異世界転生城壁番の聖騎士 第6話「第5章」
朝の冷気が城壁の石を引き締める頃、トウマはいつもの巡察路を歩いていた。足場の砂利が硬くきしみ、彼の手にかかる戦闘帯の紐はいつもより重く感じられる。やりたいことはただ一つだ。北門の割れ目を塞ぎ、来るべき冬に向けて弱った門を固めること。だが、足を止めて口をつぐむ者たちがいる。王都から来るはずだった補修資材は、なぜか届かない。門司令の命令で差し止められたという噂が、朝の空気より冷たく町を巡っていた。
朝の冷気が城壁の石を引き締める頃、トウマはいつもの巡察路を歩いていた。足場の砂利が硬くきしみ、彼の手にかかる戦闘帯の紐はいつもより重く感じられる。やりたいことはただ一つだ。北門の割れ目を塞ぎ、来るべき冬に向けて弱った門を固めること。だが、足を止めて口をつぐむ者たちがいる。王都から来るはずだった補修資材は、なぜか届かない。門司令の命令で差し止められたという噂が、朝の空気より冷たく町を巡っていた。
「トウマ、また今日も早いな」
広場の端で手を拭っていた木工のミツルが笑った。ミツルの腕は油で黒く、顔には道具屋仕事の短い切れ目が刻まれている。彼の隣に石工の女、ハナが火をくべる。ハナは黙々とレンガ片を積み上げ、視線は常に門のひび割れへ向いていた。
「資材が足りないって話だ。王都が差し止めたらしい」
トウマは短く息を吐いた。言葉にならない苛立ちが胸の奥でざわめく。補修の中心にいるのは自分だ。巡回した壁でしか、彼の力は働かない。今朝も一巡した。だから、今日ここで、出来る限りのことを始めねばならない。
「差し止めた、か」ミツルは腕を組んで天井を睨むようにしてから「俺らで出来ることをやるしかない」と言った。「木はある。古い梁を外して使える。鉄は足りないけど、組み方で何とかなるさ」
「木で補強しても、石の内側の押しには耐えられないよ」ハナが眉を寄せる。「どこかに石材が必要だ。湿った冬に水を吸って割れるのは避けたい」
「誰か、運び出せるのか」トウマが尋ねた。彼は言葉にしないが、頭の中で能力の条件を数えた。今日巡った壁。足元に危険を感じた者のために石の足場を作ることができる。ただし選んで使うことをすれば壁が内側から崩れる。選別は禁忌だ。だが、作業を助けるために、いくつかの箇所に人を立たせるような使い方は可能かもしれない。選ぶつもりはない──そう自分に固く言い聞かせた。
「外側の石は使えないか」ミツルは門の外側を指差した。そこには崩れ落ちた古い石が累々と積み上がっている。確かに素材はある。問題は運び出しと固定だ。人手は減り、手伝う気配すら薄い。王都の監視が影を落とす今、無理をして動かせば目を付けられるかもしれない。
「運べる。けど……」ハナが顔色を曇らせた。「外側は危険だ。夜になると小さな魔物が近寄る。囲いをしなければ誰かが怪我をする」
トウマは黙って門のひびを見た。古い看板がひときわ目を引く。矢印が内側を向いている。昨日も目にしたそれは、彼の胸を不安で満たす。反対側の図面の端に、同じ向きの矢印が複数刻まれた古い設計図の断片を見つけたことを思い出す。ミツルの指先が、いつの間にかその看板に触れていた。
「これ、前にも見たよね。おかしな向きだ」ミツルは低く言った。「普通なら外へ誘導する矢印だ。逃げ道を示すならさ」
ハナが唇を嚙む。「誰がこの矢印をつけたのか。それが補修計画にも描かれているのを見た。まるで、ここを通すべき人間を決めるかのように」
トウマの胸の奥で、血が冷たく流れた。矢印が単なる道標ではないとすれば、補修の計画そのものに意図があるかもしれない。だが今は、その答えを追うよりも壊れかけた門を一刻でも強めることが先だ。彼は決めた。王都に頼るのではなく、自分たちの手でやる、と。
「運び出す。本当に必要なだけ持ってくる。安全は俺が見張る」トウマが言うと、ミツルは小さく頷き、ハナは黙って道具を整え始めた。
彼らは動き出した。町の職人たちはほとんどが自分の領分を守る。だが、いざとなれば顔を出す者もいた。老鍛冶のカルが古びた台車を提供し、若い女将のサユリが店先の布を貸してくれた。誰も命令されて動いてはいない。自分たちの明日のために、という判断で集まったのだ。
石運びは思ったより過酷だった。外側の瓦礫は濡れて滑りやすく、台車の車輪は砂利に飲まれる。二人三人では到底動かせない石を、四人でてこの原理を使って持ち上げ、慎重に門の内側へ運び入れた。何度か危険な瞬間があった。石がぶつかり合い、古い壁面に小さな崩落が生じる音がしたたび、トウマは背中に冷たい痛みを感じるような気がした。だがそれはまだ、彼の能力の代償ではない。身体の神経が壁の声に触れたような、前触れに近い。
日が高くなるにつれて人々の作業はスピードを増した。ミツルは梁を切って枠を作り、ハナは石を合わせて天然の目地を埋める。カルは鉄の縫いで固定を補う。トウマは彼らを見回り、危険に気付けば声をかけ、手を貸した。巡回した壁──今日の彼の行動範囲は、まるで彼の能力に対する予約のように機能していた。壁を一巡することで、彼はその日の壁にだけ力を行使できる。それが明日になると効力は切れる。だから今日、彼はここにいる必要があった。
午後になり、作業は難所のひとつに差し掛かった。古い石組みの隙間が大きく、そこを塞がなければ内側からの支持が弱い。人を立たせて作業するには足元が不安定だ。ここでトウマは判断しなければならなかった。自分の能力を使えば、作業は格段に楽になる。だが、使い方を間違えれば選択の印がつく可能性がある。誰かを選んで足場を与えることはできない。選別は壁を蝕む。
「ここ、立ってくれ」ハナが小さな溝に身を沈めて言う。彼女は背中に裂け目があるかのように静かに声をかけた。「石を押さえて、こっちから力をかけるわ」
トウマは一瞬、地面を見る。足の裏にわずかなざわめきのようなものが届く感覚があった。危険——それはハナだけでなく、自分の体にも向けられている。ここで足場を作れば皆が安全に動ける。しかし、もし自分が無意識に誰かを優先したと判断したら、壁は内側から崩れ、穴のように広がる。彼は自分の能力と対話するように目をつむった。
「選んでない。誰でもない」トウマは自分に言い聞かせる。祈るように、だが正確でもある。選ぶのではなく、感知に任せるのだ。彼は自分が今日見回した壁の範囲を頭に描き、その石壁に触れているようなつもりで集中した。
そして、足元が冷たくなるのを感じた。石の冷気ではない。目に見えない小さな塊が、地面の上に生まれるようにして現れた。最初は一つ、次にいくつも、作業者たちの足元に短い石の足場が現れる。ハナの足も、ミツルの重い足も、台車の輪の下にも、同じように均一に現れた。彼は誰かを選んではいない。危険を感知した者すべてに同時に働きかけたのだ。
「おおっ……!」ミツルが息を漏らす。足場は確かに安定しており、作業は驚くほど捗った。台車は滑らかに石の上を滑り、ハナは重い石を体勢を崩さずに据え付けた。皆の顔に安堵が走る。
だが、同時に、トウマの背中がひどく疼いた。刃物が刺さったように、内側で引き裂かれるような痛みが一瞬走り、彼は膝を折りそうになるのを堪えた。壁が鳴く音も聞こえた。細い悲鳴のような、石と石が互いに擦れる声だ。トウマはそれを聞き取り、胸の中で恐れが膨らんだ。足場を均等に発生させたつもりでも、壁には負担がかかっている。選別しなかったことが崩壊を防いだわけではない。大量の足場は、それ自体が力を生み、脆い部分に圧をかけていた。
「トウマ、どうした?」ハナが振り返る。彼女の眉は心配で切れ上がっている。
「平気だ。少し響いただけ」トウマは笑って