泣かないロボットの遺言状

泣かないロボットの遺言状 第5話「第四章:書斎の秘密と捏造の疑惑」

律は再び巽邸を訪れた。今度は花の案内で、慎一郎の書斎のさらに奥にある、小さな納戸を調査するためだ。そこは慎一郎が亡くなる直前まで、家族でさえ立ち入ることを禁じていた、いわば巽家の「禁忌」だった。 「ここ、おじいちゃんが死ぬまでずっと鍵をかけてたの。モモだけが、掃除のために中に入るのを許されてた。おじいちゃん、ここで時々、誰かと話してるみたいだった」 花が指差したのは、重厚なオーク材で作られた古い扉だった。律はモモのドングルを使い、慎一郎が設定した複雑な多重認証パスワードを入力した。 扉が開くと、そこには異様な光景が広がっていた。 壁一面に貼られた、古い銀塩写真の数々。そのすべてに、澄江と、まだ

律は再び巽邸を訪れた。今度は花の案内で、慎一郎の書斎のさらに奥にある、小さな納戸を調査するためだ。そこは慎一郎が亡くなる直前まで、家族でさえ立ち入ることを禁じていた、いわば巽家の「禁忌」だった。
「ここ、おじいちゃんが死ぬまでずっと鍵をかけてたの。モモだけが、掃除のために中に入るのを許されてた。おじいちゃん、ここで時々、誰かと話してるみたいだった」
 花が指差したのは、重厚なオーク材で作られた古い扉だった。律はモモのドングルを使い、慎一郎が設定した複雑な多重認証パスワードを入力した。
 扉が開くと、そこには異様な光景が広がっていた。
 壁一面に貼られた、古い銀塩写真の数々。そのすべてに、澄江と、まだ幼く無邪気な笑顔を浮かべていた頃の健二が写っていた。そして中央の机には、今はもう生産されていない旧式のホログラム投影機が置かれていた。
「これは……」
 律がスイッチを入れると、空中に澄江の姿が鮮やかに浮かび上がった。
『健二、大丈夫よ。お父さんはあんなに厳しく怒っているけど、本当はあなたのことを誰よりも信じてる。だから、自分を責めないで。あなたはまだやり直せるわ』
 それは、十年前の光景だった。投資詐欺の疑いをかけられ、世間から叩かれ、憔悴しきっていた健二を、澄江が必死に励ましている場面だ。
「母さん……」
 いつの間にか背後に立っていた健二が、掠れた声で呟いた。彼の顔から、先ほどまでの攻撃的で傲慢な表情が消え、一人の無力な子供のような脆さが露呈していた。
「健二さん、これを見てください。慎一郎先生はこれを毎日見ていたんです」
「……こんなもの、まだ残っていたのか。親父は、母さんが死んだのは俺のせいだと言って、二度とこの映像を見せてくれなかった。俺から母さんの記憶を奪うことで、俺を罰していたんだと思っていた」
 健二の肩が、激しく震え始めた。
「親父は俺を助けてくれたんじゃない。巽家の名誉を守るために、証拠を捏造したんだ。モモを使ってな! 俺は知ってるんだ。あの時のアリバイ証拠は、親父がモモの記録を書き換えて作らせたものだってことを。俺はあの時、確かに被害者の家に行っていたんだ。俺は……俺は本当に、人を騙して、その罪から逃げたんだよ!」
 律は衝撃を受けた。あの「法の番人」と呼ばれ、正義の体現者だった慎一郎が、証拠の捏造を行ったというのか?
「だから俺は、この家も、このロボットも大嫌いなんだ! ここにあるのは、親父が作った嘘の塗り絵だけだ。母さんは、俺の罪を隠すための犠牲になったんだ!」
 健二は激昂し、投影機を床に叩き落とそうとした。だが、その時、モモが驚くべき速さで動いた。
 モモは健二の手を優しく、しかし鋼鉄のような確実さで制止した。
「健二様、訂正いたします。慎一郎様は、記録の書き換えを行っておりません」
「嘘をつけ! なら、どうして俺のアリバイが成立したんだ。俺はあの時、被害者の元へ金を返しに行こうとしていた。でも、親父はそれを『別の場所にいた』ことにしたんだ!」
「違います。慎一郎様が行ったのは、書き換えではなく、『隔離』です。真実のログを深い階層に隠し、別の――あなたが被害者の元へ向かう前に立ち寄った、公園での休憩ログを強調して表示させるよう、私に命じました。それは法的にはグレーですが、捏造ではありません」
「それが書き換えと同じだろうが! 事実を隠蔽したことに変わりはない!」
「違います」
 モモの光学センサーが、かつてないほど激しく明滅した。
「隔離されたログには、慎一郎様ご自身の『罪の告白』が含まれています。彼は、あなたを救うために法を曲げた自分を、一生許せなかった。それを再生するには、巽家の全員が揃い、かつ――」
 モモの言葉が途切れた。その時、書斎の古時計が、重厚な音で午後二時十三分を告げた。
 モモは急に健二の手を離し、北の窓へと歩み寄った。そして、外にある枯れた桜の木を、祈るような姿勢で見つめ始めた。