異世界転生影縫師の護衛騎士 第9話「第8章」
夜風が抜ける路地の隅で、セイは指先に残る糸屑を吹き落とした。手のひらに触れる鉄の針先はいつもどおり冷たく、喉の奥の緊張はいつもより重かった。今したいことは簡潔だった――あの指輪を確保して、刻まれた紋章を証拠にする。できればここで騒ぎを起こさず、裁定騎士団と繋がる確たる手がかりを手元に置く。だが妨げもまた明瞭だった。通りを回る見回り、教会通りを往来する役人の足音、そして何よりも、指輪の持ち主が自分を見透かすかのように振る舞う人間だということ。
夜風が抜ける路地の隅で、セイは指先に残る糸屑を吹き落とした。手のひらに触れる鉄の針先はいつもどおり冷たく、喉の奥の緊張はいつもより重かった。今したいことは簡潔だった――あの指輪を確保して、刻まれた紋章を証拠にする。できればここで騒ぎを起こさず、裁定騎士団と繋がる確たる手がかりを手元に置く。だが妨げもまた明瞭だった。通りを回る見回り、教会通りを往来する役人の足音、そして何よりも、指輪の持ち主が自分を見透かすかのように振る舞う人間だということ。
「さっきの約束はまだ有効かい、影縫いのセイさん?」
声は低く、滑らかに路地の壁に反射した。情報屋のイレズが薄暗がりから顔を覗かせる。彼女の目は、商人の鑑定士でもあり、噂の集積所でもある目だ。ミラは彼女の陰に紛れて座っている。ミラの手は小さく、震えていた。替え玉にされるかもしれないという恐怖が消えたわけではない。それでも彼女はここにいる。セイはそのことを守ると決めた。
「有効だ。ただし、取り引きは静かに、速やかに済ませる。刃が出るようなことはしたくない。イレズ、周囲に目はあるか」
「回してる。教会通り側に二つ、裏口に見張りがいる。だが向こうも用心深い。持ち主は時間通りに来るはず」
暗がりを抜けて、足音が近づいた。高いコートの裾が路地の石畳を擦る音。持ち主はゆっくりとした足取りだったが、押し殺した自信が漂っていた。袖から覗く手袋の端に、銀糸で縫われた紋章が光るのが見えた。見た瞬間、セイの身体が細かく張り詰める。紋章の形は指輪に刻まれたものと同じだった——渦を抱く三日月が斜めに切られたような、月の無い輪郭。
持ち主が路地へ入ると、セイは手の内を見せるふりで軽く身を乗り出した。相手の顔が影から現れた。女性だった。年は三十に近いか、それより少し上。黒い髪を後ろにまとめ、目に冷ややかな光がある。名乗りはしなかった。名を聞くことが、この夜の目的ではない。
「黒糸の指輪を見せてくれるか」セイは低く言った。「証拠として残さねばならない。騒ぎを大きくしたくないだけだ」
「証拠。面白い言葉だわ」女性は指先でリングを回し、その黒い光を灯りの中で弄んだ。「だがあなたはどうしてそれが『裁定騎士団』と関係あると知っているのかね?」
セイは言葉を選んだ。「噂だ。人の影が消えるとか、移動が制限されるとか。詳しいことは関わった者の証言が必要だ。指輪の紋章は誰が見ても特徴的だ。もし裁定騎士団がこれを使っているなら、ここで証拠を押さえておく必要がある」
女性の唇が微かに歪む。信頼は買えるものではない。セイは、そのことを熟知している。能力を使うには――彼自身が信頼する相手の影のほつれを縫う、という条件がある。だが相手が嘘をついたら縫い目は刃になる。刃が出たとき、最初に受けるのは、だいたい相手と自分の間にいるもの。セイは何度もこの罪と代償を数えながらここまで来た。今夜、取るべき道は二つに見えた。強引に指輪を取り上げるか、証拠を確かにするため、相手に動かぬ証言を促すか。
「先に信用を示せ」と女性が言った。それは挑発でもあり、試しでもあった。セイは息を吐き、針と糸を取り出した。彼が針先を持つだけで、路地の影がわずかに粘りつくように濃くなる。影が濃さを取り戻すたびに、背中に冷たい重みが走る。縫うたびに、彼自身の影が薄くなることを彼はいつも身で知っている。
「縫うよ。ただし一度きりだ」セイの声は穏やかだった。相手を縛るつもりはない。動きを支えて、その鮮やかさで真実を引き出す。嘘をつかれれば刃になる。だからこそ、セイはここで誰に信頼を向けるべきか、冷静に選ぶ必要があった。だが彼の瞳は、女性の顔に向けられていた。あの紋章が牙を剥くとしたら、ここで止めるしかなかった。
女性はゆっくりと腕を伸ばし、リングを人差し指に戸惑いなく通した。金属が指に収まる音がかすかにして、影が逃げた。セイはその影の端を見定め、針を差し入れるようにして縫い始めた。糸が影のほつれを撫でる。冷たい風が針の周囲を掠め、糸目が光を孕む。縫い目は小さく、繊細で、傷ついた動きを一度だけ支えるためのものだ。女性の身体の傾きが微かに安定し、表情が緩んだ。これで会話が続けられる。これで証拠を確保できる。
そのとき、女性の瞳が一瞬だけ走った。小さな嘘が喉に引っかかった。セイはそれを見逃さなかった。だが手を止めると縫い目はほどけてしまう。嘘は指先から広がるように形を取り、女性の言葉になる。
「私はただの商人よ」と彼女は言った。言葉は滑らかだった。だがその言い方は、隠したい事柄を塗りつぶすための別の色だった。イレズが横で身を固くした。ミラの小さな息遣いが、夜の裂け目に消えた。
嘘──空気の中を独特な音が走る。セイの手元にあった縫い目が、しなやかに光を帯びて、刃のように立ち上がった。最初の一閃は彼女の袖の布をすっと裂き、次いで指の関節のあたりを浅く削った。女性が声を上げる。血が黒い光の下で赤く見えた。
刃になった縫い目は、ルールが示す通り残酷だ。嘘をつく者の身体を刃に変えることもあるし、場合によっては縫い手の側に跳ね返ることもある。セイはとっさに手を引いたが、彼の影もまた細くなっていくのを感じた。胸の内側から、影が抜けていくような感覚。針を握る指が痺れ、彼の周囲の光が一段と薄くなる。
「やめろ!」イレズが叫び、同時に別の手が割って入った。彼女は小型の投光器を取り出し、女性の顔を鋭く照らした。光にさらされた顔が変わる。笑みが凍る。リングの紋章がはっきりと見えた。三日月が切れた輪郭——セイの胸の中で、断片が合致する。
「裁定騎士団の印だわ」イレズが低く告げる。だが女性は済ました様子で笑った。「いい目ざわりね。だがそれで何が変わるの? あなたたちが騎士団に証拠を突きつけたところで、どれだけの声が集まるのかしら。私がここで叫べば、すぐさま見回りが来る。あなたたちは混乱する」
彼女は嘘を重ねる。だがその嘘がさらなる刃を生む。縫い目が、指の内側をさらに浅く切った。女性は血を拭おうと指に力を入れたが、動きがかえって苦痛を伴う。手から指輪が滑り落ちる。金属が石畳に落ちる音が、石畳の深さに吸い込まれた。
その瞬間、別の手が反応して指輪を奪った。ラヴィン──路地の護り手になりつつある中年の男が、咄嗟に飛び出して指輪を拾い上げた。彼は余計な行動を取れば通報を招くことを承知していたが、行動は彼自身の判断だった。自己の判断で動く仲間がいる。それはセイが守りたかった種類の力だ。
「渡せ! 警報を鳴らすつもりならばな」女性は吐き捨てるように言い、足早に路地の出口へと向かおうとした。セイはまだ針を握っていた。縫い目の刃は彼女の袖を裂き、皮膚を抉っている。音がする。呼吸が重くなる。
「待て」セイが声を張った。「止めろ、ここで叫ぶんじゃない。私たちが欲しいのは証拠だ。裁定騎士団の名を示せる物だ。ここで騒ぎを起こせば、彼らは証拠を消す。君を問うのは後でいい。まず、リングだ」
彼の言葉は本心だった。中でゆらいでいる部分もあった。女性の嘘が縫い目を刃に変えたのは、彼の責任だ。だがここで彼女を討つことは容易い。縫い目の刃を深くしてしまえば、彼女は重傷を負