夢見るカセットの歌手

夢見るカセットの歌手 第25話「第23章」

会場は古い公民館の講堂だった。窓際にはカセットテープの箱が並べられ、ココロが自前のラジカセを飾り付けのように低く据えてある。風が入るたび、線香のような紙の匂いと、磁気テープの微かな金属臭が混ざって鼻腔を撫でた。千尋の街では、こうした匂いが若者たちの会話の中にさりげなく溶け込んでいる。夕方の光がステージの床板に斑点を作り、蓮見奏はゆっくりとマイクの前に立った。

会場は古い公民館の講堂だった。窓際にはカセットテープの箱が並べられ、ココロが自前のラジカセを飾り付けのように低く据えてある。風が入るたび、線香のような紙の匂いと、磁気テープの微かな金属臭が混ざって鼻腔を撫でた。千尋の街では、こうした匂いが若者たちの会話の中にさりげなく溶け込んでいる。夕方の光がステージの床板に斑点を作り、蓮見奏はゆっくりとマイクの前に立った。

「今日は、夢と歌、そして記憶について話します」と蓮見は静かに始めた。彼女の声は研究室での冷静さと、どこか償いの重さを帯びている。テーブルの上には封じ歌の封印記録とされる厚紙の綴りが数部、鍵のかかった透明ケースに収められていた。透明ケースの端に、硝の指擦れ布が小さく丸めて置かれているのが見える。会場のどこかで、小さな子どもが興味深くその縁を指で撫でていた。

蓮見の前置きが終わると、彼女は天音を紹介した。拍手がわずかに湧いたとき、天音は胸の奥に小さな鳥のような緊張を感じながら立ち上がった。声はまだ完全ではない。言葉の組み立てに、幼い欠落がひょっこり顔を出すことがある。しかし今夜は歌うためではなく、自分の経験を語るためにここに立っている。

「私は、誰かの夢に入ることができます」と天音は短く言った。会場が一瞬、息を呑む。硝が前列で肩を少しすくめ、手のひらを組み直す。ココロは入り口で名刺を配りながら、目を細めて天音を見守っている。

天音は続けた。「でも、能力には条件があって、禁止があって、代償があります。テープに吹き込んだ歌の“主題”を忘れると、私は夢から帰れなくなる。誰かの夢に勝手に入ることはしない。自分の夢に入ることもできません。そして、同じ人に同じ歌を連続で使うことは危険です」

話すごとに、彼女の声には経験から染み出した現実感があった。観客の顔が少しずつ柔らかくなる。誰かが小さく「あの子だ」と囁き、先に救われた者の一人が手を挙げた。

舞台袖からそっと出てきたのは、数か月前に天音が助けた若い母親だった。彼女はあの夜の夢の中で、長年離れていた自分の母の声を取り戻していた。母親は、今は目がうるんでいた。

「あなたに顔を見せたくて」と彼女は言い、手を差し出した。天音は一瞬ためらい、そしてその手を取った。実際の触れ合いは、どんな説明よりも伝わるものがある。観客席からは小さな拍手が起きた。

「私が歌ったのは、あなたの悲しみの主題ではなく、あなたが忘れてしまいそうな小さな日常の一節です」と天音は説明した。彼女が話す内容は、能力の危険性を隠すための言い訳でも、自己擁護でもない。単純で、しかし誠実な説明だった。「私の介入は治療ではなく手当てです。深く掘り返すと、残響が生まれる。残響が増えると、夢が現実を侵食する危険がある」

蓮見が資料を映し出すと、会場の後ろのスクリーンに封じ歌の封印記録の複写が現れた。年月日、複数の署名、保管の手順、鍵の管理者の名。硝の指擦れ布の写真もアップにされ、その役割が説明された。蓮見は、研究者としての言葉で制度設計の必要性を語る。「個人の善意に頼るだけでは危険です。少なくとも三人以上の合意と、透明な記録、監査が必要だ」と彼女は述べた。会場には同意を示す軽い頷きが広がった。

そのとき、観客の一人が小声で口を開いた。年配の男性で、古道具屋を長年営んでいるという。彼は会場に来た理由を述べた。「僕は、未登録のカセットを見たことがある」と。ざわりとした波が講堂を走る。未登録カセット——公式に記録されていない、出自不明のテープ。蓮見は眉を寄せ、硝は前に身を乗り出した。

「どこでですか」と蓮見が穏やかに問う。男性は顔をしかめ、声を低くした。「祭の出店の隣の店先で、箱に半ば埋もれてたんだ。ラベルは白くて無記名。テープの端が光っていて、戻らないような気配があった。触らずにそっとしておいたけど、誰かが持っていったようだ」

会場に冷たい空気が流れる。天音の身体に小さな警報が鳴った。未登録カセットは、彼女たちが封じ歌をきちんと管理しようとしている矢先に、まだ別の危険が町のどこかに眠っていることを示している。ココロはすかさずメモを取り、あとでその古道具屋に連絡を取る旨を宣言した。聴衆の中には、囁き合う人々、心配そうに眉を寄せる親、ただ静かに聴き入る学生たちがいた。

講座は質疑応答に移り、しばらくの間は制度や倫理、技術的な問題が飛び交った。有人の夢介入というセンシティブな問題を、街の人々が真剣に議論している光景は、天音にとって慰めでもあった。自分一人の秘密として抱える代償を、コミュニティで受け止め直すような感覚。彼女は硝と目を合わせ、あの夜の窓際で交わした誓いを思い出した。触らない誓い。独断はしないという誓い。

講座が終わるころ、外は深い夜色に染まっていた。人々はそれぞれに小声で感想を交わし、何人かは天音に近づいては短い感謝を告げて去っていった。先ほどの母親は、天音に小さな包みを手渡す。「あなたの歌は、私の中で子どもの笑い声を守ってくれた」と彼女は言い、ほんの少しだけ自分の母の匂いのするハンカチを差し出した。天音はそれを受け取り、胸にしまった。硝は無言で彼女の背を押し、二人は静かに会場を後にした。

帰り道、ココロはカセット文化の未来について、少し口にした。「文化は、忘れることも含めて続くんだよね。忘れることが悪いだけじゃない。忘れることで人は生き延びる。ただ、それを商売にしてしまったり、無責任に扱ったりすると、歪みが出る。今夜はその歪みをみんなで共有できたのが良かったんだと思う」彼女の声はいつもの元気さの裏に、疲れと希望が混ざっていた。

蓮見は車の中で、封じ歌のケースをもう一度手に取り、鍵を確認していた。「正式な記録と公開の仕組みを整えましょう」と彼女は言った。「今回のように市民が見つけた未登録物の通報ルートと、それを安全に保管するための市の協力を求める。科学と倫理の両面から監視をかけることが必要です」硝は運転しながら、黙って頷いた。彼らは言葉よりも行動で合意を示し合っているようだった。

夜が更けて、三人はいつもの蔵に戻った。蔵の中は、昼間の講座の余韻と逆に静寂が濃縮されていた。硝はラジカセの蓋を開け、指先でテープを丁寧に巻き取る。蓮見は会場での配布資料を整理し、ココロはその晩に受け取った古道具屋の連絡先をメモに書き込んでいる。天音は一人、奥の書棚の前で立ち止まった。そこには封じ歌を納めた透明ケースの他に、いつもは見向きもしない棚の隅に一巻のカセットが軽く置かれているのが見えた。

未登録カセットだ。ラベルは色あせていて文字は無く、磁気テープの側面がわずかに光を反射している。天音は倉の中の小さな光を見つめると、胸に複雑な感情が湧き上がった。触らない誓いを守るべきなのか、それとも確認することが責務なのか。誰かが見たという報告が現実ならば、それは町にとって危険の兆候かもしれない。

硝は彼女の隣に寄り、布切れを取り出してカセットの上にそっと置いた。それは彼らがいつか作った約束の象徴だ。指擦れ布は帰還のしるしであり、目に見えるアンカーでもある。天音はその布に小さく触れてから、静かに息を吐いた。

「触らないって言ったよね」と硝は