月蝕湖のダイバー――沈都の命脈を継ぐ転生救難士

月蝕湖のダイバー――沈都の命脈を継ぐ転生救難士 第1話「序章」

水は夜を掻き分ける刃になっていた。街灯の黄色は軋み、屋根から落ちる雨粒が細い刀のように頬を打つ。朝倉湊は胸まで冷たい流れに浸かり、荒れ狂う川の向こうで小さな手が必死に水面を叩くのを見ていた。向こう岸との距離はほんの数メートル。だが、その数メートルが彼の職歴と罪悪感を何度も繰り返し思い出させた。

水は夜を掻き分ける刃になっていた。街灯の黄色は軋み、屋根から落ちる雨粒が細い刀のように頬を打つ。朝倉湊は胸まで冷たい流れに浸かり、荒れ狂う川の向こうで小さな手が必死に水面を叩くのを見ていた。向こう岸との距離はほんの数メートル。だが、その数メートルが彼の職歴と罪悪感を何度も繰り返し思い出させた。

「湊、ロープ! 端持て!」隊員の声が風に引き裂かれた。防水のヘルメットに打ちつける雨。彼は振り返らずに言う。「切れたら、ここで終わりだ」。呟きは自分自身への言い訳でもあった。隊の手順は確かだ。だが湊は、いつも手順が間に合わない場面を知っていた。子どもを見れば、判断は即座に体を動かした――遅れることが死者を増やすのを、彼は何度も見てきた。だから、今夜も自分で行くと決めていた。

水流は牙をむいて彼の脚を引き裂こうとする。胸のプルオーバーが重量を増し、息が肺の中で滑るように薄くなった。対岸の子どもは黒いコートを腕にまとわせて、肩越しに向こうを見上げていた。その顔は水に濡れた髪で半分隠れ、眼球だけが白く、懸命に何かを求めていた。湊はその白を見て、過去の夜を見た──救えなかった少年の口の中で、最後の空気が泡になって消えた夜を。

彼は走った。足が滑り、泥と瓦礫の匂いが鼻を突いた。ロープを持った同僚二人の腕が張り詰める。リスクを分散させるはずの手順の輪を、湊は一つ分解して飛び出した。誰かの声が「座標を合わせろ」「待て」と命じたが、彼の耳にはそれらが遠い。彼の世界はその白い瞳と水の脈だけだった。

子どもの手がようやく届く。湊はその手を掴み、腕の力を全部使って押し上げる。岸へ引き上げる瞬間、誰かがロープを踏み外し、波が口を開ける。子どもは湊の胸で喚き、泥だらけの衣を震わせていた。救助は成功したと思えた──一拍遅れて、次の音が耳を貫いた。

背後の鉄塔から伝ってきたサイレン音。いや、サイレンだけとは違う。高い金属音が響き、三度、間をおかずに繰り返された。最初の一打は地鳴りのように胸を押し、二度目は思考が切り替わる合図のように過去の断片を引き寄せ、三度目は何かの区切りを宣言する鐘のようだった。湊はその三回目の余韻を聞いて、胸の奥がざわつくのを止められなかった。

「何だ、今のは?」誰かが後ろを振り向いた。夜の風が、その音をつれて低く笑った。湊は子どもの濡れた頭を抱き寄せてから、自分のポケットに手を入れた。月形──小さな救難ライト。彼はいつもそれを携帯していた。角が削れた銀色の輪郭、裏面に貼られたテープ、紐に通した小さな金属片。暗闇の中でそれは灯るほどの明かりではないが、手に馴染むだけの重さがあった。

ライトは震える指の中で妙に滑った。溝に注ぎ込む泥と雨が、その表面を曇らせる。湊は無意識に光を点け、薄い光が水滴を拾って月のように瞬いた。彼はその光を子どもの方へ向け、濁った水面に小さな安全な島を作ろうとした。しかし、その光は彼の指の間で弾くように逃げ、次の瞬間、滔々とした水はライトを返してしまった。

「ダメだ、離すな!」同僚の声も届かない。ライトは指先を滑り、流れに掴まって一瞬で押し流された。湊は反射的に手を伸ばした。冷たい金属に触れた感触は短く、光は水の中へ落ちていった。濁流はその一角でさざ波を作り、ライトは静かに沈んだ。沈む光の周りに、白い輪が広がった。闇の中に、まるで別世界の窓が開いたように。

光が底へ触れた瞬間、水面の下に何かが映った。逆さまに開く建物の影、曲がりくねった路地が弧を描いている。三日月の形をした街路。夜の闇に吸い込まれるように沈んだ街が、まるで水の鏡に描かれた反転の絵のように広がった。その向こうに、低い塔が一本――鐘楼のようなものが揺れているのが見えた。光はそこへと糸をつなぐようにまっすぐ、銀の筋となって伸びていった。

湊は息が詰まり、海の底に沈むような重さで後ずさった。背中が泥に擦れて、手のひらが震えた。ライトの光が水底で何かに触れると、かすかな振動が周囲の水を通じて彼の胸に届いた。振動は、あの三つの金属音を反復していた。彼はそこで確信めいた錯覚に襲われる。あの音は偶然ではない。何かが合図を送っている。あるいは呼んでいる。

目の前の子どもはまだ呻いていた。泥と恐怖で小さな腕をぎゅっと握る。彼女の肩越しに聞こえる隊の声は、今や手順の復唱ではなく混乱の断片になっていた。湊は振り返り、無意識のうちにいつもの考えに囚われた。「自分が行かなければ」。その思考は鋭利だ。彼は知っていた、待つことが時として正しい判断を生むと。だが、その場で見える命が一つでも増えるのなら、彼はいつでも自分を捨てると誓っていた。

冷たい水が首筋を引き裂く。波が肩を越え、寒さが神経を麻痺させる。湊は、子どもの肩に手をかけたまま、後ろへ倒れ込んだ。誰かが伸ばしたロープが彼の足首をつかみ、仲間の力で二人は岸へ引っ張られた。泥に擦れる音。戻る手の温度がわずかに彼の指先を取り戻す。彼は生きているはずだった。

それでも、足下の水の中に落ちていく光のことが脳裏から離れない。あの光は、たかが金属製の救難ライトにしては妙に反応が早かった。底で広がった街路の銀い線、それが自分の目を見透かしているようだった。湊は自分の胸にしまい込んでいた過去の夜の断片を取り出すように、頭の隅の記憶を繋げた。指先を噛んでしまった少年の顔。救助の手が間に合わなかった家族。すべてが重なって、彼の鼓動は速く、粗くなった。

だが運命は静かに牙を引き寄せる。岸に這い上がろうとする瞬間、足場の泥が崩れた。彼の左脚が一瞬宙を舞い、バランスを崩して背中から水へ翻った。冷たさが全身を撫で下ろし、視界が一瞬ぼやけた。周囲の声は遠く、斜め上から三つ目の鐘の残響のように聞こえる。湊の耳には、先ほどの金属音がまた鳴り、今度は間を取らずに連続して襲ってきた。

「三……」彼は口の中で何を数えたのか、自分でもわからなかった。言葉は波に押し流され、口元から泡になって消える。光は深く、深く沈んでゆく。彼は何とか上体を起こそうとしたが、力は抜け、視界は水のゆらめきに掻き消された。水中の世界は、思ったより静かではなかった。水の輪郭に沿って、小さな光の粒が流れていく――それは空気泡か、それとも何かもっと繊細なものなのか。

目の前にあの逆さの街が再び映る。低い塔がまるでこちらを睨むように立ち、窓の一つがぽっかりと開いていた。開いた窓から何かが漏れ出し、潮のように彼の思考へ流れ込む。見覚えのある匂い、錆びた鉄の声、何かの刻印のような図形。光はその窓に吸い込まれ、光の縫い目が開いていった。背中の力がすべて抜け、湊は水の底へと沈む。

沈む間にも、耳はあの三打の余韻を数え続けた。最初の一打は彼に「行け」と言い、二打目は「止まれ」と告げ、三打目は何かを決定したのだろうか。湊は頭の中で、助けられなかった顔の名前を次々とつぶやいた。救えなかった子の名前、待たせた家族の名、そして――自分の名。朝倉湊。彼はその音を確かめようとしたが、記憶の端が水に溶けていくのが感じられた。名前は指の間から零れ落ちる砂のように形を崩し、音が薄くなっていく。

光が完全に水底へ沈むと、そこに小さな輪ができた。輪はゆっくりと閉