異世界転生星図師の皇帝 第11話「第10章」
夕暮れが砂の波の縁に溶けていく頃、レンは土ぼこりの中で小さな金属板を磨いていた。薄い板は月の光を受けてすぐに鈍く光る。向こうでは数人が粗末な骨組みを立て、皮を張る音が低く鳴る。レンが今、何をしたいかははっきりしていた。星図を一人で描き続けるのではなく、誰もが夜道を刻めるようにする簡易のプラネタリウムを作り、歩いた跡を保存する方法を教えることだ。
夕暮れが砂の波の縁に溶けていく頃、レンは土ぼこりの中で小さな金属板を磨いていた。薄い板は月の光を受けてすぐに鈍く光る。向こうでは数人が粗末な骨組みを立て、皮を張る音が低く鳴る。レンが今、何をしたいかははっきりしていた。星図を一人で描き続けるのではなく、誰もが夜道を刻めるようにする簡易のプラネタリウムを作り、歩いた跡を保存する方法を教えることだ。
「レン、釘が足りない。こっちに来てくれ」声はサバ族の女将、サーラのものだった。彼女は自ら率先して動く。レンは膝を押して立ち、皮の縁に手を置きながら振り返る。そこにいる顔ぶれはばらばらだ。若い羊飼いのハジー、壊れかけの長柄杖を頼りにする老女ミリ、鋭い目をした鍛冶師のハカル。皆、それぞれ自分の理由でここにいる──守る対象は明確だった。今夜は、星門の危険地帯を避けて通る「回廊」を共有するための最初の試みだ。回廊を作るためには、多くの足が必要だ。レン一人の足ではもう限界が来ていた。
「囲いはやめてほしい」ミリが、小さな声で言った。砂かぶりの口元をぐっと結んでいる。周囲に一瞬の静けさが流れた。囲い──土地を線で囲んで安全を確保するという発想は、今まで何度も提案されてきた。囲めば狼や盗賊を防げると考える人が多い。だがレンはその言葉を聞くと胸が針で刺されるように痛む。囲った星は消える。自分の故郷の記憶が薄れるという代償が、まだ鮮烈に残っているからだ。
「囲いは、星を閉じ込める。僕にはできない」レンは淡々と言った。声には一抹の疲労が混ざるが、同時に譲れぬ線の強さがあった。ハカルが眉をひそめる。遊牧の安定を望む者は多い。安定は命に直結する。だが囲いの話が現れるたび、レンの視界には消えた庭先の輪郭や、母親の笑い声が遠くなる感覚が甦る。彼はこうした代償を、共同体の前でわざわざ見せるつもりはなかった。だが今は違う。秘密で抱え込むのではなく、原理を見せて、皆で回避する方法を作るべきだと決めていた。
「どうやって、君一人の足よりも多くの道を描くんだ?」ハジーが問い詰めるように訊いた。若者の目には焦りがあり、同時に期待も宿っている。レンは掌に握った金属板を示した。小さな円形の板だ。磨かれた面にほのかな凹凸があり、それを覗くと薄い星の光が集まるように見える。
「星砂を使う」レンは説明を始めた。言葉は簡単だが、その中身を伝えるのは作業とそして夜の実験が必要だ。「夜、実際にここを歩く人たちが、砂の上に足跡を残す。砂は星の微粒を含んでいる。それを集めると、夜に歩いたラインが微かに輝く。私がその輝きを見て、星図に安全な帰り道として記せる。肝心なのは、道が誰かの実際の夜行であること。描き写しでも、想像でもない。足が刻んだものだけが、星図と一致する」
集まった者たちの顔に、初めて小さな灯りがともった。ハカルが腕組みをして息を吐く。「それで、どうやって記録するんだ? 砂をかき集めるだけで星が並ぶのか」
レンは小さく笑って肩をすくめた。「簡単なプラネタリウムを作る。ドームを作って、そこに砂を撒く。夜に歩いた砂は、星のように寄り集まって線を成す。光は微かだが、板の上に指でなぞると増幅する。私はその輝きを辿って線にする。だが繰り返すけど、囲いは絶対に描かない。封じ込めは星を消す。見える線を無理に閉じてしまうと、星はそこで消え、僕はまた、何かを失う」
準備は夜が落ちる前に急いで進められた。皮の屋根は張り終えられ、中央に月灯りを受けるように簡易の高台が設けられる。子どもたちが軽やかに小さな器を運ぶ。器は全て、夜に砂を集めるためのものだ。レンは集まった人々に役割を割り振ったが、それは命令ではなく提案だった。誰がどの区間を歩くか、誰が砂を採取してくるかは、それぞれが自分で決めた。鍛冶師のハカルは道具作りに回り、サーラはリレーの段取りと食事を整える。ミリは子どもたちに夜道の歩き方を教えることを自ら買って出た。皆、自分の担当を選んだ。レンはその自主性を確かめると、胸の奥に温かなものを感じた。
夜になった。満天とまではいかないが、砂漠の空は明瞭に暗かった。北の空には一つ、かつての北極星が見えなかった。レンはそれを見上げ、胸がぎゅっとなる。だが今夜はそれ以上に、地上の動きが重要だ。各自が指定された区間を歩く。彼らは黙って足を運ぶ。羊飼いは羊の群れとともに、夜道に残る細い踏み跡を選んで歩く。ミリは杖で砂を払わず、掠れた音を立てながら進む。ハカルは重い鉄靴で深い蹴り跡を刻む。足跡はそれぞれの歩き方、速度、体重の個性を残す。
歩き終えた者が戻ると、レンは指示して砂を採取させた。集めた砂は小さな器に入れられ、皮袋で慎重に運ばれる。星砂はごくわずかに青白く光を帯びている。器に盛られた砂は、昼間の平凡な砂にしか見えないが、灯りを落とすとやはりほの暗く光る。
「ここからが難しい」レンはドームの中央で言った。皆が息を詰める。彼は金属板を取り出し、砂を弱い火で温めるようにしてから薄い布の上にまんべんなく撒いた。布の上で砂はじっとしている。レンは布の端を手で押さえ、ゆっくりと指先で砂を撫でる。微かな光が寄り集まり、筋となる。筋は、昨夜に歩かれた道の如く、曲がりくねって現れる。最初の筋は短かった。次にハカルの採取した器を振ると、線が伸びた。別々の器の砂を少しずつ混ぜると、線が交差して複雑な網目を作る。
「見えるか?」レンは渾身の力で声を上げる。薄暗いドームの中で、砂の線が星座のように繋がり、やがて一つの回廊が浮かぶ。人々の喚声が押し殺される。目の前に、確かな帰路が現れたのだ。レンの能力は、ここで初めて単に一人の足跡から拡張していた。多数の歩行者がつなぐことで、かつては到底描けなかった長大な回廊が生まれた。
だが、そこで誰かが無意識のうちにしてしまった動作が問題を引き起こした。サーラが、砂のやり取りの混乱の中で、ふと古い習慣の名残りとして、布の上の線を小さな円で囲ったのだ。囲いはごく小さかった──安堵の意味で、中心に自分たちのテントを囲むように。サーラはにっこりして安心を示した。だが布の上の星砂の光は、かすかな揺らぎを見せた。次の瞬間、囲まれた部分の星の輝きがゆっくりと暗くなっていく。
レンはそれを見て、身体の中で何かが裂けるのを感じた。布から指を離す寸前、頭の中にあるはずの風景が溶ける。昔、兄と走り回った小さな土の溝。母の指で縫われた上着の縁取りの色。どれもが、指先から砂のようにこぼれ落ちる。視界の端で、消えたはずの北の空がさらに遠ざかるような錯覚に襲われ、レンは膝をついた。
「レン!」誰かの声が近づいた。ハカルがふとんを差し出す。レンはそれを受け取り、深く息を吐く。痛みはだ。――だがそれはただ肉体的なものではない。記憶の消失はまるで冷たい刃が心を擦るようで、一瞬でいくつかの色が抜け落ちた。レンは自分の名前や、ここにいる人々の顔を忘れることはなかったが、自分がかつて見た庭の匂いや、朝食の匂いの記憶が薄くなっていることを確かに感じた。
「囲いを作った?」レンは問いただすように、低い声で言った。サーラは顔をみるみる曇らせ、首を振る。「ごめんなさい。つい……癖で。囲うつもりはなかった。小さな安心のつもりで……