銀河ラジオの少年

銀河ラジオの少年 第17話「第15章」

律子の端末に映っていた小さな写真は、灰色の封筒と角の擦り切れた紙と、控えめに滲む青い丸を淡々と写していた。局の展示ケースの中に静置された未開封の葉書と、遠くの集落から送られてきた新しい葉書──その二つの青が、夜鳴局の空気をわずかに震わせていた。

律子の端末に映っていた小さな写真は、灰色の封筒と角の擦り切れた紙と、控えめに滲む青い丸を淡々と写していた。局の展示ケースの中に静置された未開封の葉書と、遠くの集落から送られてきた新しい葉書──その二つの青が、夜鳴局の空気をわずかに震わせていた。

「来たか」結は低く言って、屋上から戻った手を膝に置いた。手には今日十度目の回路調整で付いた油汚れがまだ残っている。ミミは展示ケースの縁に前足をかけ、封筒を覗き込むように首を傾げた。ロウは地図に指を落として、指先の先に小さな赤丸をつけた。「ここだ。辺縁のさらに外だ。うちが普段回る範囲の外。だが郵便の報告にある『匂いを嗅いで夢を見た』ってのは、俺の見てきたことと似ている。確かに効く紙だ」

律子は端末をしまい、窓の外に広がる街灯を一瞥した。「重要なのは、どう扱うかよ。安易に放送できない。夜電波の縫は、深夜二時の放送で葉書を読み上げることが条件だ。それがないと完全な縫は起きない。だが、この葉書は群読でも何かを呼ぶ可能性がある。Aの染みが触媒なら、個別放送の拡大を抑えた形で反応を引き出せるかもしれない」

結晶の箱は、明かりの下で微かに翳を落とした。彼はゆっくりと頷く。結晶を酷使するほどに夜鳴局は脆くなる。第六話の夜の代償が、誰の胸にもまだ生々しく残っていた。「あの代償は忘れない。だが、群読なら結晶への負荷を分散できる。放送に必要な位相エネルギーを、複数の声で繋げることができれば――」結は言葉を切った。工学的には理屈が通る一方で、未知は残る。

「やるなら慎重に。夜の時間帯でやる。ただし、二時の本放送を使うのは避けよう。通信庁の監視が厳しくなる。ここの結晶の保護が最優先だ」律子の声には冷静な決意があった。「我々はこの葉書を、まずは地域だけで共有する。集落の人々を呼び、そこに手渡すのではなく、彼らの集まりの中で群読をやる。放送は控えめに、局のローカル回線でのみ配る。私は文献で似た事例を見たことがある。群読は共同記憶を補強する。Aの染みがあるなら、それが触媒になって小さな反応は起こるはずだ」

ロウは肩をすくめて笑った。「祭りにしちまおうぜ。遠いところの奴らにとっちゃ、星が戻るってのはでかい話だ。香りがするとか夢を見るとか、そういうのはすでに伝染してる。現地の人間を怒らせず、喜ばせるやり方で手伝うのが一番だ」

夜鳴局は翌晩、駅前の広場を借りて小さな祭りを開いた。律子が事前に連絡を取った遠方の集落の代表は、局の配慮を喜びつつ遠隔で参加する意向を示した。ロウは自分の回収ルートをいくつか調整して人々を誘い、結は携行用の小型結晶保護カバーを作り上げて運び出した。ミミは祭りの案内係として、テーブルの上で葉書の写しを鼻先で軽く押し示していた。

集まったのは、近隣の人々と夜鳴局に縁のある者たち、子どもや老夫婦、そして、救われた家族の使者が一人含まれていた。展示ケースの未開封葉書は今夜は持ち出さず、代わりに遠方からの葉書の写真と、律子が読み下した文字の写しが配られた。紙の匂いを嗅いでみるようにと、律子は参加者に促した。何人かが目を閉じて、ふっと懐かしい表情を浮かべる。ある老女は膝元の子どもの頭を撫でながら、目を潤ませた。小さな効果が、ゆっくりと場を満たした。

「ただし、忘れないで。私たちの仕事は『過去の事実の再確認』だ。未来を指示することはできない。葉書が語るのは既にあった一日であって、それを思い出させることしかできない」律子は胸に手を当てて言った。会場はその言葉に頷く。誰もが禁忌を理解していた。群読であっても、歌うのでもなく、事実を声にする。語られた記憶が彼方の誰かに届くことを願って、参加者は一列に並んで読み始めた。

最初の声は震えた。小学生の女の子の声が、葉書に書かれていた短い文面をそのまま読み上げる。「おばあちゃんと、海辺で見た蛍のこと。夜の砂が冷たくて、手をつないだ……」声は切れ、周りの誰かが息を呑む。次に若い父親が続き、平易な語り口で街の広場で行われた小さな盆踊りの記憶を読み上げる。年配の男性は、戦後すぐに交わした小さな約束の言葉を淡々と復唱した。声はばらばらだが、その一つ一つが「確かな思い出」として場に落ちていく。

局の古い送信機は局内のローカル回線だけに抑えられていた。結の作った保護カバーは結晶の出力を安全な閾内に保ち、律子は能動的にフェードと位相を操作して、複数の声が干渉して結晶に集中しすぎないように統御した。誰もが代償の可能性を忘れてはいなかった。だがAの染みが塗られた葉書の「触媒性」が効いていたのか、全体のエネルギーは思ったよりも穏やかに収束していた。群読は結晶への負荷を分散し、同時に記憶の再確認として有効に働いた。

群読の終わり近く、空の片隅に小さな閃光が走った。子どもたちがそれに気づき、歓声を上げる。最初はただの流星のように見えたが、閃光は瞬く間に形を変え、遠方の集落でいつも灯っていたはずの広場の中央の小さな灯が再び点いたかのように見えた。現場にいた誰もがその方向を向き、古い踊り唄を思い出すように顔を上げた。ロウは拳を握りしめ、結は眉間に皺を寄せたまま機器の表示を確認する。律子の顔がほんの少しだけ崩れて、安堵と驚きの混じった笑みがこぼれた。

「届いた……のかもしれない」誰の声か判らないが、その言葉が会場の隅から漏れた。小さな祭りはいつしか自然発生的な祝祭の様相を帯び、集まった人々は互いに短い抱擁を交わした。年配の女性は目に涙を浮かべながら、胸の奥から取り出した小さな手帳を人目にさらした。「この文面、うちの孫がずっと探してた歌詞と一致するのよ。あの夜、私たちは灯を消して踊った。誰もが疲れていたけど、あの時の笑い声は忘れない。透くんがそれを拾ってくれたんだわ」彼女の声には震えがあった。

だが歓喜の直後に、結晶は短く痙攣するような青白い光を漏らした。結が即座にカバーを絞め、局内の送信を切り替える。表示の針は一瞬赤く振れ、すぐに戻った。律子は冷静に計測値を読み上げた。「消耗はあった。だが計測では*極めて小さな*局所的変動。Aの染みが触媒として働いたおかげで、我々は低エネルギーで効果を引き出せた。完全な縫いではないが、小規模な存在補強ができた。これで局の大規模な損耗は免れた」

ロウは口元をゆがめ、夜風を吸った。「現地の人たちが、さっきの光を祭りの奇跡だって言うなら――それでいい。俺たちは無理して大きな代償を払う必要はない。小さな救いでも、戻るものは戻る」

祭りの熱気が収まると、局には余韻が残った。ミミは広場の片隅で小さく丸くなり、誰かのショールに頭を埋めて眠ってしまった。局員たちは手分けしてデータと参加者の感想を記録し、律子は遠方の集落に短い送信を打つ準備をした。現地の代表からはすぐに返事があり、広場の灯りが戻ったこと、そして数名が夜中に見た夢の証言が入ってきた。夢の内容は細部が異なれど、多くが「誰かと手を繋ぎ、家族の輪に戻る」ことを見ている。Bの夢の断片が、また一つ他者の中に紛れ込んでいく。

だが、どこかに冷たい空気も流れていた。結晶に走った小さな負荷の痕跡は、夜鳴局の寿命を一晩で縮めるものではないが、確実に累積する。律子はそれを忘れ