陶工 第9話「第8章」
灰が混じった風が村の小道を巻き上げる朝、アカリは泥のついた掌で陶土の塊を押し広げながら、今一番したいことを口にした。
灰が混じった風が村の小道を巻き上げる朝、アカリは泥のついた掌で陶土の塊を押し広げながら、今一番したいことを口にした。
「イングの文書を、ここで跳ね返したい。根拠を持って、あの偉そうな役人どもに説明させるんだ」
隣で、肩に作業用エプロンを掛けたリクが鼻を鳴らした。鉄を鍛える音はまだ遠い。彼の指先には昨夜の消火で使った煤が黒く残っている。
「言うは易し、だ。証拠ってのはどうやって手に入れる。燃え残りの灰を拾ってきて、役人の顔に突きつけるか?」
アカリは唇を引き結び、手元の粘土に少しの灰を混ぜた。彼女の能力は、自分が手渡した土だけに働く。土を渡す──それが絶対の条件だ。渡された人の言葉にならない感情が、焼き上がった器の表面に模様となって現れる。だが感情は消せない。器を壊せば、そこに封じられていた感情が暴れ、壊した瞬間からアカリの手は温度を感じない。そうなると彼女は窯も火も区別できず、陶工として致命的だ。だから、土を渡す行為は慎重な合意でなければならない。
「分かってる。だから、無闇に配りはしない。持ち主の了承を得たものだけで、現場を採取する。灰の中に何か、手がかりが残っている。役人が口にする『安全のための移動制限』『労働の再配分』は、その残響を口実にしてるだけだって、示したいの」
彼女の声の端に、昨夜村の外で聞いた炎の残響が蘇った。遠い丘で、火の精霊がうめいたように、間歇的に小さな光がうねった。イングの工作で一度暴走した精霊の残響は、風に乗って外へ波及を始めている。作物の葉の縁が黒く焦げ、野生の小動物の毛が一部焼けている。村はその気配に神経をすり減らしていた。イングの官吏は「他地域へ被害が広がる前に規制を」と言い、移動と労働の制限を提案して回っている。すでに、通行証のような紙を配り始めた者もいる。村人の一人、立派な顎鬚の老夫は、工面された紙を燃やしてから憤っていた。
「移動を制限されれば、窯の材料も、鉄の道具も、遠方から来る交易も止まる。村は自分で自分の首を閉めることになる。イングはそれを狙ってるんだ」
そこへ、セイラが急ぎ足で駆け込んできた。若いが腕のいい見習いで、アカリが教え始めた者の一人だ。頬に煤、目に決意が浮かんでいる。
「アカリさん、外の方で、灰の中に手形が見つかったって。ユウさんが言ってた。あそこ、役人が『整理しました』って言ってた場所の近くよ」
ユウは村の年長者で、物言いは穏やかだが、過去の火山噴火のときに人々をまとめた経験がある。彼の情報は信用に足る。セイラの言葉で、作業場全体の空気がぎゅっと締まった。
「見に行こう。今すぐ」
アカリは粘土の塊をそっと戻し、腰の布を掴んで立ち上がった。手渡された土──それを持ち出すための同意を得るには、持ち主に直接会う必要がある。だが、灰の中の手形があるというのは、村外で何か隠蔽が行われた痕跡かもしれない。もし役人側がそこに関与しているなら、移動制限の名目が制度的支配へと変質する可能性がある。
外は薄曇り。灰が道端の草に白い粉を吹き、遠くの森がくすんで見える。村の行政小屋の前には、一枚の紙が釘で打ち付けられていた。白布に黒漆で押された紋と、下に小さな署名と印。印は見覚えがあった。黒い杯のような紋様──アカリはそこで一瞬足を止めた。黒い杯は、村で忌避されていた記号だ。古い噂では、火山の神事と関わるものだというが、最近ではイング側の印章にも似た模様が使われ始めていた。
「これ、ユウさんのところにも届いてた。『安全措置』だって。これを持ってる者だけが移動を許されるらしい」
ユウの声は低かった。アカリは目を閉じ、掌の中で土の感触を確かめた。温かさはあった。だが、それは彼女が作業台に置いた焼けた器の断片に触れたときと違い、確信のある温度ではない。器が壊されたときに失われる温度感覚のことが、必ず頭をかすめる。彼女はその手を震わせないように、ゆっくりと吐いた。
「私がするのは、見せること。誰かの悲しみを奪って黙らせるんじゃない。ここに証拠があるって、村人全員の前で示す。それだけ」
リクは唇を噛みしめた。「だが、役人が人を連れてくるかもしれない。証拠を掴むのに、赴けば危ない」
「危ないのは承知だよ」とアカリは答え、セイラに向き直る。「セイラ、ユウさんのところに行って。そこで署名をもらって、焼け跡のサンプルを譲ってくれる人を探して」
セイラはうなずきながらも、首をかしげた。「でも、土をもらうって……」
「土を渡すっていうことは、その人が自分の悲しみを預けるってこと。無理にはしない。了承を得た人だけにする。器ができたら、それを村の広場で見せるつもりだ。みんなに見てもらう。そのとき、同じ模様が複数の器に出るなら、不自然だって証明できる」
ユウがゆっくりと歩み寄る。年寄りの目には、長年の火山の記憶と、幾度もの役人とのやり取りが刻まれていた。
「手形、か……。数年前に、噴火の後で私が拾った灰にもあった。確かに、黒い皿の跡のようだったが、当時は何ともできなかった。判を押したようにくっきりと、掌の模様が残っていた」
アカリの脳裏に、その灰の中の手形の映像が浮かぶ。白い灰に黒く浮かび上がる掌。誰かがそこに触れ、何かを示したかったのか、何かを隠そうとしたのか。そうした痕跡は簡単には消えない。だが、役人は「整理しました」と言って、あっさりその場所を封鎖したという。
「封鎖したのは誰だ?」
「イングの巡回隊が来て、『危険地帯です。管理下に置きます』と言っていた。だが、その隊はそこから外へ出ようとしなかった。見張る理由を作って、通行を制限したんだ。今はそれを安全管理と呼んでいる」
ユウの言葉に、アカリは息を詰めた。手形と封鎖。両方が同時に出てくるのは偶然とは思えない。もしも手形が何かの記録で、役人がそれを隠したのなら、ここで示すべきは現物だ。現物──灰そのものと、それに触れた人々の感情が刻まれた器。だが収集は容易ではない。現場は今も制限区域だ。文句を言えば取り押さえられるかもしれない。さらに悪いことに、器を持ち帰る途中で誰かが壊せば、その暴走は現場で広がる。アカリはその確率を頭の中で計算した。
「行こう。夜に行く。巡回が緩む時間があるはずだ。リク、外の見張りを頼む。あなたの目は他に利く。俺は走ってばかりだが、村の道なら誰にも負けん」
リクは一瞬ためらったが、やがて大きくうなずいた。「分かった。だが、無茶はするな。こっちだって皆の家族がいる」
セイラはにぎり拳を作り、しかしまだ若い声で言った。「でもアカリさん、器を作るには誰かの土を受け取らないと……。ここでお願いしていいのかしら?」
「ユウさん、誰か、被災してここに土を預けてくれる人はいないか?」
ユウは横にいる老婆のハナを見た。ハナはアカリが村に来たとき、最初に助けを求めた人だ。噴火で家族を失い、言葉少なに毎日を過ごしている。彼女はアカリに旅支度の土を差し出したことで、最初に能力を使った被験者でもある。
「ハナ、頼めるかね?」
ハナの手が一瞬震えた。彼女は土に触れると、目を閉じた。アカリは彼女の意思を確かめるために、そっと距離を詰める。土を渡す──それは、誰かの内奥を