百年後の市役所 第2話「第1章:未来からの電子メール」
翌晩も、その端末は音を鳴らした。 志摩は、それが単なるプログラムのバグではないことを直感していた。彼は夜間窓口の特権を利用し、その端末と自分の業務用PCを密かにリンクさせた。 画面には、ミナからのメッセージが届いていた。 『聞こえますか? 過去の凪ヶ浦の、窓口の方』 文字は簡潔だが、そこには切実な響きがあった。志摩は震える指でキーボードを叩いた。 『こちら、凪ヶ浦市役所住民課。あなたのメッセージは届いています。これは何の悪戯ですか?』 返信はすぐに来た。 『悪戯ではありません。私たちは、もうすぐ消えてしまうんです。記録からも、記憶からも』 ミナが語る「百年後の凪ヶ浦」は、志摩の知る景色とはかけ
翌晩も、その端末は音を鳴らした。
志摩は、それが単なるプログラムのバグではないことを直感していた。彼は夜間窓口の特権を利用し、その端末と自分の業務用PCを密かにリンクさせた。
画面には、ミナからのメッセージが届いていた。
『聞こえますか? 過去の凪ヶ浦の、窓口の方』
文字は簡潔だが、そこには切実な響きがあった。志摩は震える指でキーボードを叩いた。
『こちら、凪ヶ浦市役所住民課。あなたのメッセージは届いています。これは何の悪戯ですか?』
返信はすぐに来た。
『悪戯ではありません。私たちは、もうすぐ消えてしまうんです。記録からも、記憶からも』
ミナが語る「百年後の凪ヶ浦」は、志摩の知る景色とはかけ離れていた。海面の上昇により、市の半分は水没し、人々は「居住区」と呼ばれる高台の密集地に押し込められている。そして、気候変動による混乱の中で、多くの人々の戸籍データが消失していた。
『戸籍がないと、私たちは人間として扱われません。食料も、薬も、住む場所も与えられない。私は「存在しない」ことにされているんです』
志摩は息を呑んだ。画面に映し出される未来の凪ヶ浦の光景は、灰色に濁った海と、錆びついた鉄骨の群れだった。かつて彼が幼い頃に遊んだ公園も、今は水底にあるという。
『もし、百年前の記録の中に私の名前を刻むことができたら、未来のシステムは私を「再発見」してくれるかもしれない。お願いです、私の申請を受理してください』
志摩はロビーを見渡した。壁に掲げられた「市民憲章」の石碑が目に入る。長年の劣化で一部の文字が欠け、無残な姿を晒している。彼はその石碑を見つめながら、ミナの言葉を反芻した。
存在しないものを、存在させる。それは公務員の仕事ではない。公務員の仕事は、存在するものを正しく管理することだ。
だが、志摩の胸の奥で、何かが疼いた。彼は、自分自身の存在の希薄さを、ミナの境遇に重ね合わせていたのかもしれない。自分もまた、この巨大な社会の中で、いつ消えてもおかしくない「代替可能な部品」なのだ。
彼は、ミナからの申請データの詳細を読み込んだ。彼女の誕生日は二一二六年四月一日。住所は「第4居住区・仮設棟7」。そこには、彼女の親の名前も、出生の記録もなかった。
『ミナさん、どうして僕を選んだんですか?』
『選んだわけではありません。この古いサーバーが、百年後の世界で唯一、過去と繋がっていたからです。ここは、かつて「希望の窓口」と呼ばれていた場所だと聞きました』
希望の窓口。志摩は自嘲気味に笑った。今のここにあるのは、埃と倦怠だけだ。だが、彼は入力を続けた。
『分かりました。何をすればいいか、一緒に考えましょう』