陶工 第4話「第3章」
灰が落ちる朝だった。空は鉛色の雲に覆われ、遠くの稜線から黒い煙がときおりくすぶる。アカリは、窯場の屋根にかぶさった薄い灰を箕で払いながら、やるべきことを頭の中で何度も繰り返していた。「まずは土を渡す。本人の言葉と同意がなければ始めない。壊れたら取り返しがつかない――」と、彼女は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
灰が落ちる朝だった。空は鉛色の雲に覆われ、遠くの稜線から黒い煙がときおりくすぶる。アカリは、窯場の屋根にかぶさった薄い灰を箕で払いながら、やるべきことを頭の中で何度も繰り返していた。「まずは土を渡す。本人の言葉と同意がなければ始めない。壊れたら取り返しがつかない――」と、彼女は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「アカリさん、どうするんだ? 噴気がまた強くなってる」鋳物師のトオルが、肩越しに煙の方向を指差す。彼の顔は真っ黒に煤けていて、息遣いが荒い。村長のヨシオは集会所の前に立ち、村人たちの顔を順に見渡していた。誰もが恐怖と疲労を抱えている。だがその表情の裏側には、言葉にできない重い塊が沈んでいるのが、アカリにはわかった。
アカリは土の包みを抱え、集まった人々の前に出た。「今日は小さな噴気だって医者は言ったけど、私たちの心は揺れてる。火の精霊が敏感になっている。悲しみが増えれば、精霊も――不安定になる」声は震えていなかった。陶芸教室で教えた頃の彼女なら、もっと冷静に見えただろう。しかし、この世界に来てから何度も土をさわり、悲しみに触れてきた手は震えていた。
「で、どうすればいい? 座って祈るか?」若者のシュンが、ぶっきらぼうに言ったが、その目は真剣だった。アカリは窯場の端に置いていた黒い布包みを広げ、小さな塊をみせた。色はやや濃い粘土の褐色で、彼女の手の跡がついている。
「この土だけが、私の術に反応する。私が手渡した土で作られた器は、持ち主が言えない感情を――言えないままにした悲しみを内側の模様として焼き付ける。感情を消すことはできない。消そうとすると、かえって暴れる」アカリは人々の顔を順に見た。誰もが自分の胸に手をあてて、言葉を飲み込んでいる。
「だから、押し付けるんじゃない。作るかどうかは、あなた自身の選択よ。私が土を渡して、あなたが手で形にする。それが条件。壊したら――」アカリの声はそこで切れた。壊れた器の代償は、彼女自身の体に跳ね返るからだ。彼女はあの日の感触を思い出した。割れた陶片に触れたとき、掌の中の熱がぼんやりと消えていった——それは手の温度を感じなくなる最初の兆候だった。
「壊したら?」ヨシオが静かに問うた。「壊れるって、どうなるんだ?」
「器が壊れると、その器に封じていた言いようのない感情が暴走する。音や光でもなく、波みたいに周囲に影響する。私の手は――温度を感知できなくなる。ゆっくりなら戻るかもしれないが、急激に壊れれば、戻らないかもしれない。だから扱い方を守ってほしい」アカリは厳しく言った。言葉の重みが、人々の間に沈んだ沈黙を落とした。
「それでもやらなきゃ駄目だ。墓の前の土が、最近よけいに黒く締まってる。灰のせいかと思ったが……」近くにいる老婆、ミナが小さな声で言った。彼女の指先には、小さな灰の粒が残っていた。ミナの視線が集会所の外、共同墓標の方を向く。アカリは視線を追った。
外は灰の向こうに、人影と古い石碑がぼんやりと見える。アカリは短く息を吸い、集まった数人に声をかけた。「作る人は私まで来て。壊さない約束ができる人だけ、お願いします。やり方は簡単。私が土を手渡す。あなたが形を作る。火に入れて焼くと模様が出る。模様は消えないし、誰かに渡して分け合うことができる。持ち主の悲しみを共有して、ひとりに溜まらせないようにするためよ」
二三の手が上がった。シュンも、トオルも、ミナも。そして、小さな子ども――サナも、顔を伏せながらはい、と手をあげた。その目は真っ赤で、まだ言葉を失っている。アカリはサナに近づき、小さな手のひらに土を乗せた。彼女の手が触れるとき、いつもの合図があった――ほんの一瞬、掌の底がひんやりするような違和感が走った。これは、能力が働く合図だ。彼女はそれを確認して、低い声で説明する。
「これだけが術を持つ。自分で持って帰らないで。壊したら大変だから、私が責任を持って窯に入れる。焼くまでの扱いはみんなで協力して。持ち主が誰かを決めて、返すときは本人の言葉で返す。それだけは守って」
サナは小さな碗を作り始めた。粘土を押し広げ、指で縁を整える。彼女の顔から、言葉にならないものが滲み出てくるのが、アカリには見えた。模様はまだ見えない。焼くまで見えないはずだ。しかし、作り手の心が揺れるごとに、粘土がわずかに震えるような感覚がアカリの掌に伝わってきた。
そのとき、遠くで低い唸りが聞こえた。風が一拍早く吹き、灰の粒が舞う。村の端の岩場で、炎の色が鋭く揺れた。小さな火山の目が、確かに動いたのだ。
「精霊が、反応してる」トオルが息を呑む。「さっきまで大人しかったのに」
「見せたくないものを見せられるのが怖いんだ。人が忌避した感情が熱を持つと、精霊は引き金を引かれたみたいに反応する」アカリは言った。自分以外の手で持ち主の悲しみを運ぶことができる。共有できるのだが、それは同時に精霊を刺激することでもある。彼女はふと集会所の脇に落ちている、黒い塊に視線を移した。以前から不自然に黒く、ひび一つ入っていない小さな杯が、瓦礫の間に埋もれている。彼女はそれを「黒い杯」と呼んでいた。
灰の中、黒い杯の縁には新しい痕跡がついていた。足跡でも、置き跡でもない、杯が置かれていたような――正確には杯の底が押し付けられた痕。灰はその形にきれいに抜かれていて、杯が長くそこにあったことを示しているようだった。だが、その杯は見た目より深い黒さで、ひび一つない。触れてみようと手を伸ばしたとき、村長が咳き込んで手を引いた。
「あれは……昔、祭りのときに失われた杯に似てるって言う者もいる」ヨシオが言った。言葉にならない響きが、その一言にあった。アカリはそっと近づき、掌で灰を払った。黒い杯は、確かにそこにある。外側は煤で覆われているが、光が当たれば漆のように鈍く光る。触れてはいけない気配がした。
「壊れないという噂さ」ミナが小さく笑ったように言う。「割れても中の模様が残るって。壊れた器の代償を受けた者がそう言ってた」
アカリはその言葉を聞きながら、胸の奥がひんやりとした。黒い杯は、ただの物ではない。何かの記憶か、あるいは過去の事件の痕跡だ。灰の底に残された杯の痕は、古い隠蔽の名残のようにも思えてならなかった。だが今は時間がない。精霊のうなりは近づいてきている。
「今は調べる暇がない。黒い杯のことは、後で――」アカリは言葉を切った。風が強まり、遠くで石の間を流れる熱風が走るのが見えた。村の子どもたちは震え声で泣き始めた。彼らの悲しみが、まるで火に引き寄せられるかのように、空気がぴんと張りつめる。
アカリは決断した。「墓の前に並べよう。小さくてよい。今の私たちには、悲しみを一か所に留めるより、分け合う方法を試す時間がある。壊れたら私の責任でどうにかする。これは強制ではない。自分の器を作るか作らないかは、あなたたちの意思で。だけど、やるなら今だ」
ヨシオは一瞬ためらったが、村長としての顔を上げると、ゆっくりと頷いた。「分かっておる。集まれる者だけでやろう。強制はせぬ。行動で示せる者がいれば――」
人々は黙って動き出した。アカリは粘土を小さく分け、ひとつずつ手渡していった。