泣かないロボットの遺言状

泣かないロボットの遺言状 第6話「第五章:失われた声と指輪の鍵」

律は翌日、市役所の地下アーカイブ室に籠もり、澄江の除籍謄本と詳細な死亡診断書を精査した。 予想は的中していた。巽澄江の死亡時刻は、十年前の四月十二日、午後二時十三分。 律は事務所に戻り、慎一郎の未完成論文を何度も読み返した。そこには、法律家としての矜持と、一人の父親としての苦悩が、血を吐くような言葉で綴られていた。 『真実が人を救うとは限らない。時には、法を曲げてでも守らねばならない記憶がある。だが、それは法曹としての自殺である。私は、その裁定を自分で行うことを放棄した。私は、その答えを未来の知性――すなわち、私がいなくなった後の世界に残された者たちに委ねることにした。モモよ、お前が私の審判者

律は翌日、市役所の地下アーカイブ室に籠もり、澄江の除籍謄本と詳細な死亡診断書を精査した。
 予想は的中していた。巽澄江の死亡時刻は、十年前の四月十二日、午後二時十三分。
 律は事務所に戻り、慎一郎の未完成論文を何度も読み返した。そこには、法律家としての矜持と、一人の父親としての苦悩が、血を吐くような言葉で綴られていた。
『真実が人を救うとは限らない。時には、法を曲げてでも守らねばならない記憶がある。だが、それは法曹としての自殺である。私は、その裁定を自分で行うことを放棄した。私は、その答えを未来の知性――すなわち、私がいなくなった後の世界に残された者たちに委ねることにした。モモよ、お前が私の審判者となれ』
 未来の知性。それはAIのことか、それとも後に続く律のような法律家のことか。あるいは、その両方か。
 律はモモの隔離領域を開くための「鍵」を必死に探した。慎一郎が遺した「銀の鍵」と「ドングル」。これらは物理的なアクセス権を得るためのハードウェアでしかない。システムを起動させるための「パスワード」が、もう一つ必要なはずだ。
 律は花の言葉を反芻した。『おじいちゃんは、モモの中に「おばあちゃん」を隠したんだと思う』
 律はモモを事務所のメンテナンス台に乗せ、その首元の物理スイッチをデジタルマイクロスコープで精査した。
 手動上書き禁止スイッチ。そのスライドレールの奥に、肉眼では見えないほど小さな窪みがあるのを見つけた。その形状は、円形ではなく、何かの装飾品を嵌め込むためのような、複雑な多角形をしていた。
「花さん、澄江さんの結婚指輪はどこにありますか?」
 律は震える手で電話をかけた。
『えっ? それは、おじいちゃんがお葬式の時に棺に入れたはずだけど……あ、待って。おじいちゃん、自分の指にもう一つ、似たような指輪をしてた気がする。銀色じゃなくて、もっと古い感じの……プラチナの』
 慎一郎の遺品である宝石箱を確認すると、そこには確かに、シンプルなプラチナのリングが一つだけ残されていた。律はそのリングの内側をルーペで覗いた。そこには『M to S 14:13』という刻印と共に、小さなダイヤの裏側に、モモの窪みと一致する形状の微細な突起があった。
 律は指輪をモモのスイッチの窪みに押し当てた。
 カチリ。
 今まで聞いたことのない、滑らかで重厚な機械音がした。
「隔離領域、第一フェーズ開放。音声認証を開始します。対象:巽澄江。感情解析モード起動」
 モモの口から、今度は慎一郎ではなく、澄江の、驚くほど澄んだ声が流れた。
『慎一郎さん、聞こえる? あなたがこれを聴いているということは、私はもうこの世にはいないのね。そして、あなたはきっと、まだ自分を責め続けている……。健二を救うために、あなたが自分の魂を削ったことを、私は知っているわ』
 応接間に集まった健二と花は、息を呑んでその声に聞き入った。十年の時を超えて届いた、亡き母の慈愛に満ちた声。
『健二の事件のこと、私はすべて知っています。あなたが自分の弁護士資格を賭けて、あの子の未来を守ろうとしたことも。でも、慎一郎さん、嘘で守られた平和は、いつかあの子を内側から壊してしまいます。だから、約束して。健二が、自分の足でこの家に帰ってきた時にだけ、本当のことを話すと。モモ、その時まで、この秘密をあなたの胸にしまっておいて』
「母さん……」
 健二が膝をつき、床に額を押し当てて号泣した。
「慎一郎先生は、捏造をしたんじゃなかった」
 律は静かに、しかし断固とした口調で言った。「先生は、澄江さんの願いを聞いて、モモの中に真実を閉じ込めたんです。健二さんが、いつか自分の罪と向き合い、この家に帰ってくる日を信じて。あの公正証書遺言に『家を処分しろ』と書いたのは、健二さんの借金を返すためじゃない。健二さんが過去の呪縛から自由になり、新しい人生を歩み出すための資金にするためだったんです。でも、モモはそれを拒んだ。モモは、慎一郎先生の『言葉』ではなく、『心』に従ったんです」