異世界転生雨傘職人の王都魔導師

異世界転生雨傘職人の王都魔導師 第12話「第11章」

カイは店の前で、なによりも真っ先に救いたかった屋台へ走ろうとしていた。焼けた油の匂いが風に混じり、市場の石畳を挟んだ向こう側で木枠が軋む音がする。屋台の屋根が二つ、三つと崩れかけ、その下に人影が埋れている――それを見捨てるわけにはいかなかった。

カイは店の前で、なによりも真っ先に救いたかった屋台へ走ろうとしていた。焼けた油の匂いが風に混じり、市場の石畳を挟んだ向こう側で木枠が軋む音がする。屋台の屋根が二つ、三つと崩れかけ、その下に人影が埋れている――それを見捨てるわけにはいかなかった。

「マルタ、ジン、そっちの通路を空けてくれ。下手に兵が突っ込んでくる前に、人を出すんだ!」

マルタは、自分の店の角材を片手で押さえながら、短く息を吐いてから頷いた。通称マルタの果物屋は、ここ数年で市場の連帯をまとめるようになった人だ。ジンは肩幅の広い若者で、荷をさばく腕っ節が自慢だ。二人とも、今この場で何をすべきかを知っている。だが、障害は兵士でも瓦礫でもない——空から落ちてくる「魔力雨」の、それぞれの人が心の奥で恐れている一つの粒だった。

「カイ、あの列の中に、直したやつを持ってるのが数人いる。使ってもいいか?」

ジンが差し出した小さな列には、カイが先月こっそり手を入れた傘が数本ぶら下がっている。擦り切れた布を新しい端糸で留め、骨の歪みを直し、柄には市場用のしるしを刻んだものだ。傘はただの道具に戻ってはいない。直された傘は、持ち主が自分の手で開いた瞬間に、一つの恐れる雨粒を弾き、その周囲に短い安全域を作る。彼はそれを知っている人たちと約束を交わしてきた。傘は彼の能力の媒介であり、契約にも近い。

「いい。ただし、持ち主自身が開くこと。俺が開くとか、誰かが代わりにさすのはだめだ。閉じた傘に頼ると――」

言葉を切る。カイは自分の手の甲を見た。閉じた傘を他人のために使うと、自分の記憶が濡れて消えていく。過去にそれを成した者の声を、まだ覚えている。忘れられた日々があまりに残酷だったから、彼はその恐れを人に聞かせることを避けてきた。だが今、目の前で焼け落ちそうな屋台がある。選ぶのは、守るべき人々か、自分の過去かだ。

「分かってる。持ち主自身に開かせる。誰も代わるつもりはない」

マルタの目が鋭くなる。彼女の手は震えているが、その先には幼子を抱えた老女がいた。老女の顔は真っ青で、唇が震えている。あの人は三年前の雨で屋根を失い、家を追われた。彼女が恐れている「一粒」は、子どもを失う記憶の再来だろう。カイは一歩前に出て、彼女の肩に手を置いた。

「ミラ、落ち着いて。ゆっくりでいい。自分の手で、傘を開いて」

ミラは俯いていたが、カイの顔を見て、震える指で傘の柄を掴んだ。傘は彼が直したものだ。彼女の掌が開いて布を引き上げる。骨が軽く鳴る。空気が――瞬きすれば聞こえなくなってしまいそうな、細い鈴のような音を立てた。布の端が空気を切ると同時に、空気がわずかに濡れたような匂いを返した。

そのとき、ミラの前、ほんの拳大ほどの水滴が垂れてきて、地面の屋台布に落ちる寸前でふっと逸れた。水滴はまるで見えない壁に弾かれ、小石がぶつかるような鈍い音を立てて横へ弾かれた。周囲の人々が息を呑み、ミラは子どもをぎゅっと抱きしめて泣き出す。恐れが引かれていくのを見て、カイの胸は熱くなった。短い安全域が、その場を湧かせる小さな奇跡になったのだ。

「次、向こうの三連の屋台だ。そちらの人に合図して」

カイは指示を飛ばす。彼は自分の能力の仕様を知り尽くしている。直した傘、持ち主が自ら開く、弾くのは“一つ”の恐れる粒だけ。そして、閉じた傘に頼れば記憶は滲んで消えていく。つまり大量の人々を一網打尽に守ることはできない。それでも今日は、できる限りの人数を守らねばならない。評議会の傭兵たちが市場の中を走り回り、人工雨をばら撒いている。目的は市場の混乱を招き、住民の動揺を理由に管理を強化することだ。

「自分で開くのが怖い」と、若い魚屋が震えた声で言った。彼の手は血だらけで、刃の扱いを学んだばかりの傷がある。彼にとって「恐れる一粒」とは、自分が刃で仲間を傷つける悪夢の再来だ。カイは魚屋の眼を見る。彼は相手を押し切るような説得はしない。自分で決める余地を残すことが、いつも大事だからだ。

「何が起きても、誰もあなたを罰したりしない。自分で開けば、その一粒を弾く。責めたりはしない」

青年は少しだけ顔を上げて、震える息で傘を開いた。骨の間から、微かに青い光のようなものが透けた。その光は、人の恐れの輪郭を拾い上げるかのように、一粒に集中した。針のような粒が落ちてきて、若者の胸元で弾かれる。水滴は弾かれて地面で弾け、屋台の壁に水玉の模様を残して消えた。その瞬間、青年は肩を震わせて泣いた。彼の手に握られた包丁が震えているのを、誰も責めやしない。周囲の人間が手分けして彼の傷を包帯し、無言で支えた。

救助は連続して起きた。直した傘を持つ者たちが、自らの恐れを胸に開き、短い安全域で隣人を引っ張り出す。カイは屋台の隙間を抜け、下敷きにされた者を引き上げ、肩を貸す。彼は傘をさして見せることはできない——傘は持ち主が開くものなのだ。だが彼は修理と伝達と、そのときの判断を与える存在だった。屋台の屋根の下で微かな影が動くたびに、誰かが傘を差し、誰かが救われた。

「向こうの角だ、そこが一番酷い!」ジンが叫ぶ。焦げた木片が散乱し、兵の一部隊が制圧しようとしている。彼らは鋭い棒の先に、小さな噴口を付けていた。そこから放たれる雨は普通とは違い、狙いを持って地面へ落ちる。それは「選別」の象徴であり、落された先で人々の移動や記憶、感情を痛めつける。カイはその群れを見て、冷たい苛立ちが湧くのを感じた。ここで止めなければ、この市場は散り散りにされる。

「俺が行く。マルタは人々を集めて。ジンは抜け道の確保を」

「無茶はするな」とマルタ。しかし彼女の手は止まらない。三年前に家を失った人々が、彼女に希望を寄せている。カイは知っている。彼が守る対象は、目の前で助けを求める個々の人々だ。彼らは最初に彼に助けを求めた者たちでもある。だから彼は行くしかない。

角へ近づくと、兵の一隊がほどけ、暴力の輪が濃くなる。短剣の先端に滴る光、兵の指示で撒かれた雨の筋が人混みに裂け目を作る。カイの胸の奥に、昔の傘修理店の記憶が浮かぶ――客の笑い声、糸を結ぶ手の感触。だがその記憶の縁が、微かにぼやけている気もする。使い過ぎたわけではない。閉じた傘に頼んだ覚えもない。だが、ここ数日の夜、彼の頭の中で抜け落ちる小さな空白が増えた。昔の店に置かれていた黒い穴のあいた傘のことを思い出すと、その形だけはあるのに、柄に刻まれていた文字が何だったかまで思い出せない。

それを追っている暇はない。カイは人々と合図を取り交わす。彼が向かった先では、黒い布の小さな傘が数本、直して欲しいと頼まれて預かっている。だがそれらは今、持ち主の手の中にある。彼らは自分で開く。順番に、場所ごとに、彼らの恐れが一粒ずつ弾かれていく。兵が放った数本の雨の筋は、傘の短い安全域の網で次々と逸らされ、救われた人たちは地面に転がり出るようにして避難させられた。

連続救助が功を奏し、兵は手前の混乱に飲まれた。怒声と鉄の爪が交じり合い、指揮官の笛が空を裂く。だが市場の人々は、いつしか秩序を取り戻していた。カイの存在は、傘を通じて「共にやる」ことの合図になっていた。自分で開くことを選ぶとき、人はただ