異世界転生風車守の王国騎士 第12話「第11章」
朝靄の薄い灰色が谷間を満たす頃、ユズは風車小屋の扉を内側から押し開けた。指先にはまだ昨夜触れた油と木屑の匂いが残っている。したいことは単純だ。羽根の亀裂を見て、触れて、どれだけ持ちこたえてくれるかを確かめる。静かに整備して、できるだけ長く、みんなの風を守ること——それだけだ。
朝靄の薄い灰色が谷間を満たす頃、ユズは風車小屋の扉を内側から押し開けた。指先にはまだ昨夜触れた油と木屑の匂いが残っている。したいことは単純だ。羽根の亀裂を見て、触れて、どれだけ持ちこたえてくれるかを確かめる。静かに整備して、できるだけ長く、みんなの風を守ること——それだけだ。
だが、扉の外からは足音が迫っていた。足音は急ぎ、幾つかの声が混ざっている。ユズは手を止め、深く息を吸った。胸の奥が鋭く疼く。ひとりで風を分けた晩に胸が締め付けられた痛みを、まだ覚えていた。羽根の亀裂はその代償の証だ。あの夜の砂埃と嗚咽は、今も彼の呼吸を脅かす。
「ユズ!来てくれ!」
声の主はリナ。村の教会小屋で読み書きを教えている女だ。手には子供の上着が握られている。背後に続くのは鍛冶屋のヨレン、牧童のシラ、そして年寄りのケサ。人数は思ったより少ない。顔には疲労と迷いが混ざっていた。
ユズは羽根に視線を向けたまま答える。「今、終わらせるところだ。どうした?」
「騎士団の偵察隊よ。人数は少ないって話だけど、やつらがまた徴税の話を持ってきた。『風の計測と管理のために点検する』って。向こうは正規の文書なんて持ってないけど、旗にあの逆風の紋がついていたのを見たわ」
リナの声が震えた。逆風の旗。聞くと空気が冷たくなるような言葉だ。ユズは無意識に指先を羽根の亀裂に触れ、そこから伝わる木の冷たさに息を飲んだ。
「点検だけならいいだろう」ヨレンがそう言うと、ケサが首を振った。「点検の名目はいつも後に続く。『保全のために一時的に止める』、次は『国のために運用する』になる。風を徴税するって話が本当なら、移動も労働も管理される。ここを出るか、ここに残るか、どっちかだ」
村人の顔が割れていく。ある者は留まり、ある者は荷を纏う。子供を抱えたマラは小さく震えながら、荷物を詰める布袋を抱え上げた。「私たち、夜に立ち去った方が安全じゃない?」そう言って、目を伏せる。夫は昨年の疫病で死に、年貢を払う余裕もない。騎士団に監視されれば、取り上げられるものが増えるのではと怯えているのだ。
ユズは戸の枠に寄りかかる。胸の奥の疼きがよみがえる。留まるべきか、逃げるべきか。彼の答えは、もうはっきりしていた。ここには彼が最初に助けを求められた者たちがいる。助けを求めた声は、ユズをこの谷間に縛りつけた。守る対象は、ぶつかり合う欲望を持つ人々であり、ただ一方の強制ではない。だが声に従って動くだけで、羽根は折れ、彼の呼吸は壊れる。だからこそ、選ぶ必要がある。
「逃げるっていうのは、簡単な選択だ」とユズは低く言った。「だが、逃げたあとに残るものはどうなる? 風車を壊されて、田畑を奪われて、戻る家がない。移る先で私たちの声が消されるかもしれない」
マラが顔を上げる。涙が滲んでいる。「でも、ユズさん、あんたも壊れる。あんたがいなくなったら、どうするのよ」
ヨレンが歯を食いしばる。「俺は戦うのは得意じゃない。だが、ここの鍛冶道具は俺たちの生活だ。どこに行ってもまた一からはできない。だが、俺の女房は子を連れて逃げたいと言ってる」
村の意志はばらばらだ。ここでユズが何を選ぶかが、谷間の運命を左右する。
「私は残る」とユズは言った。言葉は簡単だったが、その背負う意味は重い。「でも、ひとりで守らない。あんたたちと一緒に守る。私が羽根を一人の願いで回すことは、もうしない。羽根が折れるだけじゃない。私の息が乱れて、誰かを守れなくなる。それがここの最悪の未来だ」
シラが質問した。「じゃあ、どうやって守るんだ? 武器を持てって言うのか?」
ユズは首を振った。「武器じゃない。『合意』だ。みんなで同じ方向に風を向けたいと願う。それを数を合わせて行う。風車は俺が整備したから、みんなが一緒に願えば、羽根の損耗は分散できる。単独の願いで起こる壊れ方は避けられる。…ただし、練習が必要だ。みんなでタイミングを合わせ、声を合わす。俺は調整役に徹する」
リナの目に光が戻る。「合意…儀式のあれ?」
ユズは頷いた。井戸に下げた風笛の話が自然と口を突いて出る。「あの風笛を使おう。合図にするんだ。各風車で回す手順を作る。誰か一人の願いではなく、村全体の願いとして風を分ける。そうすれば羽根の亀裂の進行は遅くなるはずだ。もちろん完璧ではない。代償は残る。でも、代償を誰か一人の背に負わせるわけにはいかない」
ヨレンが深く息をついた。「それならやってみる。俺は村の人間に教える。風車の手入れの基礎と、回すときの負担の分け方を。ユズ、俺たちはあんたを道具として見ない。あんたが言った通り、あんたは技術を共有する人だ。約束する」
その言葉に、ユズの胸の中で何かが静かに揺れた。だが、そこに影が落ちる。ケサが唇を噛む。「でも、いつかは騎士団が強硬手段に出る。もう何人かは夜逃げの準備を始めてる。子や老いもいる。合意ってのは、腹が減ってる時にも守れるのか?」
話し合いは続くが、声は次第に鋭くなっていく。ユズは黙って聞き、合意の具体案を練った。見張り隊、合図役、回す人の組み合わせ。各家族から一人ずつ、輪を作る。風車ごとに二重三重の人員を置き、誰かが倒れても回せるようにする。井戸の風笛を儀式の合図にし、夜は明かりを控える。移動のことは別に検討する。逃げる人に対しては非難しない。残ることを強要しない。しかし、残ると決めた者には互いの命の代わりに声をかけ合う契約を結ぶ。
夕方になって、村の中心で小さな会合が開かれた。人々は鼻をすする音を隠そうとし、子供たちは足元に座り込んでいた。ユズは黒板の代わりに風車の絵を地面に描き、手順を示した。誰がどの位置に立つか、誰が胡座をかいて踏むのか、糸を張る位置まで話し合った。やることは泥臭い。けれど、みんなの手が動き、言葉が重なっていく。
その夜、騎士団の尖兵が再び現れた。聞いた話より人数は多かった。旗は逆風の紋を揺らし、馬の蹄が土を刻む。先頭に立つのは中佐らしい紋章のついた男。彼は冷ややかな笑みを浮かべ、文書を村長に差し出した。文字を読める者は少なかったが、文面はすぐにリナの口から訳された。「王の名にて、風力資源の国家的管理を宣言する。風車の運用は王国技術省の指揮下に入る。十日以内に協力しない場合、強制撤去を行う」
文書を置いた男の視線がユズに向く。ユズは胸の奥の疼きを噛み殺す。答えは出ている。だが、その場で拳を握って叫ぶようなことをするのは、彼が望んだ形ではない。代わりに、ユズは静かに歩み寄り、男の目を見た。
「我々はここを渡さない。だが、戦いは望まない。私たちには子供と作物がある。貴下は、国のためにそう言うのかもしれない。だが、私たちには日々の暮らしがある。話し合いで解決を望む」
中佐は眉を上げた。「話し合い? 王の命令に話し合いの余地はない。だが…」彼は少し首を傾げ、文書をユズに差し出した。「もし貴村が協力し、その施設を国の測定器で統一すれば、君たちにも配慮する。移動制限と労働報告を強いるが、食糧の安定供給を保証するという条項もある」
ユズは文書に触れなかった。言葉に潜む鎖を感じた。風を国が止め、民の移動を縛る。そこに自由はない。けれど、強硬に抵抗すれば