遺失物課の鑑識員

遺失物課の鑑識員 第7話「第6章」

夜の三番線は、昼間の喧騒を忘れたように静かだった。蛍光灯の冷たい光が長いホームを削ぎ、錆びた柵と剥がれかけた案内表示を白く浮かび上がらせる。旧構内特有の埃の匂いが鼻腔に絡みつき、紬は手袋の裏でそれを押し殺した。背後では凪が懐中電灯を扱いながら、小声で場の確認をしている。葵は端末を抱え、画面の青い光だけが精悍に顔を照らしていた。石神は入り口の影で腕を組み、目を細めていた。鳴海は一歩離れて、古い写真をぎゅっと握っている。

夜の三番線は、昼間の喧騒を忘れたように静かだった。蛍光灯の冷たい光が長いホームを削ぎ、錆びた柵と剥がれかけた案内表示を白く浮かび上がらせる。旧構内特有の埃の匂いが鼻腔に絡みつき、紬は手袋の裏でそれを押し殺した。背後では凪が懐中電灯を扱いながら、小声で場の確認をしている。葵は端末を抱え、画面の青い光だけが精悍に顔を照らしていた。石神は入り口の影で腕を組み、目を細めていた。鳴海は一歩離れて、古い写真をぎゅっと握っている。

「ここに、焦げ切符の山があったという通報です」凪が報告する。彼女の声はいつもの軽さを残していたが、足取りは緊張で固かった。紬も頷き、ポケットから小さな証拠袋を取り出して指示を出す。

「手分けして回収、触れるときは必ず手袋を。焦げ跡は化学反応で壊れやすい。葵、採取手順は任せる」紬の声は冷静だった。だがその心の中には、夜空を切り裂くような期待と不安が混じっていた。焦げ切符。あの紙片。それが前世の断片と繋がるかもしれないという線は、鳴海の視線が落ち着かないほどにはっきりしていた。

彼らは薄暗いサーバルームの前へと進んだ。床には古い紙片と機械部品の破片が散乱し、壁にはかすれた旧駅名プレートの欠片が打ち付けられていた。葵が手袋越しに一枚の切符を拾い上げ、暗がりの中で光を当てると、端に黒い焦げ紋がくっきりと浮かび上がった。紬の胸の奥が、ぎゅっと縮む。

「これです」葵が囁く。端末に映された過去の焦げ痕データと照合すると、確率は高かった。紬は思わず息をのむ。あの日、斉藤の時計から出てきた断片と同じパターン——断片的ではあるが特徴的な炭化の入り方。いつか見た焼け方が、ここにもある。

鳴海がそっと前に出た。彼女の指先は震えていたが、目は何かを決めているように強かった。「これは、私が関わっていた現場の匂いだわ。詳しいことは話せないけれど、彼らが使った消火処理剤の痕跡が残っている。ここで何かが起きたのは確かよ」

紬は鳴海の顔を見返した。彼女の表情には罪の重さと、それを背負おうとする覚悟が交互に現れていた。痣が左手でまた小さく疼くのを感じる。いつものと違う、もっと鋭い違和感だ。再生を行うたびに刺激されるような、痣の反応。それは彼女がこれまで気にしないよう抑えてきた徴候だったが、今は無視できないほど目立っている。

「証拠の収集は続ける。だが——」石神が言葉を切る。「何より重要なのは手順だ。公的な証拠でなければ再生は慎む。私情での判定は絶対に許されない」

紬は一瞬、喉を鳴らした。石神の言うことは正しい。遺失物課の規則は明確だ。再生は持ち主と紬、双方の修復のためにある。裁定や私的結論、利益のために使ってはならない。だが紬の胸には別の声があった。前世の霧のような断片が、ここにある何かと繋がる可能性がある——鳴海の写真の女、焦げ切符、旧構内。もしこれが前世の事故現場に繋がる証拠なら、放っておけない。自分が探してきた、失くしたはずの「最後の瞬間」に近づけるかもしれない。

凪がふと紬の顔を覗きこむ。「どうする、姐さん?」

紬は指先を見つめ、そしてゆっくりと呼吸を整えた。頭の中で石神の言葉と、鳴海の目と、前世を求める渇きがぶつかる。選択は瞬時に形になった。規則を破るという罪を承知の上で、紬は手袋の指先を焦げ切符の縁に当てた。その感触は紙の薄さを越えて、火と煤の熱を冷たく伝えてきた。

「私情で判定になるかもしれません」紬の声は小さかったが、四人の耳には届いた。「でも、この一枚が、前世に繋がるなら——私は、行きます」

葵が喉の奥で小さく息を吐く。端末の画面に代償管理ウィンドウが表示される。葵はデータを見つめながら、淡々と事実を告げた。「紬さん、今回の行為は私情による判定の条件に当たります。代償が発生します。量は予測不能ですが――」

「やる」紬は遮った。決めると、彼女の手は迷いなく切符を握りしめた。心のどこかで、これが最後の私情的な選択かもしれないと、薄く覚悟した。

鳴海が額に手を当て、かすれた声で囁く。「気をつけて。代償は思っている以上に直球よ」

紬は左手の腕時計を取り出した。薄い金属の文字盤に、黒い秒針が冷静に回っている。彼女は秒針の進みを追いながら、自分の中のルールをもう一度繰り返した。触れること、30秒以内に再生を開始すること。30秒が過ぎれば断片は不可逆的に消える。紬の指先は切符の繊維に吸い込まれるように吸い付いた。

秒針が一回、二回と刻む。紬は目を閉じた。頭の中にあるのは、やはり石神の声ではなく、失った家族の顔でもなく、ただただ「知りたい」という衝動だけだ。三、四、五。胸の奥が締めつけられる。ここで手を離すことはできない。もう、引き返せない。

そして、文字通りの時間が来た。紬はゆっくりと切符の断片に意識を沈め、「再生」を開始した。

映像は、一瞬のうちに空気を押し広げるほど濃密だった。嗅ぎ慣れた埃の匂いが変わり、熱と油の匂いが混じる。視界の端に列車の光が走り、誰かの手が焦げた切符を握っている。手の先には古い名札があり、そのデザインが鳴海の写真の傍らに写っていた徽章と一致した。声がする。低く、でも確信に満ちた男の声。切符の持ち主らしいその人は、プラットフォームで誰かと笑い、そして誰かに向かって「忘れないよ」と囁いた。

紬はその瞬間、前世の匂いを感じた。炎の匂いではなく、切符に残された暖かさ。誰かの手のぬくもり。だが再生は一度きりだ。映像は鋭く、切迫していた。列車のブレーキの音、遠くで倒れる金属の音。誰かが叫ぶ。視界の中心に一人の女性がいる。写真の中の顔が、今まさに動いている。紬の心は叫んだ。これだ——

だが、再生の終盤で、紬の胸の中から何かが音を立てて崩れ落ちた。ふっと、急激に寒くなる。頭の奥で、さっきまで確かにあったはずの一つの光景が、音もなく消え去る。紬は息を止めた。目の前の映像がぼやけ、手袋の中の感触が遠ざかった。

「紬さん!」葵の声が耳に届く。だが声は遠い。紬は自分が何かを探していることに気づく。手がどこを触れていたか、凪が言った言葉の調子、昨夜自分が抱いていた温かさ——それらがどこかへ落ちてしまった。記憶の断片が、穴になっていた。

「何が――」紬は喉を鳴らす。言葉がうまく出ない。胸の中にぽっかりと空いた穴があって、そこに風が吹き込むように冷たい。

葵の端末が即座に反応し、画面に赤い数値が浮かぶ。彼女は顔を硬くしてデータを読み上げた。「認知断片欠損、直近感情結びつき領域一件喪失。推定代償レベル――高。失われた記憶はエピソード記憶の一つで、外部からの再生による回収は不可能です」

紬の胸の中で、たった今までそこにあった温度が消えた。どうしても取り戻したい、凪との夜のささやかな約束が消えたのだという直感が、遅れて押し寄せる。凪は慌てて紬の脇へ来て、両手で紬の肩を掴む。

「姐さん、今のって、何見たの!? 無理すんなよ、なんで勝手に……」凪の言葉は必死で、痛みで震えている。だが紬はその言葉の端にあるはずの、過去に二人で交わした約束のぬくもりがまるで覚えられない。

石神が怒気を帯びた声で割り込む。「ならなぜやった。規則は何のためにある。私情で――」

「私情で判定し