異世界転生城壁番の聖騎士

異世界転生城壁番の聖騎士 第4話「第3章」

「列を乱すな。門はあくまで検査用だ。入れるか否かは我が判断だ。」

「列を乱すな。門はあくまで検査用だ。入れるか否かは我が判断だ。」

声は低く、鉄の縁に触れたように冷たい。司令のブーツが石床を踏むたび、群衆の間に緊張が波紋のように広がる。北門の影はまだ長く、朝日が砕けた瓦礫とほつれた布地を白く縁取っていた。トウマはその光の中で、目の前の女に向かって一歩踏み出した──が、そのまま止まった。足元の石が一枚、ほんの少し沈んだからだ。

「トウマ。ここは命令の通りにする。私語を慎め」

司令はそう言って指をさし、古い木の標識──内側を向く矢印がかすれかけて描かれたそれ──を見せつけるように突き出した。矢印は、城壁の内側へ人を誘導するような角度で取り付けられており、雨に晒されながらも不気味な確信めいた主張を続けている。矢印はただの標示だ。だが何度も見れば、誰だってそれに従いたくなる。矢印が示す先には、司令のつくった検査区画と、鉄格子を備えた内側の小路がある。

トウマは言葉を飲んだ。守るべきはこの列に並ぶ人々だ。朝の見回りで、自分が触れた壁だけに働く能力があることは、彼自身がいちばんよく知っている。だがその能力は、選ぶことを禁じる。味方であれ敵であれ、誰かを選んで足場を与えれば、城壁は内側から崩れ落ち、その痛みは自分にも返ってくる。――選別をしないこと。平等に扱うこと。それが今の自分のルールだ。

「司令──ここで待ってもらえますか。皆で話を聞くだけです」

トウマの声は震えていたが、彼は下がらなかった。彼が守るのは、命令書や旗印ではない。足元にしがみつく母親と、泣き疲れて眠った幼子、荷物を抱えた老女。彼らの顔を見れば、数字や文書の外にある小さな事情が透けて見える。列の先頭にいる女が、トウマに目を向ける。顔に泥と涙の痕が混ざり、唇がわずかに震えていた。

「お願いします。夫が……この辺りで働いていて、昨日から帰らないんです。門の内側で尋ねてくれるだけでいいんです」

トウマはその瞳の奥にある不安を飲み込み、頷いた。司令は冷たい視線を送る。見下ろす位置にいるからこそ、司令はいつだって物事の枠組みを維持できる。枠組みさえ見えれば、人々の声は無力になる。トウマはそこに従わないつもりだった。

「あなた、ここは検査だ。騒げば通行は許さないぞ」

司令は、腕に付いた徽章に触れた。そこには、割れた門章の断片を模したような細工がはめられており、ひび割れの文様が暗い光を反射している。トウマはその瞬間、胸の奥に小さな違和感が刺さるのを感じた。あの矢印と、この門章が、何かで繋がっているような──。

「誰かが帰ってこない、というだけなら、少しの聞き取りで済むはずだ。時間を取らせない。通行を妨げるつもりはない」

トウマは低く言った。彼の背後には、同僚の中堅守備員であるミオが立っている。短く束ねた髪、手には古びた包帯が巻かれていて、先日の小崩落で負った傷がまだ癒えていない。ミオの目が、司令を見てからトウマを見る。意思は同じだ。

「トウマ、君の判断は私の管轄を侵す。報告する」

司令の口調が鋭くなった。彼はスマルという黒檀の印章を取り出し、敷地の管理記録に朱を押しつけるように思考をまとめるように見えた。報告という制度は、力を制度化するための最も有効な武器だ。トウマはそれを知っているからこそ、言葉で戦おうと決めていた。

「報告されても結構です。ただ、証言を集めるのは私たちの仕事でもあります。門の前で——ここで聞けることはあるはずです」

司令が顔をしかめる。だが彼はすぐに一つの策を思いついたかのように口角をあげた。彼は矢印の描かれた標識を指差し、群衆を示す。

「ならば条件を出す。検査済みの者だけを中に通す。そのほかはここで待機だ。異論は受けん」

「条件って……」

トウマは一瞬、咄嗟の判断を迷った。能力のことが頭をよぎる。今朝、自分が一周して確かめた北門の通路だけが、自分の足場を生み出せる範囲だった。もし今日の見回りを正確にやっていなければ、誰にも足場はできない。だが今日の見回りはやった。だから、足場を皆に一括して出すことはできる。選択することさえ避ければ、禁忌は破れないはずだ。

だが条件に従うことは、司令の「検査」によって心許ない基準で人々が排除されることを意味する。基準は曖昧で、噂と恐れで動く。トウマはそれを知っている。彼は静かに決意した。

「検査というのは、記録と確認だ。ならば聞き取りをここで行って、証言をまとめた上で順次通す。検査は後からでもできる」

司令は嗤ったように唇を開いた。だが群衆の中から、はじめて声を上げる者がいた。それは年老いた男で、手のひらに古い印章のかけらを握りしめていた。

「私の孫を見てくれ。キールという子だ。ここで泣き、ここで笑っていた。通ってもいいんだろう?」

群衆の中の小さな声は広がり、別の声が続く。次第に幾つかの証言が一つ二つと紡がれていった。名前と時間、出会った場所。些細な記憶の綾が、ふるえる紙のように寄り集まって固まり始める。司令の前には、制度的な理由で切り捨てられてしまいそうな具体的な人々が現れた。

司令の表情に僅かな動揺が走った。彼はその脆さを隠そうとして、口元を堅くした。

「聞き取りは只で済むわけではない。通行許可を出すためにも検査表に記入させる。さあ、次の者を言え。証拠がなければ認めぬ」

「証拠なんて、ここでこの人たちに聞けば出てくる。口承だって記録だ。紙だけが真実じゃない」トウマは言葉を早め、息を整える。「聞かせてもらえますか。名前と、誰がどうしてここにいるのかを。まずはそれを記して、公にできる形にします」

司令は指先で徽章を弄り、もごもごと返答を濁した。彼の目は矢印の方へ逸れていく。あの標識は、ただの木の板ではない。ラインを作り、人の流れを操作するために何度も塗り直されてきたものだ。誰かがそれを使って「安全」や「危険」を心理的に印してきた痕跡がある。トウマはその痕跡を追うようにして、司令の目の下にある皺の深さや、徽章のひびの方向といった些細な符号を記憶していく。

「お前は班長でもない。指示に従え」

「私は門番です。守る相手が命令より先に来たら、私は命令よりもその人を選びます」

その言葉で、周囲の空気が凝り固まった。司令が呟くように言った。

「命令を選ぶのと、人を選ぶのとでは、意味が違う」

トウマははっとした。司令にとって、命令は秩序そのものなのだ。秩序を守るために、人は検査され、分類され、管理される。人を選ぶということは、秩序の外に出るということでもある。だがトウマにはもう一つの秩序があった──自分が守るべき共同体の最小単位としての秩序だ。命令が共同体を壊すなら、拒否する理由になると彼は考える。

司令が苛立ちを募らせる。彼はトウマの周囲を威圧するように歩き、声を高めた。

「それが反抗ならば、処置を執るだけだ。お前のような新参に、ここを預けるわけにはいかん」

言葉の刃が振るわれたとき、群衆の中から小さなざわめきが起きた。中にいた若者の一人がトウマの袖を引いて囁く。

「トウマさん、私の姉が門のそばで働いている。日雇いのはずなのに、ここの留め置きになっている。聞いてくれませんか」

「聞く。ここで聞く