灰色砂漠の病院船 第4話「第三章:母の背中と白い影」
ナディール号の深部は、迷宮のようだった。 船の心臓部であるホバーエンジンの轟音が、床を通じて微かな振動として伝わってくる。ソラは、図書室で見つけたメモの筆跡が気になり、母の執務室へと足を向けていた。リナは現在、ブリッジで次なる砂嵐の回避ルートを協議しているはずだ。 無断で入ることに罪悪感はあったが、ソラの手は勝手にドアの認証パネルに触れていた。幸い、ロックはかかっていなかった。 執務室の中は、リナの性格を反映したかのように整然としていた。机の上には最新の医学雑誌と、いくつかの石英結晶のサンプルが置かれている。ソラは棚の奥にある、年季の入った黒いバインダーに目を留めた。それは公式の航海日誌ではな
ナディール号の深部は、迷宮のようだった。
船の心臓部であるホバーエンジンの轟音が、床を通じて微かな振動として伝わってくる。ソラは、図書室で見つけたメモの筆跡が気になり、母の執務室へと足を向けていた。リナは現在、ブリッジで次なる砂嵐の回避ルートを協議しているはずだ。
無断で入ることに罪悪感はあったが、ソラの手は勝手にドアの認証パネルに触れていた。幸い、ロックはかかっていなかった。
執務室の中は、リナの性格を反映したかのように整然としていた。机の上には最新の医学雑誌と、いくつかの石英結晶のサンプルが置かれている。ソラは棚の奥にある、年季の入った黒いバインダーに目を留めた。それは公式の航海日誌ではなく、個人的な記録のようだった。
ページをめくると、そこにはナディール号が建造された当時の記録が記されていた。
『灰海暦二一二年。石英病の爆発的流行。我々は無力だ。結晶化した記憶を戻す術を持たない。だが、もし他者の記憶をエネルギー転換できるとしたら? それは医療か、それとも魂の略奪か』
筆跡はやはり、先ほどのメモと同じだ。読み進めるうちに、ソラはある事実に突き当たった。リナはこの船の二代目船長であり、初代船長はソラの祖父にあたる人物だったのだ。そして、石英病の「等価交換治療」を確立したのは、リナ自身だった。
「何を調べているの?」
背後からの声に、ソラは心臓が止まるかと思った。
振り返ると、リナがドアの傍らに立っていた。その影が長く伸び、ソラを飲み込もうとしているように見えた。
「リナ先生……これは、その……」
「それは私の個人的な日誌よ。返しなさい」
リナは歩み寄り、ソラの手からバインダーを取り上げた。その際、彼女の手首がわずかに露出し、ソラは目を見開いた。リナの腕には、石英病の末期患者に見られるような、深い傷跡が幾筋も走っていたのだ。
「先生、その傷は……」
「救命士が他人のプライバシーに踏み込みすぎるのは感心しないわね。……エリオの説得はどうなったの?」
リナは話題をすり替えた。ソラは母の冷たい視線に射すくめられ、言葉を飲み込むしかなかった。
「……まだ、拒否されています。でも、彼は大切なものを見つけたんです。それを奪ってまで生きることに、意味を見出せないでいる」
「意味など、後からいくらでも作れるわ」
リナは机の引き出しから、小さなベルベットの箱を取り出した。中には、今まで見たこともないほど透明で、内側から七色に輝く石英結晶が収められていた。
「これは……?」
「私がかつて執刀した、ある患者の結晶よ。あまりに純粋な記憶だったため、脳に戻すことができなかった。……ソラ、あなたは記憶を『美しいもの』だと思っているようだけど、それは間違いよ。記憶は重荷であり、鎖なの。この惑星で生き抜くには、時にはそれを捨てる勇気が必要なのよ」
リナの言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。ソラは、母が何か大きなものを背負い、その重みに耐え続けていることを直感した。