月食水族館の回遊路

月食水族館の回遊路 第4話「第3章:消えた少女の足跡」

翌日、澪は遥の自宅を訪ねた。 海沿いの古びたアパート。潮風で錆びついた手すりが、歩くたびに頼りなく揺れる。対応した母親の七瀬芳江は、娘が失踪してからというもの、抜け殻のような日々を送っているようだった。部屋の中は整理整頓されているが、どこか生活感が欠如している。まるで、遥がいなくなった瞬間に、その家の時間が止まってしまったかのようだった。 リビングには遥が描いたという絵が何枚も飾られていた。彼女は絵を描くのが好きな、感受性の強い子だったという。 その中の一枚に、澪は目を止めた。 真っ黒な海の中に、巨大な「白い魚」が描かれている。その魚の周りを、小さな女の子と、背の高い男の人が手を繋いで泳いでい

翌日、澪は遥の自宅を訪ねた。
 海沿いの古びたアパート。潮風で錆びついた手すりが、歩くたびに頼りなく揺れる。対応した母親の七瀬芳江は、娘が失踪してからというもの、抜け殻のような日々を送っているようだった。部屋の中は整理整頓されているが、どこか生活感が欠如している。まるで、遥がいなくなった瞬間に、その家の時間が止まってしまったかのようだった。
 リビングには遥が描いたという絵が何枚も飾られていた。彼女は絵を描くのが好きな、感受性の強い子だったという。
 その中の一枚に、澪は目を止めた。
 真っ黒な海の中に、巨大な「白い魚」が描かれている。その魚の周りを、小さな女の子と、背の高い男の人が手を繋いで泳いでいる絵だ。男の人の顔は描かれていないが、そのシルエットは澪の記憶にある父に酷似していた。
「これは、いつ描いたものですか?」
 澪が尋ねると、芳江は力なく答えた。
「失踪する数日前です。最近、変な夢を見ると言っていました。海の中で、優しいおじさんに会うんだって……。そのおじさんは、ずっと待っているんだそうです。誰かが迎えに来てくれるのを。あの子、そのおじさんに会うために、夜中にこっそり家を出たのかもしれません。あの子、夜の水族館のチケットを大事そうに持っていたんです」
 芳江の言葉に、澪の心臓が激しく跳ねた。優しいおじさん。それは、私の父ではないのか。父は死んでなどいないのか。それとも、死んでなお、あそこで誰かを待ち続けているのか。
 遥もまた、数年前に兄を海難事故で亡くしていた。彼女が第零水槽に引き寄せられたのは、単なる偶然ではない。死者への強い未練と、自分だけが生き残ってしまったという罪悪感が、彼女を「回遊路」へと導いたのだ。
「遥ちゃんは、お兄さんのことをずっと気に病んでいたんです。私が、あの子の前で泣いてばかりいたから……。あの子、自分が代わりになればお兄ちゃんが帰ってくると信じていたのかもしれません。私のせいです、私があの子を追い詰めてしまった。私がもっとしっかりしていれば……」
 芳江は顔を覆って泣き崩れた。
 澪はその背中を見つめながら、自分の姿を重ねていた。私も、同じだった。父がいなくなったあの日から、私の時間は止まったままだ。母の悲しみを背負い、父の不在を自分のせいだと思い込んできた。私たちは皆、過去という名の水槽に閉じ込められた影なのだ。
「必ず、遥ちゃんを見つけます」
 澪はそう言い残して、逃げるようにその場を去った。それは、かつての自分に対する誓いのようでもあった。