ちいさな牙で竜を噛む 第10話「第九章」
ポロは火を怖がっていた。自分の火、というよりも「火が何をするか」を――火が誰かの痛みや孤独を吸い取って成長する、という性質を知ってからの恐れだった。仲間を守るための炎ならいい。しかし、炎が相手の中の何かを根こそぎ持っていってしまうのなら、自分はそれを吐く資格がない。そう思って、ポロは一つだけの火花を大切にしてきた。胸の小さな光を、他の誰かの闇の犠牲にしてはならないと自分に言い聞かせるように。
ポロは火を怖がっていた。自分の火、というよりも「火が何をするか」を――火が誰かの痛みや孤独を吸い取って成長する、という性質を知ってからの恐れだった。仲間を守るための炎ならいい。しかし、炎が相手の中の何かを根こそぎ持っていってしまうのなら、自分はそれを吐く資格がない。そう思って、ポロは一つだけの火花を大切にしてきた。胸の小さな光を、他の誰かの闇の犠牲にしてはならないと自分に言い聞かせるように。
灯りの薄れた排水溝の通路で、ポロは一歩ずつ前へ進んだ。岩肌に沿う湿った空気は、彼の小さな背中の鱗を冷やし、鼻先に入る硫黄と土の匂いは、幼竜の記憶を掘り起こした。そこには、暗く重たい時間があった。卵の殻の内側で、誰も抱きしめてくれなかった気配。殻の外の世界で叫んでも、声は翼のように打ち消されるだけだった。ポロの小さな胸は、その夜々の孤独をまだ忘れてはいなかった。
「行かないでくれ」と、どこか遠いところから声がしたように感じた。ポロの耳鳴りのように低く、けれど甘い。ゼルグの声だった。地下の奥から來る声は体の奥まで響き、ポロの火をそっと誘う。ここへ来れば、もう弱いと笑われない。ここへ来れば、誰かが「お前はこれでいい」と抱きしめてくれる。ゼルグはそう約束した。約束――それは簡単に破られうるとポロは知っていたが、その響きには慰めがあった。孤独は、時に約束の音に非常に弱かった。
彼は振り返る。仲間たちの姿は影の塊として見えた。ルカは背中を丸め、手を前に伸ばして彼を見ている。ミミは小さく身を低くし、逃げ道を探している。ガンガはあの大きな甲羅を丸め、地面に耳を当てている。セラは薬瓶をぎゅっと握り締め、呼吸を整えていた。ポロはその顔を見て、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。彼らはいつだって自分の弱さを、恥じることなく向けてくれた。だが、自分が変われば、そうした温度が壊れるかもしれない。もし自分が大きくなってしまえば、仲間たちの小さな灯りを奪ってしまうかもしれない。ポロはそれが怖かった。
ルカがゆっくりと近づいてきた。彼の動きは配慮に満ちていた。前世の夜、道路脇で震える子犬の胸に手を置いたときのあの動きの残響だ。牧野透として培った節度のある優しさが、ルカの身体にそのまま組み込まれている。ポロはそれを感じて、少しだけ体を寄せる。ルカは強制をしない。命令の代わりに、ただ存在を示す。そのことが、ポロには何よりも重かった。選択の余地が与えられることが、彼にとっては赦しに思えた。
「来るな、とは言えないね」ルカの声はかすかに震えていた。炎の熱が自分たちにも伝わってくるのを感じて、彼はポロの首の付け根に手を置いた。触れるだけで、ポロの心臓は小さく跳ねる。ルカはそれを、慣れた手つきで確かめる。透だった頃、傷ついた子を撫でるときの手。相手の怯えに合わせて呼吸を落ち着けるときの手。ルカは、そのすべてを今ここで使っていた。
ポロは、額をルカの掌に押しつけた。小さな信号だ。言葉がないからこそ強い合図だった。ルカは目を閉じ、静かに息を吸った。触れた瞬間、世界が薄い膜のように震えた。胸の奥から来る三拍のリズムが、ぽろぽろと水面に落ちる石の波紋のように広がる。ルカの耳にはポロの小さな心音が聞こえ、そのすぐ後ろで低く、深い鼓動がうごめいている。それはゼルグの心音だった。大きく、孤独を喰らう欲望そのものが、ひびのように混ざって聞こえる。
心音接続はいつもそうするように、相手の声をそのまま送ってくる。だが今回は違った。ポロとゼルグの二つが同時に、互いを押し合いながらルカの中に押し寄せた。ポロの小さな温度と、ゼルグの巨大な空洞。二つの心音は同じ胸腔にぶつかり合い、ルカはその衝撃で膝の裏が痺れるような熱さを感じる。痛みが返ってくる。ポロの不安は鋭く、ゼルグの欲は重い。触れているだけで、ルカの頬を熱い汗が伝った。
「……聞かせてくれ」ルカは低くつぶやいた。命令ではない。請い願うような言葉だ。ポロは小さく唸る。それは抵抗の音でもあり、迷いの音でもあった。ルカは、前世の自分が学んだことを一つ一つ自分の中から取り出した。無理に抱き上げるのではなく、相手が自ら首を差し出すのを待つこと。固い殻を破らせるために殻の外側から力を加えるのではなく、小さな温もりをそっと差し入れること。透としての自分が、これまでに何度も子を助ける中で得たささやかな真理が、今ここで意味をなしている。
ポロの視界が揺れ、記憶の断片が流れ込んできた。暗い卵の中での孤独、殻の表面を誰かが叩いていった足音、だが戻ると何もなかった夜。小さな羽根のように柔らかいものを夢見た瞬間、代わりに剣の欠片の冷たさがあったときの恐れ。ポロは自分が竜の血を引くことを本能で知っている。だがその血は祝福ではなく、呪いのように感じられた。竜は力を得ると、人の恐怖を集めて更に大きくなるという話を、彼の中で誰かが囁いた。強さは孤独を呼び、孤独は更なる強さを生む。繰り返されるその円は、ポロにとってまさに破滅の連鎖だった。
そして、ゼルグの声。ポロの内部に触れたとき、ゼルグの音はあまりに近く聞こえた。「こちらへ来れば、もう誰にも弱いと言われない。こちらへ来れば、君はありのままを受け入れられる」と、深く、底なしに低いトーンが彼の内側をなでる。そこには優しさがまぶしく偽られているようにも思えた。だが、ポロは耳をふさぐことができなかった。なぜならその優しさは、彼が生まれて初めて聞いた「選んでくれる」という可能性の音に似ていたからだ。
ルカは痛みを感じながら、しかしそのまま立っていた。三体同時接続の制限を目前にしていたわけではない。今、接続しているのは一体だけだ。けれどゼルグの声が大き過ぎる。もしルカがそのまま接続を続ければ、ポロではなくゼルグの空洞に飲み込まれるかもしれない。心音接続は術ではなく窓だ。覗く者には見えるものがあり、突き落とす力はない。だが見えてしまったものの重さは、確かに取り返しがつかない。
「僕は……」ポロが震える声を上げた。言葉は少しずつ、亀裂の入った鏡のようにこぼれる。彼は何度も火を吐く訓練をしてきたが、炎が相手の心を喰うという想像は、いつも彼を躊躇わせた。ポロは言葉をつなぎ、ゆっくりと自分の願いを明かした。「力が欲しいんじゃない。強くなりたいんじゃない。誰かに選ばれたいんだ。……一度でいい。誰かのものになって、もう忘れられないでいたい」
その告白は、薄暗い通路の空気を震わせた。ルカは胸が詰まるのを感じ、ポロの小さな脈を指先で確かめる。選ばれることを望むのは、恐ろしく人間らしい欲望だ。誰かに必要とされるということは、生きている証であり、同時に他者の物差しに自分を委ねることでもある。ポロはその両方を一度に欲しかったのだ。
「選ばれると、すべてが許されると思う?」ルカは問いかけた。自分の内面にある疑問を、相手の願いとして返すように。それは自分が透のときに幾度となくした問いかけでもあった。助けを求める動物に向かって、人は何を与え、何を奪うのか。助けることがいかに傲慢になりうるのか。彼はポロに答えを押し付けない。答えはポロの中にあった。
ポロは瞳を細め、そしてゆっくりと空を見上げた。湿った岩壁の上