異世界転生影縫師の護衛騎士 第10話「第9章」
雨上がりの路地は、まだ湿った石畳に街灯の黄色が滲んでいた。セイは指先を動かしながら、それでも今一番したいことを決めきれずにいた。したいこと――ミラとほか数人を安全な小屋まで運ぶことだ。阻むものは、彼の影が日に日に薄くなっている現実と、追って来るかもしれない裁定騎士団の目。守る対象はここにいる全員で、特に夜道で震えている幼い証人の老婆、アイネだった。
雨上がりの路地は、まだ湿った石畳に街灯の黄色が滲んでいた。セイは指先を動かしながら、それでも今一番したいことを決めきれずにいた。したいこと――ミラとほか数人を安全な小屋まで運ぶことだ。阻むものは、彼の影が日に日に薄くなっている現実と、追って来るかもしれない裁定騎士団の目。守る対象はここにいる全員で、特に夜道で震えている幼い証人の老婆、アイネだった。
「セイ、やれるか?」ミラが肩越しに聞く。小声だがはっきりしている。ミラの顔には眠れぬ夜の線が刻まれ、そうして頑なに自分の意思を示そうとしていた。彼女は王女の替え玉かもしれないという噂の渦中にいるが、それをどう扱うかを決めるのは彼女自身であり、セイはただ手段を提供する人間でしかない。
セイは答えを先に出さなかった。彼の手のひらは微かに震え、いつもの器具の代わりに指先に圧を込める感覚に集中した。影を縫うために必要なのは「信頼」と「意思」。しかも一度だけ、その人の動きを支える。だが代償ははっきりしていた――縫うたびに自分の影が薄くなる。最近はその薄まりが日に日に目に見えるようになっていた。暗がりで、自分の影が石畳をなでるはずの輪郭が途切れかけているのを、何度も感じていた。
「大丈夫だ」と彼は言った。言葉は自分でも割り切れぬほど軽く聞こえた。「ただし一回だけ。終わったらここを離れる。僕一人で全部を背負わない。」
ベルが前に出て、老婆の手を引いた。彼は元々護衛の訓練を受けていた身体をしている。顔に浅い傷跡があり、その目は何度も危機を乗り越えた者の冷静さを宿していた。リアは包帯と草の匂いを漂わせて、そばに立っている。彼らは仲間であり、同時に主体だった。誰かの道具にならないという合意が、今の路地の秩序を支えている。
「アイネさん」とリアが優しく声をかける。「ここで何が必要か教えて。全部私たちが決めるんじゃない。あなたの意思を優先する」
老婆はゆっくり唇を震わせ、暗い瞳をこちらに向けた。年齢にしては鋭い視線だ。「私は…真実を話すつもりだよ」と彼女は言った。声は震えていたが、言葉に躊躇はなかった。だがセイは小さく眉を寄せた。真実を話す――それは単純な言葉だが、ここでは重大な契約でもある。彼の縫いはいったん施されれば、それに伴う行為の結果に深く関わる。相手が嘘をついたなら、縫い目は刃となる。刃は本人に向くこともあれば、周りの衣装を裂くこともある。だから確実性が必要だった。
セイは老婆の影の端を見つめた。影は確かに、そこにあった。だがほつれがある。影の輪郭が、歩幅に合わせてぎこちなく引き伸ばされている。彼の能力はそこを縫う。縫うと一瞬、歩く人の体は昔のリズムを取り戻し、足は確実に前に出る。だがその効能は一度限りだ。何より縫う度に彼自身が薄くなる。もし彼が完全に影を失えば、「影縫師」としての存在理由そのものが消えるかもしれない。
「合意だよな?」セイは声を低くした。「縫ったら——あなたはそのあと、ここにいる人たちと一緒に、証言の場で真実を語ること。嘘をつかないこと。それを約束してくれ」
アイネは一瞬目を伏せた。指先で薄い布の裾を弄り、やがて顔を上げた。「分かった。分かったよ、若者。真実を話すよ」
セイの手が動く。闇が指先に柔らかく絡みつく感触を彼はいつもより濃く感じた。信頼と相互の意思がなければ糸は取れない。白磁の針のような冷たさが、彼の中を通り抜けるようにして、糸を紡いだ。影の縫い目が老婆の影の端に渡り、一度でぎゅっと押さえる。老婆の足取りが確かなものになり、それまでの震えが軽減したのが分かった。彼はそれを見て小さく息を吐き、安堵の一滴が目の端に浮かんだ。
だが、同時に胸の奥で嫌な違和感が走った。縫い終えた瞬間、老婆の口元がわずかに引きつり、彼女は小声で何かをつぶやいたのだ。セイはその言葉を聞き逃さなかった。「…嘘でも…許して…」と、彼女は内緒めかして言った。事情を知る者なら分かる――その言葉は約束の裏返しだった。恐怖が彼女を打ち、真実を語ることが自分の身にどんな報復を招くかを思い直したのだ。
針の感触が一瞬、冷たく鋭く変わった。縫い目が、あたかも針先を逆さに振るうようにセイの内側で反応した。刀で布をすくうような衝撃が走り、老婆の袖に付いていた黒い紐が音もなく切れた。布の裂ける音は小さかったが、辺りの空気を切り裂いたように感じられた。ミラが驚きの声を上げ、ベルがとっさに老婆の腕を握り締めて袖を押さえた。リアは顔を青ざめさせ、セイの背中に手を置いた。
「嘘…だと…」ベルが荒い息で言った。彼の声に、怒りと恐れが混じる。「縫い目が…刃になったのか?」
セイは冷えた針跡の感触を追い、肝が冷えきった。能力の禁忌が具体的な形で示されると、その恐ろしさは理性より先に体に届く。もし縫い目が本当に刃となれば、それは人を守るどころか、人を傷つける凶器になり得る。彼の手が震え、胸の中の小さな影が、さらに薄くなるのを感じた。
「違う、違うんだ!」アイネが泣き声に近い声で言う。「私は…私は…」彼女は口を押さえ、目に大粒の涙を溢れさせた。真実を語る決意と、今ここで語ると起きるかもしれない報復――その板挟みが彼女の体を押しつぶしていた。ベルが彼女の肩を抱きしめ、ミラが耳元で何かを囁いた。だが縫い目はもう一度刃に変わることなく、切れた布の縁だけを残して沈静化していった。
その瞬間、街灯の光が路地の入口から差し込んだ。明かりは濡れた石畳をきっぱりと境界づけ、影を作る。セイは無意識に自分の影を確かめていた。だが彼の脚元の黒は、いつもならそこにあるはずの濃さを失い、細い線のように石に追随していた。まるで誰かが少しずつ色を抜いていったかのように。心臓が強く鳴った。もしこれ以上縫えば、本当に影そのものが消えるのだろうか。
「セイ!」ベルが低く叫んだ。彼は老婆を抱えて路地の方へ引き戻そうとした瞬間、遠くで足音が転がった。鉄靴の響きだ。誰かがこちらに近づいている。音は規則正しく、無表情に道路を刻むように寄ってくる。追手か、巡回か。どちらにせよ、ここで立ち止まる猶予はなかった。
「隠れる!」リアが指示を出し、彼らは暗がりに身を寄せた。戸板の影、溝の影をたどるようにして避けたが、セイは最も恐れていた可能性を見た。路地の入口近くに立つ街灯の下で、通行人が足を止めている。小さな子供だった。彼はショックを受けたようだった。セイを見つめ、その目が次第に大きくなる。「おじさん、影が…消えた」と、子供はつぶやいた。声は驚きで震えていたが、人々の想像力はそれだけで火をつける。
通りの向こう、巡回の影がぎこちなく止まった。男の一人が無言でこちらを見つめる。セイの薄くなった影は灯りの中で、まるで欠けた部分があるかのように見えた。彼はその視線が何を意味するかを即座に理解した――「影の異常」を目撃すれば、裁定騎士団はすぐに反応する。彼らは影を裁く側だからだ。影のない者は、異端か汚れか、あるいは法の下にあるべき対象になり得る。
「行くぞ」とベルが腹に力を込め、静かだが断固として言った。「セイ、ここは俺たちが行く。お前は後ろを頼む。無理するな」
ミラが握っていた小さな包みをベルに渡し、セイの腕を掴