夜の交差点にだけ咲く花 第3話「第2章:花の番人」
「それを摘もうと思わないことだ」 背後から響いた低い声に、柚葉は飛び上がった。 振り返ると、工事用の足場の上に一人の青年が座っていた。黒いマウンテンパーカーのフードを深く被り、膝の上には古びた革表紙のノートを広げている。 「誰……?」 「蓮見朔。この庭の『番人』とでも思ってくれ」 青年――朔は軽やかに飛び降りると、柚葉の隣に立った。近くで見ると、彼の瞳は夜の海のように深く、どこか達観したような色を湛えている。 「君が九条柚葉だね。三年前の事故の当事者だ」 「どうして私の名前を……」 「この交差点に咲く花は、土地の記憶を吸い上げる。君がここに来ることは、最初から決まっていたようなものさ」 朔は柚
「それを摘もうと思わないことだ」
背後から響いた低い声に、柚葉は飛び上がった。
振り返ると、工事用の足場の上に一人の青年が座っていた。黒いマウンテンパーカーのフードを深く被り、膝の上には古びた革表紙のノートを広げている。
「誰……?」
「蓮見朔。この庭の『番人』とでも思ってくれ」
青年――朔は軽やかに飛び降りると、柚葉の隣に立った。近くで見ると、彼の瞳は夜の海のように深く、どこか達観したような色を湛えている。
「君が九条柚葉だね。三年前の事故の当事者だ」
「どうして私の名前を……」
「この交差点に咲く花は、土地の記憶を吸い上げる。君がここに来ることは、最初から決まっていたようなものさ」
朔は柚葉が触れた花を指差した。
「それは『メモリア・リリー』。人が死の直前に飲み込んだ言葉が、地中の根を通じて形になったものだ。花に触れればその声が聞こえ、花を摘めばその記憶はこの世から消滅する。摘んだ者は一時的な安らぎを得るが、花は二度と咲かない」
朔は柚葉の視線の先にある、葵の場所の蕾を見つめた。
「姉さんの声を聞きたいんだろう? だが、気をつけろ。未練は毒にもなる」
「毒……?」
「ああ。声を聞くことに依存し、過去を摘み取り続ける連中がいる。彼らは『摘み人』と呼ばれている。彼らにとって、死者の言葉はただの消費財だ」
柚葉は葵の蕾を庇うように一歩前に出た。
「私は摘んだりしない。ただ、お姉ちゃんが何を言おうとしていたのか知りたいだけ」
「なら、育てることだ」
朔はノートから一枚の古い地図を取り出した。それは再開発前の、活気に満ちていた頃の汐留の地図だった。
「この交差点は、ただの道じゃない。かつて多くの感情が交差した、記憶の集積地だ。姉さんの花が咲かないのは、まだ何かが足りないからだろう」
朔の言葉は、冷たい夜風と共に柚葉の心に染み込んでいった。