百年後の市役所 第3話「第2章:制度の壁と臨時職員」
昼間の市役所は、夜の静寂が嘘のような喧騒に包まれていた。 窓口には長蛇の列ができ、職員たちは殺気立っている。志摩もまた、次々と訪れる市民の対応に追われていた。 「志摩君、この書類の不備、確認しておいて」 上司の九条課長代理が、分厚いファイルの束を志摩の机に置いた。九条は四〇代半ばの、隙のない男だ。常に冷静で、規則を何よりも重んじる。彼のネクタイは常に完璧な結び目を保ち、その表情から感情を読み取ることは不可能に近い。 「あの、九条さん。住民基本台帳の遡及的な登録について、伺いたいのですが」 志摩の言葉に、九条は眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。 「遡及的登録? 戦災や災害で記録が失われた場合の特例のこ
昼間の市役所は、夜の静寂が嘘のような喧騒に包まれていた。
窓口には長蛇の列ができ、職員たちは殺気立っている。志摩もまた、次々と訪れる市民の対応に追われていた。
「志摩君、この書類の不備、確認しておいて」
上司の九条課長代理が、分厚いファイルの束を志摩の机に置いた。九条は四〇代半ばの、隙のない男だ。常に冷静で、規則を何よりも重んじる。彼のネクタイは常に完璧な結び目を保ち、その表情から感情を読み取ることは不可能に近い。
「あの、九条さん。住民基本台帳の遡及的な登録について、伺いたいのですが」
志摩の言葉に、九条は眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「遡及的登録? 戦災や災害で記録が失われた場合の特例のことか。それがどうした」
「もし、何らかの理由で戸籍が完全に消失し、それでも本人の存在が明らかな場合……どうすれば救済できるでしょうか」
「志摩君」九条は冷淡に言った。「我々の仕事は、目の前にある法と証拠に基づいて判断することだ。仮定の話で時間を無駄にするな。それより、地下のサーバー室の整理はどうなっている。古いログが溜まっていて、システムの負荷になっているそうだ。臨時職員の君には、そういう地味な仕事こそが相応しい」
九条はそう言い残すと、足早に去っていった。その手には、いつも持ち歩いている年代物のUSBメモリが握られていた。
志摩は九条の言葉に屈辱を感じながらも、昼休みに地下のサーバー室へ向かった。そこは市役所の歴史が積み重なった墓場のような場所だ。ひんやりとした空気が肌を刺し、巨大なサーバーラックが林立する光景は、どこか異世界の遺跡のようだった。
埃の舞う暗がりの中で、志摩は古い端末のログを漁った。そこには、数十年前のシステム構築時の記録が残っていた。
『プロジェクト名:凪ヶ浦タイム・アーカイブ』
開発者の欄には、いくつかの名前が並んでいた。その中に、志摩は自分の父親によく似た名字を見つけ、心臓が跳ねた。彼の父もまた、かつてこの市役所に勤めていたが、彼が幼い頃に急逝していた。
だが、それ以上に彼を驚かせたのは、そのログの最終更新日が「2036年8月26日」――つまり、今日の日付だったことだ。
志摩は、自分の背後に誰かの気配を感じて振り返った。だが、そこには古いサーバーラックが並んでいるだけだった。
彼は確信した。この市役所には、単なる事務手続き以上の「何か」が隠されている。そして、その「何か」が、百年後のミナと自分を繋いでいるのだ。