百年後の市役所

百年後の市役所 第4話「第3章:ミナの正体」

その夜、凪ヶ浦は激しい雨に見舞われていた。窓を叩く雨音は、まるで未来の海が打ち寄せているかのような重苦しさを持っていた。志摩は夜間窓口のデスクで、ミナからの新しい通信を待っていた。 画面が点滅し、文字が現れる。 『志摩さん、私の先祖について調べることができました。彼女の名前は「志摩 渚(しま・なぎさ)」。百年前、この凪ヶ浦で看護師をしていた女性です』 志摩は目を見開いた。「志摩」という名字。それは偶然だろうか。凪ヶ浦には志摩という姓は少なくない。しかし、渚という名には聞き覚えがあった。 彼は夜間警備員の佐伯老人が休憩室で茶を飲んでいるのを思い出し、そこへ向かった。佐伯は七〇歳を越えるベテランで

その夜、凪ヶ浦は激しい雨に見舞われていた。窓を叩く雨音は、まるで未来の海が打ち寄せているかのような重苦しさを持っていた。志摩は夜間窓口のデスクで、ミナからの新しい通信を待っていた。
 画面が点滅し、文字が現れる。
『志摩さん、私の先祖について調べることができました。彼女の名前は「志摩 渚(しま・なぎさ)」。百年前、この凪ヶ浦で看護師をしていた女性です』
 志摩は目を見開いた。「志摩」という名字。それは偶然だろうか。凪ヶ浦には志摩という姓は少なくない。しかし、渚という名には聞き覚えがあった。
 彼は夜間警備員の佐伯老人が休憩室で茶を飲んでいるのを思い出し、そこへ向かった。佐伯は七〇歳を越えるベテランで、この市役所の生き字引のような存在だ。彼の顔には、この街の歴史が刻まれた深い皺があった。
「佐伯さん、昔の戸籍係だった頃、志摩渚という名前を聞いたことはありませんか?」
 佐伯は湯呑みを置き、遠い目をした。
「渚……ああ、あの気の強い看護師さんか。昭和の終わり頃だったかな、この近くの診療所に勤めていたよ。確か、身寄りのない子供たちを私費で助けていて、役所ともよく揉めていた。戸籍のない子供を救うために、書類の書き換えを要求しに来たこともあったな」
「書類の書き換え……?」
「ああ。昔の役所は今よりずっと杜撰で、同時に人間味もあった。渚さんは、法の外側にいる人間を、法の中に無理やり引きずり込もうとしていたんだ。彼女に協力した職員もいたと聞くが、結局は大きな問題になって、記録の多くが破棄されたはずだ」
 志摩は戦慄した。ミナの先祖は、かつてこの場所で制度と戦っていたのだ。そしてその戦いの記録が、今のミナの「不在」に繋がっているのかもしれない。
「佐伯さん、その破棄された記録、どこかに残っていませんか?」
 佐伯は少し黙り込み、それから声を潜めて言った。
「地下の第二倉庫だ。あそこは浸水被害が多くて、誰も近づかない。だが、水に浸かった台帳の成れの果てが、まだ眠っているはずだ。お前さん、あそこに行くつもりか? 幽霊が出るっていう噂だぞ」
「幽霊よりも、消えてしまう未来の方が怖いです」
 志摩は佐伯に礼を言うと、懐中電灯を手に取り、地下のさらに奥深くへと足を進めた。