こども王 第13話「第12章」
日差しは強かった。校庭の砂は昨日の雨でまだ湿っていて、子どもたちの足跡がぐにゃりと残る。リクはその一つ一つを見つめながら、手の甲にかすかな震えを感じていた。手にはまだ、昨夜の墨の匂いが残っている。子どもたちが自分で書いたという、あの小さな願いの束——それが彼を今ここまで動かしたのだ。
日差しは強かった。校庭の砂は昨日の雨でまだ湿っていて、子どもたちの足跡がぐにゃりと残る。リクはその一つ一つを見つめながら、手の甲にかすかな震えを感じていた。手にはまだ、昨夜の墨の匂いが残っている。子どもたちが自分で書いたという、あの小さな願いの束——それが彼を今ここまで動かしたのだ。
「ねえ、王さま。本当にもうこれ以上しないでいいの?」
問いはミラ先生の声だ。黒髪を後ろで束ねた女教師は、額に汗をかきながらリクを見下ろしている。校長のソルンも脇で腕を組み、顔には疲労と安堵が混じっていた。周囲には子どもたちが輪になり、耳をそばだてている。ハナは九つの小さな手を組んで、真剣な目でリクの顔を見つめていた。
「いいの、ハナ?」リクが問い返す。十歳の王としての声はまだ子どもらしさを残していたが、ここ数日の決断がどれほど重かったかを知る目が自分のものを越えてしまったように感じる。
ハナは首を振らない。砂まみれの膝を抱えたまま、つぶやくように言った。「うん。わたしたち……自分で決めた。だって、おとなが決めると、あとでうそをついたり、忘れたりするでしょ。だから、わたしたちが自分で『兵役にとられないでください』って書いたんだもの」
ミラ先生の眉が動く。彼女はリクより年上だが、元児童相談員だったリクの前職を知る数少ない大人の一人だった。教師としてのプライドと、元同僚としての痛みが入り混じる表情をしている。
「無理に書かせたんじゃないのね。だれかに押しつけられた願いなら駄目よね」
リクは小さく息を吐く。能力の条件——自分より年下、かつ自分の意志で選んだ願いであること。誘導は暴走を招く。言葉にしなくても、そのルールがここにいる全員の胸にある。誘導された願いは、たとえ見かけ上は救いに見えても、王令として機能したときに意味を歪める。だからこそ、彼らは子どもたちの自発を最優先にした。
「例の書類が見つかったのは、昨夜のことだ」ソルンが口を開く。彼の声にはまだ興奮が残っていた。「倉庫に放り込まれていた古い台帳だ。字はみんな子どもの字に見える。だが、日付や通し番号、押印が後から付け足された形跡がある。役所の書記がひとり、夜に持ち出していたらしい」
「改竄の痕跡ね」ミラ先生が言う。彼女は台帳のコピーを抱えていた。用紙はところどころ茶色く変色していて、ひび割れたような線が走る。そこに並ぶ筆跡は幼く震えているが、他の書き込みとの不一致が目立つ。若い書記が、あるいは誰かが子どもの文字を真似して、あとから決裁の印を押してしまった——それが意味するものは大きかった。
リクは無言でコピーを受け取り、指先で一行ずつ追う。字の曲がり方、ひらがなの崩れ、丸い「の」の書き方。児童相談で見てきた数え切れないほどの文字が蘇る。ある「けっしんする」と書かれた箇所には、鉛筆の強弱が大人の指示で書かれたものとは違う躊躇があった。誰かが後から書類の体裁を整えるために線を引き、署名欄に押印した。それは、子どもの意思を装うための演出だった。
「これを町会議に出す。公開でな」ソルンの声に困難が混じる。「押印をした者の取り調べは必要だけれど、まずは徴募を停止させることだ。グレイにとって、これほど都合の悪い証拠はない」
「グレイの反応は予測できる」ミラ先生が付け足す。「彼はこの手を使って恐怖を作る。けれど、証拠がここにある以上、少なくとも市民の前で説明はしなければならない。出鱈目を押し通すには、説明責任が伴うから」
子どもたちのざわめきが一瞬大きくなる。ハナも隣のユウタも、自分たちの筆跡が「証拠」になったことを理解している。リクは彼らの顔を見回した。自分より年下の者たちが、自ら希望を声にしたことで立ち上がった。彼は喉がきゅっと締まるのを感じた。
「もし……今ここで、みんながまた『兵役にとられたくない』って自分の言葉で願ってくれるなら、王令として、その日だけでいい、守ることができる」リクはゆっくり話す。言葉は自分の意志を固めるためでもあった。「だけど、そのたびに僕は年を一日失う。誘導はしない。だれかに言わされたり、脅されたりしては駄目だ。自分で考えて、自分で願うんだ」
静寂が校庭を流れた。風が子どもたちの髪を撫で、砂埃が金色の粒になって揺れる。ハナは小さく頷いて前に出た。つま先だけで砂を蹴る。彼女は紙を取り出し、鉛筆を削り、ゆっくりと文字を書き始めた。文字はぎこちなく、小さな手が震えている。だが、その瞳は動かなかった。
「わたしは、兵役にとられませんように」ハナの字はまっすぐで、消え入りそうなほどの小さな誓いだった。だれかに言わされたものではない。周囲にいた幼い顔が次々と自分の紙を開く。紙の束は重なり、声は小さくなるが確かな波となって広がった。願いは個々の声で、同じことを求めていた。
リクは手にした紙を胸に押し当てるようにして、静かに目を閉じた。王令の発動条件が全て満たされた瞬間を、彼は肌で感じた。力は暖かくもなく冷たくもない、中間の感触で臓腑に染みてくる。それは命令でもなければ強制でもない。子どもたちの自発が、短く鋭い光となって彼の身体を通り抜ける。
しかし、力は安らかに流れるだけではなかった。使うたびに年を一日進めるという代償がある。リクはそれを知っていながら、決断する。昨夜の勝利で得た一時の平穏は脆く、グレイの幕引きを許すほど弱いものではない。だが、この街の子どもたちの顔を見ると、後戻りはできなかった。
最初の王令は学区全体を覆った。城下の北側、港に近い倉敷区、そして南の工房街の子どもたち。願いは個別に出されたため、力は何度も鳴る。――そのたびにリクの手足がじんわりと重くなり、視界の端が一瞬ぼやける。歳月の一日が自分から離れていく感覚は、まるで小さな虫歯を一点ずつ抜かれていくような痛みと似ていた。数回目には額の髪の生え際がほんの少しだけ変わった気がした。鏡を見れば、わずかに幼さが薄れた顔がそこにあった。
「おや、変わったね」ソルンが小声でつぶやく。だが、その言葉には非難はない。むしろ誇りと哀惜が混ざっていた。
上がってきた報告はすぐに町役場を震わせた。府の役人たちが台帳のコピーを並べ、押印の不自然さを論じる。グレイ派の役人は顔を引きつらせ、証拠を突き返すような言い訳を探す。しかし、コピーと筆跡鑑定に長けたミラの手がそれらを一つずつ示してゆくと、言い訳は次第に小さくなる。市会は緊急で開かれ、公開審理が決定した。
「ただし」ミラが会場に集まった市民を見渡して言った。「これが全ての証拠ではないかもしれない。だが、少なくとも先の徴募の合法性は問える。皆さん、自分たちの記憶を思い出してほしい。子どもの字で書かれた『了承』は、本当に子どもの了承だったのか」
年長者の一人が立ち上がり、震える声で答えた。「うちの子も……あの時、そう言った。でも、あとで役所の人が訂正を持ってきて。私たちも忙しかった。振り返った時、ちゃんと見ていなかっただけかもしれない」
その告白は重かった。多くの大人が自分たちの責任の一端を認める。リクはその場にじっと立ち、誰一人として自分の代わりに責任を取らないわけではないことを、肌で感じ取った。自分が一日ずつ年