し、さらに速度を上げた。腕の筋肉が断裂しそうなほどの負荷がかかるが、止まるわけにはいかない。
エドワードの顔から感情が消えた。彼は通信機に向かって、死刑宣告のような冷酷さで命じた。
『昇降機のメンテナンス用アームを展開しろ。あの少年をラダーから排除せよ。生死は問わん』
昇降機の側面から、多関節の巨大な金属アームが蛇のように伸びてくる。アームはカナタの数メートル下にあるラダーの支柱を掴むと、恐ろしい力でそれを引きちぎった。
「うわあああ!」
足場を失い、カナタの体は虚空へと放り出された。親綱一本だけで、高度三千メートルの絶壁に宙吊りになる。下を見れば、雲の切れ間にひび割れた大地が遥か遠くに見える。落ちれば、粉塵になることさえ許されないだろう。
『終わりだ、カナタ。データを渡せば、人道的な配慮として命だけは助けてやる。君の技術は公社にとっても惜しいものだ』
アームがゆっくりと、獲物を追い詰める捕食者のようにカナタの方へ近づいてくる。
だが、カナタの瞳にはまだ光が宿っていた。彼はベルトの工具差しから、整備用の高トルク・インパクトドライバーを引き抜いた。
「人道的……? 地上の人たちを干からびさせてるあんたが、そんな言葉を使うな!」
アームがカナタを掴もうとした瞬間、彼はあえて自分からアームの方へと体を揺らした。そして、アームの関節部分に露出している、高圧油圧ホースの接合部を狙った。
「整備士を、なめるな!」
ドライバーの先端がホースの基部を貫き、高圧の作動油が真っ黒な霧となって噴き出した。圧力を失ったアームは制御を失って激しくのたうち回り、その反動で昇降機自体が大きく揺れ、安全装置が働いて上昇が停止した。
そのわずかな隙を突き、カナタは反動を利用してまだ無事な上方のラダーへと飛び移った。指先が金属の縁を掴み、爪が剥がれるような痛みが走ったが、必死に耐えて上へと這い上がった。
もはや指先の感覚はない。全身の筋肉は悲鳴を上げ、視界は赤く染まっている。
それでも、カナタは止まらなかった。一歩、また一歩。
高度四千メートル。ついに厚い雲の層に突入した。視界は完全に閉ざされ、周囲はただ真っ白な霧と、時折走る紫色の稲妻に支配された静寂の世界となった。雷鳴が腹の底まで響き、大気が電気を帯びて髪の毛が逆立つ。
そしてついに、高度五千メートル。
そこには、空を覆い尽くす巨大な「膜」の基部があった。ナノ繊維が激しく振動し、巨大な生き物の鼓動のような重低音を響かせている。
カナタは、父が教えてくれた緊急バイパスバルブの位置を、記憶の糸を辿って探した。
だが、そこにはすでに先客がいた。
宇宙港の自動防衛ドローンたちが、冷たい赤いセンサーを光らせて、蜘蛛のように壁面に張り付き、カナタを待ち構えていたのだ。ドローンのプロペラが奏でる不快な高音が、カナタの疲弊した神経を逆撫でした。