枯天樹の庭師は、魔王城から世界を芽吹かせる

枯天樹の庭師は、魔王城から世界を芽吹かせる 第3話「第二章」

城下に降りた霧は、朝になっても薄く残っていた。冷えた空気が石畳の隙間をなぞり、古い排水溝からは乾いた音だけが返ってくる。水庭――かつては城の誇りであり、根城の治療区画の一つだった浅い池は、現在、ひび割れた土の皿のように見開かれていた。底には白い瘤のように祀られた石があり、その周囲に回ることができないほどの硬さで、土は焼けていた。

城下に降りた霧は、朝になっても薄く残っていた。冷えた空気が石畳の隙間をなぞり、古い排水溝からは乾いた音だけが返ってくる。水庭――かつては城の誇りであり、根城の治療区画の一つだった浅い池は、現在、ひび割れた土の皿のように見開かれていた。底には白い瘤のように祀られた石があり、その周囲に回ることができないほどの硬さで、土は焼けていた。

ネネアは、城門を背にしてその池を見下ろしていた。肩にかけた薄絹の裂け目が風に揺れる。彼女の顔は、まだ十代のそれでありながら、去年の冬を思わせる硬さを湛えていた。彼女は軍の帳簿や差し迫る兵站の話に顔を曇らせることなく、ただ一ヶ所――水庭へと視線を落とした。

「ここを、なんとかして」ネネアの声は低く、しかし命令だった。側にいる副官が一瞬詰まる。城の水は軍と市民とで分配されており、放出は王国現行法では軍の長の許可が必要だ。だがネネアは、長の許可以前に自分の庭園を守るという立場で物事を進めると言った。多くの者にとって、その言葉は姫の道理か、それとも無謀な独断かだった。

リュートは、手にした草履を素足で握りしめた。足先に土の冷たさが食い込み、庭のふちを辿る感覚が体に伝わる。彼は先ほどベールから指示された通り、まず「歩いて測る」ことを続けた。庭一枚分。それが彼の能力の限界であり、他人を巻き込まずにできる唯一の範囲だった。歩いて確かめた範囲の外へ手を伸ばせば、前世の記憶が一つずつ自分から剥がれていくかもしれないという怖れが、爪先を固くさせる。

池の縁に腰を降ろすと、乾いた音が耳をつんざいた。リュートはゆっくりと立ち上がり、裸足のまま内側へ踏み込んだ。そこで彼の眼に飛び込んだのは、まるで冷たい冠のように絡み合った根の塊だった。根は干からびた土から這い出し、互いを縫うようにして中央の大石を囲んでいる。暗い赤がきらりと滲み、部分的に白い筋が走っている。色の交差が、彼の胸に小さな震えを送った。

脳裏に、ベールの言葉が届いた。「根は記憶を食む。形を変える。君の仕事は切り取りではなく、流れを戻すこと」。だが、流れを戻すにはまず詰まりを解く必要がある。詰まりを解くためには、根の絡まりをほどかなければならない。ほどけば記憶は動き、もしそれが「人の記憶」ならば、切断後にそれは確実に君へと入ってくる。

リュートは息を吐いた。手のひらに黒い種の形を落としてみる。手の中で種はわずかに温かく、かすかな振動があった。前世の約束と今ここで果たすべき命令が、掌の中で交差する。彼は、歩いた輪郭の内側だけを触ると自分に言い聞かせた。ここが自分の庭だ。ここならできる。

最初に触れたのは、浅く露出した一房の根だった。指先が触れると、それは光を帯びてうねり、青白い毛羽立ちが視界の端で踊った。青は恐れ。弱々しい人の呼吸と、叫び声の断片が、目の裏に広がる。彼は体を固くして、刃を持たずに手だけで根を撫でた。切らずに探る。すると根の表面が微かに光を変え、執着の赤が近付いてくる。

「そこは──兵の怒りかもしれない」ネネアが言った。彼女は根を指で示し、しかし手を出さない。王女としての立場は、ここで一つの重責を生む。彼女が手を出せば、それは軍の水を使う宣言になり、使用の名分は政敵に利用されるだろう。だが放っておけば、庭はさらに枯れていく。

「兵の……怒り?」リュートは耳元で囁かれる声に喉が締め付けられるのを感じた。彼はその根の色を確かめようと、もう一歩進んだ。ここで彼が越えるラインは、たとえ一歩でも、能力の定義が変わる。彼は自分が測った輪郭の幅をもう一度確認した。石を一つ足跡にすることで境界を記す。境界が彼の世界を守る。

歩測の内側で、彼は根の絡まりを丁寧にほどき始めた。剪定は必ずしもハサミを要しない。手先で根の方向を変え、湿った土を少しずつ戻すことで、魔力の流れを促すことができる。だが絡まりの芯に触れると、必ず何かが彼の胸に滑り込んできた。短い映像、小さな嗅ぎ覚え、手の温度さえも転がり込む。切った記憶が彼の中に流れ込む前触れだ。

ある根をはがしかけたとき、彼の中に生々しい映像が流れ込んだ。兵士の視点だった。腕に走る汗、砂を噛む歯、命令を待つ眼差し。だがそれはすぐに凍り付く。何かが彼の心を叩き、軍の怨嗟の断片が押し寄せる。誰かが水を奪われる恐怖、家族を失う怒り、飢えが洗い流されなかった屈辱。青と黒が混じり合い、呼吸のリズムを乱した。

彼はしゃがみ膝をつく寸前でこらえた。だが記憶の波はそこまでで止まらない。根が、「私たちは取られた」と呟いた。声は小さかったが、重さは岩のようだった。リュートは指先を土に押し当て、足の裏の感覚を頼りに現実に留まる。土は冷たい。黒い種は彼の胸中で細く鳴る。ここで倒れれば、庭は守れない。

そのとき、ネネアが一歩前へ出た。彼女は周囲の兵士を脅すようでもなく、ただ淡々とした声で命じた。「貯水槽を開けろ。軍の水をこの庭へ回す」。副官が顔を青ざめさせ、遠くの門番がざわめく。城の水は重く、政治的な重みを持つ。それを姫が命じることは、彼女自身の立場を賭けることだ。

「姫様、それは――」副官の声は震えた。彼はネネアの額の汗を見て、命令の本当の意味を理解したのだ。彼女が軍の補給に割り込めば、まずは軍司令部が反発し、次には王都の役人たちが動く。ネネアはわかっていて、それでも言った。彼女の声に、なにか冷たい決意が混じっている。

「庭が失われたら、私の名に何の意味があるというの?」ネネアは俯いた。そこには幼い頃、母が庭を抱いたときの温度が残っていた。彼女はその庭を、軍の倉庫に変えさせるわけにはいかない。そのためにはリスクを負うしかない。副官は短く息を呑み、最終的に従った。伝令が走り、堅い扉の向こうでバルブが回される音が遠くから伝わってきた。

がらがらと、古い歯車が回る音がした。水の流れは予想以上に遅く、最初は空気だけが差し込むような擬音だった。しかしそれは確かに変化の始まりだった。空洞から振動が伝わり、塵が静かに舞った。リュートは立ち上がり、手の中で根の方向を変える作業を続けた。彼は刃を使わず、根を寄せては隙間を作り、古い水脈の跡へと導いた。土が吸い込むように湿りを返す。小さな砂の塊がふやけ、微かに黒い色が戻る。

その瞬間、視界の片隅で幻想が立ち上がった。根が互いに編み合わさり、古い王の冠の形を作り出している。冠は石に絡みつき、錆と苔に覆われているが、形だけははっきりしていた。赤い根が王冠の輪郭をなぞり、白い筋が装飾を映し出す。リュートの胸がぎゅっと締め付けられる。冠の幻は、誰かが本当にここに何かを祀っていた証拠のように見えた。王族にまつわるもの――所有の記号が根に絡まる様は、痛い程に物語を語った。

「母の王冠だ」ネネアの声が、小さく震えた。彼女は目を逸らした。言葉を出すことで、その冠はただの幻ではなくなってしまう。誰もが知っている王冠は、城の歴史を閉じるための装置でもあり、また庭を使って何かを固定してきた古い方法の象徴でもあった。根がそれを抱え込み、渇きの中で形を保とうとする姿は、所有と執着が土にまで浸透している証拠だった。

リュートは手を止め、王冠の形を描く根に触れた。触れると、赤の震え