異世界転生税関吏の迷宮攻略者 第24話「第22章」
会議室の長机の上に、細かく刻まれた紙片が散らばっている。紙の端には、誰かの筆跡で付された名前と、簡潔な符号。血のように赤い印はない。だが、それがここにあるだけで、空気が重くなる――誰かが、確実に裏切ったという証だ。
会議室の長机の上に、細かく刻まれた紙片が散らばっている。紙の端には、誰かの筆跡で付された名前と、簡潔な符号。血のように赤い印はない。だが、それがここにあるだけで、空気が重くなる――誰かが、確実に裏切ったという証だ。
「これを持ってきたのは誰だ?」
立て続けに手を差し出した若い使者の顔には、震えが残っている。会議室に集まったのは、攻略団の代表たちと、共同倉庫の運営に関わる有志。誰もが疲労を隠せず、だが今は隠れられない怒りが額に刻まれていた。迷宮伯がしかけた嵐の中心が、確実にこちらへ向かっている。
ダンは長い指で紙片に触れずに、ただ眺めた。自分が今いちばんしたいこと。仲間を守り、会議を結び、最後の案を固めることだ。だが、そこに立ちはだかる妨げは明確だった。裏切りの証拠。迷宮伯の策略が効いて、仲間の信頼が崩れ始めている。
「ロレンが持っていた」――誰かが声をあげる。言葉は刃物のように会場を切り裂いた。ロレンは、攻略団の索敵班の長だった。無口で実務に強い男。何度も命を張って迷宮に挑み、戻ってきた。彼がたった一人で、迷宮伯と手を組むはずがない。だが、紙片には確かに彼の署名がある。
「嘘だ。そんなはずはない」
イリナが立ち上がって声を荒げる。彼女の声には震えが混じる。かつて迷宮の深奥で生還した冒険者として、仲間たちの信頼は厚い。だが信頼というのは、疑念が一度入ると刃先のように危うくなる。
「証拠はどういうものだ」ダンは冷静に訊ねる。声に込めたのは怒りではなく、事実を求める命令のような迫力だ。
使者は震えながら、石化した鞄の写真を取り出した。あの日、あの箱はいつも通りの荷札をつけられて通関を終えたはずだった。だが迷宮へ入った後、人々の報告でそれが「石の鞄」となって発見され、鞄を開いた者がそこに書かれた名簿の写真を持ってきたという。名簿には脱出可能者の氏名、通行札番号、そして秘密の集合場所が記されている。すべてが、こちらの行動を迷宮伯に告げるための情報だった。
ロレンは一歩も動かず、ただ目を伏せていた。誰もが彼の顔を求める。彼の唇が動く。やはり、声は低い。「……脅されたんだ。家族を人質にされた。断れなかった」
言葉は簡潔だが、そこにあるのは崩れゆく人間の芯。ロレンの家族の話は、古くから知る者にとっては致命的だ。迷宮伯が外の人間の家族を脅すことなど、これまで考えもしなかった。だが、可能性を念頭においておくことと、実際にそうされることはまったく違う。
「脅されたかもしれない。だが、その代償は大きい」マルカは冷たく言う。共同倉庫の資材管理を統括する彼女は、損失の現実を知る者だ。彼女の目は鋭く、ロレンに向けられている。
ダンは腕を組み、皆の視線を受けてからゆっくりと口を開いた。「ここでただ罰するのが一番簡単だ。だが簡単さを選べば、共同体は二つに割れる。罰が正義になるのは、その後に残るのが誰かを守れなくなったときだ」
その言葉にざわめきが走る。罰を求める声がいくつか上がる。裏切りは裏切りだ。彼らの怒りは、目の前の危機感と混ざっている。ダン自身も胸の中で炎が燃えた。彼は隣の箱に置かれた、石になった小さな懐中時計を見やった。あれが自分の最愛の品だった。かつて命を救うために代償を受け入れたとき、あの時計もまた石になった。重量は変わっていないように見えたが、感触は異様に冷たい。代償は個人の物理だけでなく、精神にも重さを残す。
「このまま分裂するわけにはいかない。もしロレンが脅されていたのなら、誰かが同じ目に遭う。迷宮伯はそれを狙っている。目的は分断だ。だから、私は――」ダンは一拍おいて、手を伸ばし、ロレンの肩に軽く触れた。「俺たちは、罰よりも回復を選ぶ。だが条件をつける。戻るための条件だ」
会場の空気が凍りつく。誰もが耳を傾ける。ダンは声を低く、具体的に述べた。
「一、ロレンは公にすべてを告白する。誰が人質にされ、何を差し出したかを明らかにすること。二、ロレンは共同体の前で自分の財産で補償を行う。可能な限り、被害を回復させること。三、ロレンは情報提供者として、我々の監査下に入る。迷宮伯の手先をあぶり出すために動くこと」
すぐに反論が出た。「そんな甘い条件でいいのか。裏切り者をのうのうと生かしておくべきではない」
ダンは短く首を振った。「甘いのは、ただ見せしめで処罰することだ。見せしめは一時の安心を与えるが、長期的には怯えと隠蔽を生む。ここで必要なのは、参加する意志を取り戻す仕組みだ。人は追放してしまえば、もう戻らぬ者になる。戻るための道を残してこそ、共同体は一つでいられる」
イリナが眉をひそめる。「それを信じろというのか。ロレンを信じるのか?」
ダンはロレンの顔を見た。男の目にはまだ恐怖が残る。だがそこに自己憐憫だけではない一筋の意志も見えた。「信じるのではない。検証して、条件を課す。信頼とは与えるものではなく、共同で築くものだ。ロレンがそれを壊したなら、今度は彼自身がそれを修復する機会を与える」
しばらくの沈黙のあと、年長の代表が重たい声で言った。「我々は投票で決める。ダンの提案に賛成するか、反対するか」
投票が行われる間、ダンはじっと自分の懐中時計の石を見つめた。あの冷たい重みが、自分に課せられた代償をいつも思い出させる。能力のルールは無慈悲だ。嘘の申告は荷物を石に変える。しかも、代償は他人だけに留まらず、自分の大切な物も同じ重さで石化するかもしれない——それはただの比喩ではなく、実際に彼が経験したことだった。だからこそ、彼は簡単に人を罰するべきではないと知っている。嘘は制度に対する最も危険な毒だからだ。
投票の結果は僅差で賛成。ロレンは肩を震わせ、嗚咽を漏らす。だがダンは続けた。「公の告白は今すぐに行う。だが、ただの告白ではない。公開の記録を作り、それを共同倉庫の台帳に入れる。誰もが閲覧できるようにする。さらに、彼の提供する情報が本物かどうかを確かめるため、我々は現地で小さな検証ミッションを行う。ロレンは出発に同行し、我々の手引きで動いてもらう。もし彼が再度裏切れば、その時こそ共同体の決定に従って処分される」
ロレンは声を振り絞り、名簿に書かれた一つの地名を告げる。そこは、迷宮伯に近い徴収所の一つだった。ダンはその名を聞き、目を細める。徴収所の管理者は噂通り、迷宮伯の側近だとされる人物だ。そこへ行き、証拠を突きつければ、迷宮伯側の手口を明らかにできるかもしれない。だが同時に、そこは罠でもある。
「行くなら、準備をする」ダンは皆に指示を飛ばす。マルカに物資、イリナに火力の整備、他の者には情報と監視の配置を命じた。ロレンには、行くための条件を言い渡す。公開で手紙の内容を読み上げる、同行中は常に二人以上の監視員をつける、万が一のときは通報のための信号を準備する。ロレンはうなずいた。彼の瞳が少しだけ元の鋭さを取り戻した。
出発の直前、ロレンがダンを呼び止めた。「もしここでまた失敗したら……お前は許してくれるか?」
ダンは一瞬ためらった。胸の中で、時計の冷たさが鈍く疼く感覚がした。だが彼は笑って見せた。「許すことが仕事ではない。ルールを守ることが仕事だ。お前がそれを守る限