靴屋

靴屋 第5話「第4章」

店の前の石畳が、またほんの少しだけ動いた。細い路地の角が微かにずれて、向かいの屋台の屋根が一歩分右に寄ったように見える。カナタは指先に残った接着剤の匂いを嗅ぎながら、手元の黒革に最後の縫い目を通した。閉めたはずの革小箱の蓋を押さえておかないと、またどこへ行くか分からない――迷宮街ではそんな当たり前を、毎朝自分に言い聞かせる。

店の前の石畳が、またほんの少しだけ動いた。細い路地の角が微かにずれて、向かいの屋台の屋根が一歩分右に寄ったように見える。カナタは指先に残った接着剤の匂いを嗅ぎながら、手元の黒革に最後の縫い目を通した。閉めたはずの革小箱の蓋を押さえておかないと、またどこへ行くか分からない――迷宮街ではそんな当たり前を、毎朝自分に言い聞かせる。

「今日したいのは、あの赤い靴のことを確かめることだ」

カナタは自分の足元にささやいた。言葉は誰にも届かないが、決意は身体にしみ込んでいく。昨夜、孤児院の子が置いていった片方の赤い靴が店の奥の棚で光っていた。片方だけ、泥と血の痕が残る赤。流れ者の噂めいたものとも違う、生々しい現場の匂いがまだする。

「調べたい」と口にしたそのとき、店の引き戸ががらりと開いた。冬の寒風が薄暗い作業場に流れ込み、縫いかけの靴の匂いがわずかに舞った。来客は小柄な少女だった。肩まで届く黒髪を乱し、左足に布を巻き、その上から赤い靴をぎゅっと抱えていた。片方。もう片方は見当たらない。

「カナタさん! あの靴、私の――私が見つけたんです!」

少女の声は震えていたが、怒りや悲しみが混じっていて、ただ助けを求めるようなだけではなかった。カナタは作業台から立ち上がり、手を拭きもせずに彼女に歩み寄った。歩幅がいつもより重いのを感じる。靴の魔法を一度使ってから、足取りに微かな鉛のような抵抗が残る。まだ杖は必要ないが、節々が知らせてくる。使うたびに増えていく負担の予兆だ。

「誰が言ってくれって頼んだのかね?」と問いをかけるつもりでドアを閉めた。だが少女は先に言葉を続けた。

「孤児院の外庭で見つけました。夜になって、境界が動いたときに、走ってきた人が――両方の靴をそろえては逃げられなかったみたいで。片方だけ、泥に埋まってて。私、拾って、どうしても気になって。縁起でもないって、みんな言うんですけど、ただ、どうしても……」

彼女は赤い革を膝に押し付けるように抱えた。縫い目のところに白い糸屑がついていて、靴底は薄く削れていた。カナタは匂いを嗅いだ。革の染料、汗、鉄の匂い。簡単に捨てるようなものではない。彼の手は自然と靴を取り上げ、裏を見る。すると、見慣れない浅い刻印が底の隅に打たれていた。細かい線で描かれた小さな円と、そこから伸びる四本の短い線。星形とも花柄ともつかない、ぼんやりとした印だった。

「これは……どこで見つけたんだ?」とカナタは尋ねる。声が低くなる。職人の眼差しが、ただの物品以上のものを探している。

「境界の北門近くの溝です。夜明けに――私、逃げてきた兄を探してたんですけど、その時はもう誰もいなくて。靴を拾ったとき、誰かが後ろで泣いてるのが聞こえただけで……その人はすぐ、どこかへ行っちゃって。私はその靴を持ってたら匂いが兄に近い気がして、家に持ってきたんです。けど、誰にも渡せない。誰かに聞いてほしいんです」

少女は目を潤ませたが、言葉に強い意志があった。カナタはその意志を見て、手にした靴をそっと棚に戻した。

「ここに置いておけ。明るくなったら、少し調べる。だが聞いてくれ。もしその靴を使って『案内』を試そうというなら、条件がある。履く人が自分の言葉で行き先を言わないと、靴は反応しない。嘘を言ったら、底が割れる。あと、使うほど――私の足が重くなる。最後には歩けなくなるかもしれない」

言い切った後で、自分の言葉に違和感があるのを感じた。それでも、少女は不安そうに微笑んだ。

「それでも……いいんです。それでも、教えてください。私、兄のことをはっきり覚えてる。帰る場所を言える。だから、壊れても構いません。兄を――」

「待て」と割って入ったのは、店の奥からひょっこり出てきた別の子だった。名前はユウノ。上の孤児たちの一人で、いつも金を払えるわけではないが、手先が器用で店の雑用を手伝っている。彼は赤い靴を一瞥して、すっと背筋を伸ばした。ユウノの瞳には、年相応の怖さと、子供なりの計算が混ざっている。

「破れるって言うなら、まず調べられる範囲で調べようよ。靴本体の材質とか、誰が作ったかとか。底の印が何か、古道具屋のアルドなら知ってるかもしれない。俺、そこへ行ってきていいか?」

ユウノの提案には自分の目的がある。自分の足で外を駆けられる者は誰でも動く価値があると、彼は分かっている。カナタは一瞬、躊躇する。自分が走れば、足はもっと重くなる。だが仲間を道具扱いしないという誓いが彼を押しとどめた。ユウノは自ら申し出た。強制はしない。彼の瞳が本気だった。

「いいだろう。ただし、――気をつけろ。境界のあたりは検問も増えてる。ザイフの役人が余所者の物色をしかけている。赤い靴だけで目を引くかもしれない」

ユウノは頷き、荷物のように赤い靴を受け取った。少女はまだ名乗っていなかったが、ユウノに礼を言い、店を出るときに振り向いてつぶやいた。

「ありがとう、カナタさん。絶対見つけます。兄の靴の片方も」

カナタは店の扉を閉め、ふうと息を吐いた。背中に冷たい重さを感じる。魔法を使った後、足の裏から始まる不快感は、少しずつ骨の奥にまで広がってきている。だがそれは、今は考えない。最初にすべきは事実確認だ。

「古道具屋か」と彼は独り言を言い、作業台に戻ってコーヒーの残り香を探した。古い商人の名前が、彼の中で輪郭を成す。アルドは昔から商取引の細工物に詳しく、境界周辺の物品を扱っていた。星印だの赤い革だの、噂の種は商人の膝元でくすぶる。

夕方、ユウノが戻ってきた。手には靴と小さな紙片、そして額にかすかな擦り傷があった。彼はすぐに店の奥へ入り、カナタに手渡すように靴を差し出した。靴底の刻印は、肉眼でもう少しはっきり見えた。紙片には、乱れた文字で「マグダの作」と書かれているように見えた。インクはにじんでいたが、職人が名前を書き付けたラベルだ。

「アルドの店で訊いた。『マグダ』って人の作りだって。そこの台帳で引き当てられるかもって。けどさ、アルドはな、妙に狼狽してた。『昔の登録』だって言って、こっそり見せるんだ。境界の管理に関わる古い話は触らない方がいいって。なのに俺にくれたんだ。こっそり、だってさ」

ユウノの手が震えている。彼は自分の胸の中で何かを決めたようだった。単なる好奇心ではない。彼もまた、境界と靴が結びつく何かを感じている。カナタはその様子を黙って見つめ、紙片の文字を追った。確かに「マグダ」という名前と、細い丸い印。印は靴底のものと似ているが、もっと単純な図形だった。

「『登録』ってのはどういう意味なんだ?」カナタが問うと、ユウノは肩をすくめた。

「アルドは昔の帳面を見せてくれた。細かく足跡を付けている。誰がいつどこへ行ったか。変なことに、赤い革は別欄になってるって。職人の名前、持ち主の名、そして――どこへ行ったか。って、ふつう靴の台帳なんてそんなことしないよね。誰かの移動を記録するためにつけたって言ってた。で、アルドはそれを見て顔色変えてた。『古い役所のものだ』って。そういうのを扱うと、目がつくんだってさ」

記録する――カナタの胸の中で、線がつながる気配がした。靴は単なる履物であると同時に、誰かの歩みが