ビデオ怪獣館の館主 第4話「第3章」
倉庫の扉は重く、蝶番の軋みが夜風に混ざって鳴った。鉄の匂いと古い紙の匂い。そこに差し込む街灯の薄い光は、遠い映画館のスクリーンのそれとは違う――均一ではなく、粒を含んだざらつきがあった。白犬のトモが鼻先で一枚のチラシを押しのけ、埃の層に埋もれた棚の影へと足を踏み入れた。
倉庫の扉は重く、蝶番の軋みが夜風に混ざって鳴った。鉄の匂いと古い紙の匂い。そこに差し込む街灯の薄い光は、遠い映画館のスクリーンのそれとは違う――均一ではなく、粒を含んだざらつきがあった。白犬のトモが鼻先で一枚のチラシを押しのけ、埃の層に埋もれた棚の影へと足を踏み入れた。
「ここだ」風間力が低い声で言った。彼は懐中電灯を手に、倉庫の奥へと続く通路を示した。ポスターの端が炎で焼けたように黒く焦げ、その焦げ紋は商店街で見たものと同じ断片だった。昴は指先で触れられないほどの距離から、それを繰り返し見る。焦げ紋は偶然ではなかった。還写館の印が、確かにここにもあったのだ。
棚にはフィルム缶が無造作に積まれ、そのほとんどに表題や管理番号の札が貼られている。だが一山だけ、他と違う積み方をされた小さな缶群があった。缶の表面には規則的な擦り跡、そして薄く焦げたような刻印――見慣れた焦げ紋が、規則的に並んでいた。春子がすっと缶を取り上げ、指先で刻印をなぞる。彼女の顔に影が差した。
「これは加工されているわ。フレームごとに抜き取りがある。欠落を作るための切り抜きね」春子の声は静かだが確信に満ちていた。「誰かが意図的に"語り"を削ってる。これが還写館のやり方……」
棚の隅、段ボールの底に埋もれていたのは、開封済みの写真アルバムだった。表紙をめくると、運動会の集合写真が入っているはずのページに、ぽっかりと白い空間があった。そこには人影があるべき位置の領域だけが、まるで露出不足のフィルムのように抜け落ちている。こたろうがそのページを見つめ、びくりと肩を震わせた。
「ここ、俺のいるはずの列だ」こたろうの声が小さく震える。「子どもの時、撮ったはずの写真が――見えない。顔も、あだ名も、応援の声も。ここだけが……抜けてる」
昴はこたろうの指差す白い空間に掌を近づけた。触れられないけれど、心のどこかに冷たい風が吹き抜けるような感覚があった。こたろうは彼の幼馴染だ。笑い方の癖も、階段から突き落としたことも、よく食べるおやつのことも知っている。だがその運動会の一瞬だけが欠けている。欠けるというより、そこにあったはずの「語られた時間」が、丸ごと削がれていた。
風間が棚をさらに調べ、埃の中から小さなカセットテープを取り出した。ラベルは剥がれ、書き込みもほとんど消えていた。彼は手慣れた動作でポータブルデッキにそれを差し込み、スイッチを押す。再生ボタンが沈み、針のようなノイズが広がった。
黎明のラジオの声が、かすかに浮かんだ。低く節回しのある、古い放送のイントロ。声は途切れ途切れで、だがその一節に昴の胸がひくりと揺れた。幼い頃に夜中にだけ聞こえた、あの男のラジオの声に似ている。彼は反射的に目を閉じた。声は断片的に、初代館主の残した若い日の記録のように聞こえる。だがその合間に、摩耗したテープのような空白音が挟まり、言葉が欠け落ちる。
「これも還写館のものだ」風間は言う。「倉庫の管理帳にも名前がない。だれかがここで、フィルムと音声を"編集"してた。ナレーションを切り取って、場面を抜いて、物語を変えるために」
春子はフィルム缶を開け、銀色のスプールを慎重に引き出した。フィルムの縁には、微細な焦げ紋が刻まれていた。その模様が、倉庫のポスターや商店街の看板の焦げとはぴたりと合致する。昴の指先が痺れる。焦げ紋は単なる印象ではなかった。フィルムそのもののエッジに刻まれた"設計図"だったのだ。
「これを持ち帰るべきか、焼却するべきか」春子の問いかけに、倉庫の空気が重くなる。破棄すれば還写館の証拠は消える。保管すれば、悪用される危険を抱える。昴は缶をじっと見つめ、手の中で重さを量るように考えた。彼の映写能力のルールが頭をよぎる。フィルムは記憶を消費する。映写は境界を開く。人間を映してはならない。禁止の線を踏めば、灰霧が広がる。
「証拠は必要だ」昴が口を開いた。「だけど持ち帰るなら、安全のために適切に封をして、春子さんが解析する。俺たちが安易に映写して、還写館の作業を再現するような真似はしない。分かってる、代償も増える」
春子は小さくうなずき、缶を布で包んだ。「解析は私がやる。ただし、今夜は何もしない。危険が大きすぎる。持ち帰って、暗室で光を制御しながら調べる。閾値は必ず低く保つ。ランプの出力を絞った状態で、段階的に露光を試す。鍵も必ずかけるわ」
こたろうは黙って写真アルバムを見つめていた。やがて彼は顔を上げ、真剣な目で昴を見た。「あの一枚、俺、はっきり覚えてたはずなんだ。友達の声、砂埃、白い運動靴のきしみ……なのに、そこだけ穴が開いてる。こいつらは、ただ記憶を奪ってるんじゃない。記憶を"切り取って"どこかに仕舞い込んでる。もし還写館がそれを意図してやっているなら――」
言葉はそこで詰まった。胸の奥から、幼い頃に呼ばれた自分のあだ名が、指先からするりと滑り落ちていく感覚が、彼の顔に影を落とす。忘れていくというより、誰かに持って行かれたようなむなしさがある。こたろうは握りしめていた写真の端を、爪の第一関節で押し潰すようにして息を吐いた。
風間はノートを開き、倉庫の配置と収穫した証拠のリストを速記した。「ここを出たら、俺は記事のために写真を撮る。表向きは保存会の倉庫の取材だ。だけどそれだけじゃ済まない。還写館の関係者の名簿、出入りの記録、倉庫の管理帳の複製。情報を集めて、表に出す。人の目が向けば、彼らも動きにくくなる」
昴は倉庫の天井を仰いだ。そこには古い電球が一つ、そこかしこで寿命を迎えかけているようにちらついていた。映写のランプの光とは違う、頼りない光だ。彼は気を引き締めた。還写館のやり方を暴くことは、町を守るために必要だ。しかし、映写の力を用いることなしに行えるのなら、それに越したことはない。だが、空白は手を出しても出さなくても拡がる。彼らが今、どこへ手を打つかで、誰かの記憶がさらに失われるかもしれない。
「フィルムを調べるなら、触手のようなモノに当てないように」春子が低く言った。「欠落の作り方を真似る必要はない。彼らは"物語を削る"訓練をしている。もし我々がそれを再現したら、逆にその欠落がここで外へ出る。フィルムノイズが現実に滲み出す前兆を誘発するかもしれない」
だが、床に散らばった数枚のフィルムストリップを見た昴の手は止まらなかった。小さな破片、半分だけ残されたカット、焼けたエッジ。そこには確かな意図があった。それを無視して証拠を棄てることは、還写館の手中に情報を差し出すことと同義だ。昴は無言で小さな布を取り出し、フィルムの一片を包んだ。彼が選んだのは保存だ。だが胸の奥に冷たく光るものがあった――これは賭けだ。代償を伴う賭けだ。
「俺が持ち帰る」昴は静かに告げた。「春子さん、解析は君に任せる。俺はここに戻って、還写館の表の活動を追う。力は取材を続けて。こたろう――自分の写真は、俺たちができるだけ早く戻す。忘れているものを取り戻せるかは分からない。でも、黙っていられないだろ?」
こたろうは唇を噛み、やがてうなずいた。「……行く。俺も手伝う。記憶がどこへ行ったのか、確かめたい」
三人は収集した証拠を布で包み、缶を