異世界転生影縫師の護衛騎士

異世界転生影縫師の護衛騎士 第28話「終章」

糸針はいつだって最初に手に取るものだ。朝の冷えた空気のなか、セイは路地先の小さな机に肘をつき、細い銀糸で子どもの破れた袖口を縫い合わせていた。指先の感覚は前世の習い性そのままに滑らかで、針が布を通るときの小さな抵抗が心を落ち着ける。いま彼が一番したいことは、ただ目の前の裂け目を塞ぎ、茶の匂いのする昼飯を食べ、昼下がりに薄く残った自分の影を確かめることだった。

糸針はいつだって最初に手に取るものだ。朝の冷えた空気のなか、セイは路地先の小さな机に肘をつき、細い銀糸で子どもの破れた袖口を縫い合わせていた。指先の感覚は前世の習い性そのままに滑らかで、針が布を通るときの小さな抵抗が心を落ち着ける。いま彼が一番したいことは、ただ目の前の裂け目を塞ぎ、茶の匂いのする昼飯を食べ、昼下がりに薄く残った自分の影を確かめることだった。

「セイ、来てくれないか」
背後から呼ぶ声に、彼はゆっくりと顔を上げた。ミラは隣に立ち、手の甲で朝露を拭っている。冠はない。昨日まで王女の替え玉とされかけた少女は、今はこの路地の一員であり、声を発する権利を持つ人だった。

「ここでいいのか」セイは問い返す。縫い針を布の上に一度だけ刺し、糸を緩めてから答えた。「午前の仕事は終えたい。だが、君が必要なら行く」

ミラは口角を上げて、しかし目は真剣だった。「必要なのは、あなたの糸だけじゃない。あんたがこれ以上影を薄くするのは見たくない。でも……一緒に来てほしい。護衛隊は今日、正式に認められる。人前で言葉を渡すのは、私の仕事だ。護るのは私たち自身だって、示したいの」

セイは針を指にはめ直し、布を胸に寄せた。針を引くたびに胸の奥がひりつく。縫うたび、自分の影が薄くなる。誰もが知っている代償だ。彼にとって最大の障害は、残された時間と影の量だった。最後までそれを知られぬようにすることも、仲間たちの前で弱みをさらすことも、どちらも辛い。

「合意の場だ」彼は低く言った。「嘘が出れば、縫い目は刃になる。だから今日は、誰も嘘をつかない手順を守る。君が選ぶなら、私は君が立つ道の端で君の影を一度だけ縫って、歩みを支える。だが刃を用いることは、しない」

「わかってる」ミラは頷いた。「嘘はない。私が何者かは、私が決める」

護衛隊の顔ぶれは変わった。リアン、隊長としての肩書きを得た男は、短い剣と長い信念を持っていた。サラは情報網を仕切り、過去の痛みを声にしたい者たちを集めた。若い衛士たちはセイの教えを受け、縫いの一部を民衆に開くための手順を覚え始めていた。彼らはセイの所有物ではなく、判断と責任を負う個人だった。彼らが行動するのを、セイは誇らしく、そして恐れて見守っていた。

広場に出ると、旧「月のない裁判所」は市民たちの議場となっていた。かつての高い石板で囲まれた壇は、今日は低い台に変えられ、誰もが立ち上がって話せるようになっている。騎士団の標章が薄くなっているのが見えた。あの団の一部は、まだ権威を振るうべく集まっている。彼らは法を守ると称して、移動を止め、記憶を訂正し、影を裁いてきた。今日がその終わりなのか、あるいは新たな始まりなのかは、群衆の声が決める。

「彼らが来る」リアンが側で低く言った。「騎士団の代表だ。挑発して、嘘を引き出すつもりだろう」

「挑発はしてくるだろう」サラは息を吐いた。「だが私たちは手順を用意した。証言は複数の目撃者と書面で交差検証する。合意は公開だ。嘘を誘う余地を最小にする」

セイは自分の影に目を落とした。細く、路地の石畳の上で紙のように薄い。それが彼の残り時間を物語る。縫えば薄くなる。薄くなれば、存在の輪郭がぼやける。人差し指で軽く影の端をなぞると、冷たい感覚が指に返るようだった。

壇上で、ミラは静かに立った。彼女の声は震えていたが、確かにそこにあった。「私は、王女にも、替え玉にもなりません」彼女は言った。言葉は石に吸い込まれることなく、群衆の心に落ちる。ここにいる人々は、これまでの恐怖で押し黙っていた者たちだ。今、言葉は彼らのものとして戻ってくる。

だが騎士団の代表、黒鋼の装束をまとった男が前に出てきて、眉をひそめる。彼の声は円やかに、しかし冷たく広場を撫でる。「この場は秩序を壊す扇動の場だ。真の王家に所属しない者が王女を名乗れば混乱が生じる。証拠を求める」彼は書類を掲げ、それが以前流出した儀式マニュアルの一部であることを示した。民衆の表情がざわつく。

「写しは本物だ」男は続ける。「欠けた影——記憶消去を示す行為の必要性を明確に示す。私たちは秩序を守らねばならない」

場内の空気が硬直した。嘘を引き出すための口実が、これ以上ないほど整っている。もしここで誰かがその場で偽りの証言をしてしまえば、縫い目は刃になる可能性があった。騎士たちはその出鱈目な圧力で、恐怖を喚起しようとしている。

「合意の縫いを行う」セイは静かに言った。彼の声は小さかったが、壇上にいる者たちの耳には届く。「公開で、手順に従って。誰もが目撃する。嘘は刃に変わる。だがそれは、我々が人を裁くための刃ではない。もし誰かが嘘を言うなら、その刃は私を傷つける。私は己を賭けるつもりだ」

騎士の一人が冷笑を洩らした。「お前ごときが己を賭けるとは滑稽だ。影が薄いではないか」

その言葉は、セイの胸に針のように刺さった。だが彼はひるまなかった。針は引かれた。彼が縫うのは信頼の証だ。ミラが壇上の一歩を踏み出すとき、セイは端に立って彼女の影を一度だけ縫った。縫い目は見えないが、セイの手の動きは確かだった。彼は彼女の影のほつれを根元からつなぎ、動く身体を支えた。その瞬間、彼の自分の影の輪郭がさらに薄くなったのを、自分の感覚で知った。胸が押しつぶされるような痛みが走る。だがミラの足取りは確かなものになった。

「今、あなたが語ることを事実として、私たちは受け止める」セイは聞こえるように言った。「だれも刃を振るわれたくない。嘘をつくなら、私が刃となる。だが私はその刃を、誰かを殺すために使わない。真実を守るための代価である」

ミラはうなずき、息を吸って、目を群衆へ向けた。「私は一人の人間です。王座も望まない。私はここで、私を求める人々と一緒に生きる道を選びます」彼女は、自分の過去を語った。替え玉にされた経緯、家族を失った夜、覚えのない道を歩かされてきた日々——話は重く、時に嗚咽が混じった。だがその一言一言は、鉄の如き制裁よりも強かった。民衆の顔から少しずつ、恐れの影が剥がれ落ちるのが見えた。

騎士団の代表は書類を掲げ、いくつかの反論を投げた。だがサラとリアン、そして集まった証言者たちが交差して語ると、文書の断片は矛盾を露わにした。誰かが故意に記録を改ざんしていたこと、儀式の手順が本来の意図を逸脱していたことが次々と明かされる。群衆の意思が露わになってゆく。

それでも、一度だけ緊張の波が押し寄せた。騎士団の若い一人が口を切り、「あの時、影の欠けを見た者がいる」と叫んだ。群衆の中にいる一人が身を乗り出し、「違う、それは記憶移しの痕跡だ」と反論する。声は錯綜し、嘘と本当の見分けが一瞬揺らいだ。セイの胸は収縮した。縫い目が刃へ変わる可能性は、ただ一度の揺らぎで現れる。彼の手は震えた。

「ここで私が刃を出すべきか?」彼は自分に問いかけた。刃が出れば騎士団を一掃することもできただろう。だがそれは誰かを斬ることでしかない。彼はこれまで、救うために縫ってきた。それがいつの間にか、復讐の道具に変わることを拒んだ。

セイは手を下ろした。刃を使わないことを、己と皆に誓う。代わりに、彼らは手順