消える方言のラジオ局 第11話「第十章:話し直す勇気」
スタジオを飛び出した真帆と蒼の前に広がっていたのは、もはや物理法則の通じない異界だった。 霧は重く粘り気のある液体のように足元に絡みつき、その中から、かつて消えたはずの言葉たちが、おぞましい幻影となって姿を現していた。 「……あなじ……いさば……」 それらは声を持たない呻きとなって、二人の耳元で囁きかける。言葉の形をした影たちが、真帆たちの行く手を阻もうと手を伸ばす。それらは、忘れ去られたことへの恨みを抱いているかのようだった。 「真帆、気をつけて! こいつら、僕たちの記憶を吸い取ろうとしてる! 触れちゃダメだ!」 蒼が叫び、手に持った古いハンディレコーダーを掲げた。彼がメンテナンスを施したそ
スタジオを飛び出した真帆と蒼の前に広がっていたのは、もはや物理法則の通じない異界だった。
霧は重く粘り気のある液体のように足元に絡みつき、その中から、かつて消えたはずの言葉たちが、おぞましい幻影となって姿を現していた。
「……あなじ……いさば……」
それらは声を持たない呻きとなって、二人の耳元で囁きかける。言葉の形をした影たちが、真帆たちの行く手を阻もうと手を伸ばす。それらは、忘れ去られたことへの恨みを抱いているかのようだった。
「真帆、気をつけて! こいつら、僕たちの記憶を吸い取ろうとしてる! 触れちゃダメだ!」
蒼が叫び、手に持った古いハンディレコーダーを掲げた。彼がメンテナンスを施したその機械は、霧の周波数を打ち消す逆位相の音を放ち、わずかな隙間を作ってくれる。二人はその隙間を縫うようにして、町の中央へと急いだ。
二人は、町の中央にある古い井戸を目指して走った。源三が言っていた、言葉の貯蔵庫。そこが、この現象の心臓部だ。
道すがら、真帆は霧の中に立ち尽くす町の人々を見た。彼らは魂を抜かれたように虚ろな目で空を見上げていた。中には、すでに体の半分が霧に溶け始めている者もいる。
「みんな……待ってて。今、取り戻すから! 私たちの言葉を!」
真帆は、自分の中に渦巻く恐怖を、言葉の力でねじ伏せた。
幻影が襲いかかるたびに、真帆はその言葉を叫んだ。
「『あなじ』は、ただの怖い風じゃない! 冬が来るのを教えてくれる、おばあちゃんが窓を閉める合図なんだ! 私たちの生活の一部なんだ!」
真帆がそう定義した瞬間、影の一つが光となって霧散した。
「『いさば』は、空き地じゃない! お父さんが私を抱っこしてくれた、魚の匂いのする、温かい場所なんだ! みんなが笑って、働いていた場所なんだ!」
言葉に新しい意味を、今の自分の感情を乗せて投げつける。それは、父が試みた「保存」とは正反対の、「更新」という名の戦いだった。過去を懐かしむのではなく、今ここにある意志で世界を塗り替えていく。
ついに二人は、町の広場の地下にある古い石組みの井戸に辿り着いた。井戸の口からは、真っ黒な霧が噴水のように吹き出し、空を覆い尽くしている。その霧は、人々の飲み込んできた言葉たちの澱(おり)のようだった。
その霧の柱の中に、父・航平の本体が囚われていた。彼は苦しげに顔を歪め、町の記憶を支え続けていた。