虫使い

虫使い 第19話「第17章」

ミオは手のひらに乗せた小さな巣片をじっと見つめながら、息を呑んだ。薄い蜜の匂いと、まだ生温かさの残る繭の手触り。指先のひらで伝わる振動は、ごく弱い鼓動のようで、彼女の胸をぐっと締めつける。

ミオは手のひらに乗せた小さな巣片をじっと見つめながら、息を呑んだ。薄い蜜の匂いと、まだ生温かさの残る繭の手触り。指先のひらで伝わる振動は、ごく弱い鼓動のようで、彼女の胸をぐっと締めつける。

「早く大きくなってほしいのに……」

横でトオルが腕組みして立っていた。彼の顔は日に焼け、木を割る手が皺だらけだ。眼差しは真剣だが、言葉には困り果てたものが混じっている。

「急げば間に合うと思うんだ。伐採が本格化する前に、複数の群れを動かせれば……」

「急ぐのはわかる。だが命を縮めて成功しても、それは持たない。使える時間は短いんだろう?」

ミオは小さくうなずいた。目の前の繭——女王候補の幼虫を包む白い包み——を育てるのが今の彼女の仕事だ。失った女王の穴を埋めるために、何度も夜を徹して看病した。その重さが、まだ肩に残っている。

「命を縮めるって?」

エンが低く笑った。年老いた養蜂家で、顔には何度も巣箱に触れた跡がある。エンの声は柔らかいが、確信に満ちている。

「蜜を濃く与えりゃ、幼虫は早く女王になる。だがそれは二度と戻らぬ早さだ。急成長の代償は寿命だ。長く続く観測網には不向きだよ、ミオ。」

サヤカが記録ノートを閉じ、身を乗り出した。村の記録係として井戸のメモをまとめている彼女は、慎重に言葉を選んだ。

「それに、君が教えてくれたように——命令だけで虫を動かせば、群れは散る。私たち全員で世話するためには、"合意"を得るやり方をつくらないと。」

ミオは喉を鳴らす。彼女の能力は、いつも二つの側面を片方ずつ見せる。羽音の模様として恐怖や短い伝言を込めることができる一方、そこに"命令"だけを押し付ければ、虫たちは拒絶する。さらに、女王を失えば、彼女は三日間、音を聞けなくなるという代償がある。代償は常に、彼女の行動を縛る重石だ。

「――わかってる。でも、時間がないの」

ミオは繭を抱き上げ、慎重に巣箱の中へ戻す。蜂蜜が乾いた指先が、ふと過去の静寂を思い出させる。あの三日の暗い静けさを、彼女は忘れようとしても忘れられなかった。耳を塞がれた世界で、人々の声は文字になって迫ってきた。あのとき学んだのは、能力が無ければ無いで人々は別の方法を見つける、ということだった。だが今回は、時間の差がある。

「一つに頼らないで複数育てる。私の声に依存しない仕組みを作るんだ」ミオは言った。言葉に迷いはなかった。彼女が選んだのは、急がずに量でリスクを分ける道だった。ひとつの女王に全てを託すのではなく、小さな群れをいくつも育て、それぞれを村人の世話に委ねる。

トオルが眉を上げる。「それって、巣箱を分けるだけでいいのか?」

「分けるだけじゃだめ。世話を"教える"んだ。命令しないで、虫の自然のリズムに寄り添ってくれる人を増やす。私の能力は、世話した虫にしか働かない。だから誰かが自分で世話した群れを持てば、彼らも合図を受け取れるようになる」

サヤカが早速ノートに走り書きをする。エンは古い木製のフレームを取り出して、唇を引き結んで説明を始めた。

「幼い群れを分けるなら、王台を作るタイミングと餌の管理が肝心だ。だが、君がそれを"命令"で急かそうとすると、群れは散る。おぬしはもう学んだはずだろう?」

ミオは爪先を押し固める。数日前、彼女はつい焦りから命令めいた合図を送ってしまった。群れは一瞬で不穏な羽音に包まれ、巣箱の外へ飛び出していった。夕暮れに散らばった黒い点々を追い回すのに、村は半日を費やした。戻ってきた蜂の数は減り、幼い女王候補は冷たくなっていた。幸い完全に失ったわけではないが、あの一件は彼女の胸に深い爪痕を残した。代償がすぐそこにあることを、まざまざと思い知らされた。

「教えるなら私もやる」トオルが言った。「おれ、手先は雑だけど、毎朝巣箱を覗くのは悪くない。薪割りの隙に世話もできる。」

「わたしは記録を整理して、誰がどの群れを世話してるかを一覧にするわ。いざというときに情報が散らばらないように」サヤカはきっぱり言う。

エンは目を細め、にやりとした。「ならば、わしが若者たちに基本を教える。体で覚えるのが早い者には巣箱の組み立てを任せて、静かな歌のように手入れをする者には看護を任せる。合意は人から人へ移る。虫にとっての合意は、人がどう接するかで決まるんじゃよ。」

作業はすぐに始まった。古い蜂箱を洗い、小さな巣枠を二つ三つ準備する。ミオは柔らかい布で巣片を包み、幼虫一つ一つを温かい手の上で確かめた。巣箱を分けるのは、単に物理的な作業ではない。分けられた小さな社会に、それぞれが「自分の世話」をし始めることが重要だった。だれがその群れを自分のものとして守るか、誰が夜中に声をかけるか、誰が巣箱の脇で小さな歌を歌うか——そうした習慣が、虫たちの合意の基礎になる。

ミオは一つの群れをレナに任せた。レナは村の薬草売りで、手が小さく優しい。ミオは巣片をレナに渡しながら、言葉ではなく手を添えた。伝えるのは「頼む」という気持ちだった。命令と頼みは似ているが、重さが違う。ミオはそれを長年の害虫防除の経験で知っていた。虫は強制に反応し、人は強制に疲れる。

「ミオ、もう一度教えて」レナが尋ねる。手を差し出すと、ミオは自分の手のひらに小さな蜜を落とし、それを指でこそげ取ってレナの掌へと移した。蜜のにおいが二人の間で揺れた。

「巣の中を静かに動いてください。大きな声は無用。指先で温度を伝えるように、触れすぎず、でも目を離さない。歌うように、短い言葉を繰り返すんだ。『ここにいる』って、虫に分かるように。」

レナが目を潤ませる。小さな踊りのようにおずおずと巣箱に手を差し入れ、指先でふわりと幼虫に触れた。羽音が近くで小さく波打つ。ミオはその時、ふと能力の一面に気づいた。彼女が何かを伝えようとするとき、それはいつも「声」か「羽音」になって表れた。そして、彼女が命令の形で押し付けるとき、羽音は拒絶の模様を帯びる。だからこそ、彼女は自分の能力を中心に据えるのではなく、人と虫の間に橋をかける存在にならねばならない。自分だけが伝え手でいる限り、そこには常に一点の脆さが残る。

数日が過ぎ、小さな群れが幾つか育ち始める。巣箱ごとに世話人がつき、それぞれの手で蜜を足し、温度を測り、幼虫に触れた。ミオは通常の自分ならば一度に全部を掌握してしまいたい衝動に駆られるが、ぐっと抑えた。彼女は代わりに、村の人々に小さな符号を教えた。手旗の合図、特定の三つの木の実を組み合わせた標、記録紙に用いる小さな点線。音が聞こえない場面に備えた生活の言葉だった。

だが安心は長くは続かなかった。夕刻、見張りの青年が駆け込んできて、息を切らして言った。

「外の道で、都の徴発の札を見つけました。森を巡回する隊が増えてるって。近くの谷で木を刻む音がしました、数日前より勢いがあるって――」

トオルの顔が一瞬で硬くなる。エンは唇を固く結び、サヤカはノートを落としそうになった。ミオの胸に小さな不安が走る。伐採の速度が上がれば、幼い群れたちが危険に晒される。だが、彼女が叫んで虫を動かそうとすれば、群れはまた散るかもしれない。

「早く知らせないと」ミオは言った。しかし、それは命令に