摩天楼の空中競技者

摩天楼の空中競技者 第4話「第3章」

市の広報ホールは、昼前の光を受けて鈍く光る金属とプラスティックの混じった匂いが充満していた。セピア掛かったネオンの帯が窓外の摩天楼に反射し、ガラスの向こうには巨大な投影スクリーンがぶら下がっている。そこに映し出されたのは、いつもの滑らかな笑顔を作った大気調律局の長と、その隣に立つ白衣姿の技術者たち。そして、大きく配置されたセレスト・エンジニアリングのロゴ。白地に描かれた渦が、まるで風を誘っているかのようだった。

市の広報ホールは、昼前の光を受けて鈍く光る金属とプラスティックの混じった匂いが充満していた。セピア掛かったネオンの帯が窓外の摩天楼に反射し、ガラスの向こうには巨大な投影スクリーンがぶら下がっている。そこに映し出されたのは、いつもの滑らかな笑顔を作った大気調律局の長と、その隣に立つ白衣姿の技術者たち。そして、大きく配置されたセレスト・エンジニアリングのロゴ。白地に描かれた渦が、まるで風を誘っているかのようだった。

「市は、競技の安全確保のためにセレスト・エンジニアリングと共同して、追加の大気調律支援を導入します」局長の声は録音のように整然としていた。下のテロップは慣れたフォントで、冷たく事務的な文言を流す──試験的支援、性能保証、公共の安全。

倉庫の片隅、古い工具箱とオイルの匂いの混じる空間で、マコトはその映像を無造作に見下ろしていた。ローラーのベルトは足元で静かに回り、金属が擦れる軋みが耳に残る。リコが手に持っている小さなデバイスが、彼の脈拍をディスプレイに映していた。表示は淡い橙の波形になって、規則的に上下する。

「表の顔はいい。だが、本当の標的はそこじゃない」センが低く言った。紙の束を何度もめくる指先に、神経質な緊張が滲む。「公共性という言葉は、都合の悪い事実を包むための布だ。監視を増やせば、改竄もしやすくなる。俺たちが狙うべきは『改竄できない証拠』——市民の前に晒せる、生のログだ」

ニコラは片手でタバコを弄び、鼻先で嘲るように笑った。「マコト、お前の復帰戦ってのは、要するに主演の座を一回掠め取るって話か。観衆の拍手で真実が変わるかい?」

マコトは足の指先でローラーを小さく蹴った。風が彼の顔を撫で、体の奥に幼い頃の夢の残滓がゆらりと揺れる。あの夢——風が線になり、夜空に針のように走る。だが今、彼が把握しているのはもっと現実的な交換条件だった。風軌視は観測の力だ。自分の体が動き、風圧に晒されるときだけ、風の残響は線として視える。操作はできない。見たものを自分のローラーテクニックで活かすしかない。それを繰り返せば耳鳴りが強まり、風酔いで数分動けなくなる。ひどければ記憶欠落が起こる——それはリコが何度も繰り返した言葉だった。

「分かってる」彼は短く言った。「今回の目的は一つ。公式戦で確実にログを落とす。センサーはリコの作ったものを腕に付ける。あれで風の線を捕らえる。データはそのまま外に出す。改竄が入る前に、公共の前で走り切って見せる」

リコはマコトの目をじっと見返し、肩越しに小さな金属片をひとつ手に取った。それは以前、彼女の工具箱から見つかった旧式計器の破片だ。刻印は擦れていたが、薄く数字と文字が残っている。彼女はその破片をセンサーの中枢に組み込み、古い機械の感覚を新装置に転写していた。

「これがキャリブレーションになる。旧式のアナログの応答特性が、残留波の検出に向いている。局のデジタルデータは簡単に『修正』される。だけどアナログの痕跡は、物理的に消しにくい。送風の残響が機械の金属疲労に刻む痕跡——それを掴めれば、消される前に証拠に出来るの」リコの声にはいつもの冗談めいた軽さがなかった。彼女はネジを締め、ディスプレイに細い波形を呼び出す。

センはそのディスプレイを見て、唇を引き結んだ。「いい。だが注意しろ。公式にセレストと局が介入するとなれば、競技場は全面的な監視下に入る。リアルタイムのテレメトリは彼らのサーバーを通るだろう。君たちがログを落とすタイミングとルートを慎重に選ばないと、後で『データ破損』と言い逃れされる」

「そこで、公開の舞台が必要なんだ」マコトが言葉を継いだ。「観客と放送がいる前で起きたことは、改竄しにくい。何より、目撃者がたくさんいれば——」

「目撃者が増えれば、同時にターゲットも増える」ニコラが割り込む。「妨害やカメラの角度操作、スタジオ側のフィードの差し替えだってやりやすくなる。だが、お前の風軌視は高速度下でないと機能しない。つまり、お前が観測するにはレースに出るしかない。いい案だが、それだけに危険だ」

外の街路が低く震え、ホログラム広告の光が倉庫の壁を淡く染める。セレストのデモは翌日、競技場で行われる予定だとネットニュースは報じていた。市と企業による「安全支援」のアピール。市議のスピーチ、技術者による実機の実演。公開の舞台は、材料としても好都合だった。

リコは小さなスイッチを押し、センサーのインジケータが緑に点く。画面に細い波形が現れ、リズムは別の音域と同調するように震えた。マコトの耳に、遠くで機器の低い共鳴音が混ざって聞こえた。普段は気がつかないような周波数だが、彼の中で耳鳴りの影が僅かに反応する。

「この周波数、さっきの局のデモで使われると報じられているものと近いわ」リコが囁いた。「セレストがデモで注入するコントロールパルスのスペクトルに似た成分がある。耳鳴りと一致するかもしれない」

マコトは映像の中の局長を見た。彼が言った「安全」の言葉が、どうしても不協和音を生んで聞こえる。彼は自分の体験と結び付けてみた——リーグ戦であの瞬間に感じた小さな渦の残響。あの渦の線は、何かの外部入力の残滓かもしれない。彼の視るものと、機械が吐き出す波形が交差するところに、真実があるのだろうか。

「観測だけだ。覚えとけ」リコは手元の端末を見つめながら言った。「お前は見る。私がそれを固定する。センが情報を守る。ニコラは——」彼女はニコラの方を向き、小さな嘲りを含ませて笑った。「問題が起きたら、フロントラインを割って入る。速さで穴を穿けるのよ」

ニコラは肩を揺らして笑い、だがその笑顔の奥の何かが硬かった。「俺がいる。だが俺だってこの街の力関係より速さを売ってるだけだ。政治の矛先が向けば、楽な道はない。覚悟はしとけよ、マコト」

マコトは頷いた。ローラーの回転音が低くなると、彼の体内で何かがきしむように疼いた。能力を使うと耳鳴りが増し、平衡感覚が揺らぐ。これまでも練習のたびにその境界を試し、何度か数分間動けなくなった夜があった。だが今回は違う。レースは公の舞台であり、彼らは今、消されにくい形で証拠を確保しようとしている。リスクは代償として必ず付いてくるが、代償を薬に変えるのは彼らの仕事だ。

「いつ発表されるんだ、正式な復帰戦は?」センが尋ねると、リコは端末を操作してカレンダーを開いた。「明日の午後。急な組み替えで、〈最後通牒〉って扱いになってる。リーグ側もセレスト側も、宣伝効果を狙ってる。俺たちにとっては——見方によってはチャンス、見方によっては罠ね」

「俺は出る」マコトの声はぶれなかった。「ただし約束する。使いすぎない。リコが止めたらやめる。セン、君はデータのルートを確保してくれ。外部へ一時保管できる物理メディアを持ち込む方法を頼む。ニコラ——お前はコース上で不自然な挙動があったら、即座に知らせろ」

ニコラは小さくうなずいた。「いいだろう。だがこれでお前がヒーローになって戻ってくると思うなよ。世の中は拍手で動くほど単純じゃない」

その夜、倉庫の外には競技場のスポットライトが遠景で白く刺さっていた。街は公式のアナウンスに合わせて、水面に浮かぶように