異世界転生薬湯師の軍師

異世界転生薬湯師の軍師 第12話「第11章」

湯気が厚く下がった朝だった。湯場の木戸を押し開けると、体の芯まで飽いた匂いと、乾いた布の擦れる音の間に、人の声が混ざっていた。ナツは肩に掛けた濡れた手ぬぐいを軽く振り、湯船の縁に置いた薬箱を確認する。並んだ小瓶には、連盟で取り決めた「開示用」の薬草が混ぜられている。参加を望む者は、自分の手で一片を湯に落とす。その香りから一つだけ、休めない理由を読み取る。読み取る側の原則と代償は、彼女自身が公表した――誤読はなし、複数得られない、強制は不能。だがその日の空気はいつもより針のように細かった。

湯気が厚く下がった朝だった。湯場の木戸を押し開けると、体の芯まで飽いた匂いと、乾いた布の擦れる音の間に、人の声が混ざっていた。ナツは肩に掛けた濡れた手ぬぐいを軽く振り、湯船の縁に置いた薬箱を確認する。並んだ小瓶には、連盟で取り決めた「開示用」の薬草が混ぜられている。参加を望む者は、自分の手で一片を湯に落とす。その香りから一つだけ、休めない理由を読み取る。読み取る側の原則と代償は、彼女自身が公表した――誤読はなし、複数得られない、強制は不能。だがその日の空気はいつもより針のように細かった。

「ナツ、準備はいいか?」とマユが声をかける。村の代表としてここまでの自治を担ってきた彼女は、湯場の玄関に立ち、記録を取るための錫の盤を抱えている。そこにリーが入ってきた。連盟と志を同じくする下士官で、制服の肩章を外していたが、軍の規律感はやはり残っている。リーは視線を客席に滑らせ、窓の外に立つ数名の巡察兵の影を確かめた。

「監視は増えたね」とリーが呟く。「あの連中、記録係まで連れてきてる。将軍の目が――」

「見られてもいい。ただ、見られた相手が何を語るかを、我々の言葉にしておかないと」とナツは応える。手にした小瓶の蓋を回し、湯の表面に指先でちょんと触れさせる。開示の儀式は簡素だ。香りを壊さぬよう慎重に、だが観客のいる前でやることが意味を持つ。透明性は盾だ。隠すほど、監視は口実を与える。

最初に名乗りを上げたのは、腕に薄い包帯を巻いた若い兵士だった。彼は前線から戻ったばかりで、目の周りに濁った疲労が張り付いている。上官の命令で戻されるとき、湯場に寄ることを頑なに拒んだのだが、ナツとマユの説得でここまで来た。

彼は手を震わせながら、小さな葉を一枚つまむ。葉は、連盟が皆で栽培した薬草の一種で、落とせば香りがぱっと立ち上がる。リーが物陰から視線を逸らし、巡察兵の一人がメモを取り始める。

「いいかね。お前が自分で落としたものだ。強制じゃない。読みたいと思うなら落としてくれ」

兵は頷き、小声で「私は……」と呟いてから葉を湯に揺らした。香りが立つ。ナツは目を閉じ、呼吸を合わせる。辺りの音が遠ざかり、湯底の泡がゆっくり膨らむだけになる。

「理由は『家に残した妹の顔を忘れると思う』だ」と彼女は言った。声は静かだがはっきりとしている。発せられた言葉は兵のものではない。彼の言葉を借りて、彼を置いた背景を映す鏡にすぎない。会場に静寂が訪れ、だがただの同情では終わらない。

「記録してくれ、マユ。名前は匿名でいい」とナツが指示する。マユは錫の盤に穏やかな筆跡で印をつける。リーは腕組みをし、巡察兵は小さなため息を漏らした。

その時、湯場の外にいた一人の将校が足を踏み入れた。膝丈まで届く黒革のブーツの泥が湯場の縁に音を立てる。彼の目は冷たく、儀式を見下ろすようだ。

「こんなことに時間を割く余裕があるのか」と将校は言った。声に怒りはない。秩序を重んじる者の嫌悪だ。「兵は戦場で役立つかどうかだ。甘やかすのは敗北を招く」

ナツは湯の端で、ぶら下がった番傘を撫でるように触りながら、答える。「甘やかすのではありません。彼らが戻る前に、帰る先を守るための声を拾っている。それを持ったまま戦うことと、ないまま戦わせること、どちらが合理的かは――記録が示します」

将校は肩を動かし、冷笑を浮かべた。そこで巡察兵の一人が思い切って口を挟んだ。「将校殿、この場の記録はもう軍にも送られてます。指揮もご覧になったはずだ」

将校の表情が一瞬変わり、続けて硬い声で言った。「そうか。それならこれ以上の妨害は許さん。湯場は停滞の温床だ」

彼の護衛が前に出ようとした刹那、湯場の一角で小さな騒ぎが起きた。別の若い兵が、吐き気を抑えながら怒鳴り声を上げた。彼の額には汗が滲み、震える手は誰かの腕を掴んでいた。

「俺は戻るべきだ! ここで休むなんて俺は許されない! 兄貴の墓前に顔を向けられなくなる!」と彼は叫んだ。将校はそれを聞き、「そうか。それなら皆のためにも、まずは身体を落ち着かせろ」と言って、乱暴にその兵の袖を掴み、湯橋の方へ引き寄せた。

ナツの心臓が跳ねた。強制が起きようとしている――そして彼女はこの場で、強制は許されないと知っている。もしこの場で彼が勝手にでも「休ませたくない者」を無理やり沈められたら、湯は冷える。彼女はその代償を何度も見てきた。冷えた瞬間、体の奥の火が消え、夜の悪夢が彼女を打つ。悪夢は、眠りの中で何度も同じ戦場を彷徨わせる。しかもその苦しみは彼女だけではないことを彼女は知っている。湯は共同体の記憶でもあった。

ナツは両手を上げ、静かに間を置いた。「やめてください。その者にとって休むことが何を意味するか、彼自身が言うまで待ってください。強制は効力を失わせる」声に揺れはなかったが、将校の目は釘付けになった。

護衛の一人が兵を押そうとしたその瞬間、湯面がぱっと冷たくなるのをナツは感じた。沸き立っていた湯に唐突に薄い膜が張り、白い蒸気が重くなった。ナツは胸の奥が締め付けられるような嫌な感覚に襲われた。視界が暗くなり、耳鳴りが始まる。悪夢が、いつものように襲い始めた。

その悪夢は、火と金属の匂いで始まった。深い夜、誰かの声が「進め」と命じる。誰かの母親が泣き、子供が兵士の名を呼ぶ。ナツの体は夢の中で何度も同じ湯に落ちた。冷たい湯に沈められる兵の顔が、波紋のように彼女の中で広がった。目が覚めると、床に額をつけていた。息をするのがやっとだった。

「大丈夫か!」リーの手が彼女の肩に入る。マユは急いで湯を手早く焚き直す者を指示した。将校は一歩引き、しかし不快そうに顔をしかめた。護衛も静止した。場はぎこちなさと緊張で満ちていたが、強制は止まった。兵自身が震えながらも、踏みとどまっていたのだ。

ナツはゆっくりと立ち上がり、湯に指を浸してみる。まだ温かさは戻らず、指先が冷たい。彼女は肩を震わせながらも、顔を上げ、皆に向けて言葉を放った。「私一人の力で守れるものではありません。湯を冷やす代償を受けないためにも、ここは皆でルールを守ってください。記録は透明で、意志は尊重される。監視があろうと、ここで語られたことが皆の選択になるように」

将校は諦めたように吐き捨てる。「ならば手続きは守るが、無駄は許さんぞ」

その後、湯場はいつになく静かに仕事を進めた。ナツは座って、湯が再び沸くのを待ちながら、頭の片隅で別の問題に思いを馳せた。ここ一帯の監視網は明らかに広がっている。巡察兵や記録係だけではない。将校の背中に見えたのは、上層からの意志を示す冷たい視線だ。これは個人の反発だけではない。制度の目が彼らを見ている。

午後には、古い文書が届いた。リーが密かに持ってきてくれた軍の補給記録の断片だ。密偵が基地の倉庫から抜き取ってきた紙切れを、連盟の学者肌の一人、カルが慎重に畳んで差し出す。カルは指先が震えるほどに興奮して見えた。彼は反抗者というよりも、真実の断片を追う学者だ。

「これは……」カルは呟き、紙に書かれた古い筆致を指で撫でる。「補給報告書の抜粋だが、注記がある。『焦げた薬草の配給を継続すべし。民の回復を妨げ、兵力の消耗を一定にす』と」