異世界転生硝子工の発明王

異世界転生硝子工の発明王 第21話「第19章」

ユイは窓の前に立ち、指先に残るガラスの微かなざらつきを確かめた。今、したいことははっきりしている。あの装置を一度だけ、十分な規模で働かせること。王都の毒霧が張り出した東側の一角――運河沿いの倉街を一時でも薄くし、物資と人の通路を作る。そこを押し開けば、下町の生活圏が圧迫から逃れられる。妨げになるのは時間と、装置を動かすために必要な「彼の吹きガラス」が足りないこと、そして何より、彼個人にかかる代償だった。

ユイは窓の前に立ち、指先に残るガラスの微かなざらつきを確かめた。今、したいことははっきりしている。あの装置を一度だけ、十分な規模で働かせること。王都の毒霧が張り出した東側の一角――運河沿いの倉街を一時でも薄くし、物資と人の通路を作る。そこを押し開けば、下町の生活圏が圧迫から逃れられる。妨げになるのは時間と、装置を動かすために必要な「彼の吹きガラス」が足りないこと、そして何より、彼個人にかかる代償だった。

「ユイ、まだ決めかねている顔してる」カリナが脇へ寄り、木の台に置かれた試作器具を覗き込む。彼女は工房の指導書係であり、記録を整える役目を負っていた。細かな文字で手順を追う彼女の目は、どこか厳しさと柔らかさを混ぜていた。
「一度きりにするなら、分け合える準備は整っているよ。でも、気持ちが曇ったら駄目だ。あの効果が逆に働くのは怖い」トムが言う。古参の職人で、鋳型の手際は誰よりも早い。トムは腕を組み、やや遠慮がちにユイの表情を覗った。ユイは深く息を吐き、掌をぐっと握った。手の平にはこれまでの代償として残った窪みが、縦に走る筋として刻まれている。

「僕は……ちゃんと選択を共有したい。君たちにただ押し付けるんじゃない。だが、今はこの装置を動かす人間がいないと始まらない。僕が吹けば動く。でも」ユイの声は震えを含んでいた。彼は自分の胸の中にある小さな不安の影を見逃さなかった。怒りや焦り、不安が混ざれば「曇った心」になってしまう。能力はそれを逃さない。

カリナが手帳を差し出す。「記録係として、複数の媒体で残す。文字、図、証人の署名。歌にしておくのもいい。忘れさせようとする相手には複数の層で証拠を突きつけるべきだわ」
「そうだ。記録を一つにしておくと消される。粘土板、鉄板、布の刺繍、歌、目撃者の列――できる限り」とトム。声に力が戻る。住民たちは自分たちの声で守ることを学んでいた。ユイはそれが何よりの頼みだった。

彼らの前には装置の骨格があった。長い鉄の輪に幾つものガラス枠を嵌める台形の機構。原理は単純だ。ユイが自分で吹いた窓を枠に嵌め、装置の焦点となる「熱と色の逃げ口」を王都の外れ、使われなくなった炭鉱の空洞に向ける。ユイの能力は、自分で吹いた硝子に限り、通した光の熱と色を一度だけ別の場所へ送れる。それを効率よく遠隔に導くのが装置の役目だった。ただし、一枚ごとに一度ずつしか効果は使えない。だから数十枚を一斉に動員し、同時に放出することで広域の霧を一度に押し戻す必要がある。だがユイが吹ける枚数には限りがある。代償が彼一人に集中すれば、手の痛みは耐え難いものになるだろう。

「分担しよう」カリナが言った。「僕が歌と詩で記録を。トムは鋳型を整えて。アラとヘルマ、外の連絡を頼む。窓の磨きと嵌めはみんなでやる。吹くのはユイでいい。でも、もしも痛みが来たら、直ちに中断する。合図は三度の鐘で。誰も独断で続けないって約束して」

住民の顔が集まり、その目に決意が燃えた。彼らは自分たちのために、自分たちの体と記憶を守る方法を考えた。ユイは胸が熱くなり、恐怖が少し薄れた。孤独な英雄ではない。皆が肩を寄せ合い、選択を分かち合う。

装置の準備は一昼夜を要した。窓枠を並べ、風除けを仕立て、長い導光管を整える。ユイは吹き竿を握るたびに、手の中で過去の痛みを確かめた。あの割れた窓のときの残響。夜ごとに疼く、痺れるような痛み。だが今は痛みよりも恐れが勝らない。もし──と言う仮定が、彼を押し潰しかねなかった。彼は自分の心を澄ますために、ゆっくりと呼吸し、窓を吹き上げる前にみんなに向かって言った。

「僕はみんなと一緒に分担する。もし僕が耐えられなくなったら、僕の手を止めてくれ。ただし、曇った心で吹くことだけはしない。誰かが死にたくないのなら、僕の胸から憎しみや焦りを追い出してほしい。ここにいる全員のために、冷静でいたい」

皆が小さく頷く。誰も無責任には振る舞わない。準備は整った。ユイは最初の窓を吹いた。硝子が赤熱する。彼の肺から吐かれる息が管を満たし、形をなす。光がその中でゆらぎ、未だ見慣れぬ色の層をつくる。彼は一枚、一枚、慎重に吹き続けた。数は限られていたが、装置にセットする窓は必要十分であるように思えた。

吹いている間、ユイは自分の思考を閉じた。恨みや復讐の想像を頭に描かない。代わりに、工房の窓枠に子供が笑う光景、朝飯を運ぶ老婆の肩の安堵、運河を往来する舟の光を想像した。それらは彼の心を澄ませるための画だった。硝子の色は彼の心の透明さと反応する。能力は曇りを見逃さないが、透徹した願いにはしばしば応える。

最後の一枚を嵌め終え、装置は静かに振動した。導光管が向く先は、王都外れの炭鉱の空洞。昼下がりの風は冷たく、毒霧は濃い。ユイは合図の鐘を三度鳴らした。住民たちがそれぞれの位置に付く。歌が始まり、記録係が音声を留め、鋳型係が最後のチェックをする。彼は吹き竿を口に当て、一呼吸、二呼吸。体内の空気がすべて硝子に注がれていくように感じた。

「行くよ」ユイが低く言った。視界の隅でカリナが手を軽く振る。ユイは躊躇いなく息を吐き、装置の中心に置かれた複数の硝子枠にその一次元の色と熱を込めた。光が歪み、装置の導光管に吸い込まれていくのをユイは感じた。ちょうど一瞬だけ、手の中で世界が移動するような感覚が走った。冷たい痛みが掌に走る。だが彼はひるまなかった。想像していた光景を強く思い描き続ける。

その瞬間、装置全体が深い呼吸のように収縮し、そして一斉に放出した。導光管の先、炭鉱の空洞が一瞬にして赤く、そして蒼く光った。熱と色が空洞に吸い込まれ、そこに一つの異様な煌めきを形成する。運河沿いの倉街の霧は、音立てることなく薄くなり、風が通る。倉の軒先に吊るされた布が揺れ、通行可能な細い帯ができた。人々の顔に驚きが広がる。子供が拍手し、老婆の目から涙が伝う。

「効いた……!」トムの声が叫ばれた。皆が歓声を上げる。だがその瞬間、ユイの手は冷水を浴びたように痺れ始めた。痛みが、遅れてやってきた。掌から指先へと鋭く裂けるような痛みが走り、彼は膝をつきそうになる。周囲の誰かがすぐに手を差し伸べ、彼を支えた。彼は必死で息を整え、痛みに耐えた。合図の鐘が三度鳴る前に自らを止めることはできなかったが、皆の手が彼を支えたから、事態は悪化しなかった。

その夜、下町は久しぶりの静けさに包まれた。運河の小さな灯が呼応し、少しだけ空が明るく見えた。物資は一時的にだが通れるようになり、困窮していた居住区は救われた。しかし、安堵は長くは続かなかった。翌朝、王都の広報が一つの告示を流した。王都の大臣の名で出された文章は、あまりにも冷たく、計算された言葉だった。

「先般、未許可の『浄化装置』による異常現象が確認された。王都はこの事象を科学的に検証する権限を有する。必要と判断する場合、公共の安全を守るため、関係者の記憶に係る行政的措置を講じることがある。市民は秩序ある対応を求められる」

それは明らかに示唆に満ちた文面だった。記憶に係る行政的措置――言葉の裏には、工務卿の得意とする「制御」が見え隠れする。ユイはその文を読み、胸が冷たくなった。記憶を操作されるという