干谷の水脈守り

干谷の水脈守り 第4話「第三章」

夕陽が砂を橙に溶かす頃、村の外縁に立つ低い石垣の前で、リオは立ち止まった。ナナが肩越しにもう一度背嚢を調整し、鉄の匂いと煤の混じった夜風を胸に吸い込む。二人とも、鍛冶屋の炉から持ってきた試作の歯車を革袋にしまい、これから先に何が待つかを思案していた。

夕陽が砂を橙に溶かす頃、村の外縁に立つ低い石垣の前で、リオは立ち止まった。ナナが肩越しにもう一度背嚢を調整し、鉄の匂いと煤の混じった夜風を胸に吸い込む。二人とも、鍛冶屋の炉から持ってきた試作の歯車を革袋にしまい、これから先に何が待つかを思案していた。

「向こうの丘の麓に住んでるって、聞いたよね?」ナナが小声で言う。彼女の目はいつものように鋭く、だが今は言葉の端に不安が滲んでいた。徴水隊が巡回を増やしたという知らせがある以上、外部の者に出会う可能性は危うかった。リオは父の保守印を胸の内側で確かめた。小さな金属板に刻まれた古い印と、父が死ぬ前に残した手紙の匂いが、彼の掌でわずかに温かかった。

丘を越えると、焼け跡のような黒い帯が見えた。草の生えぬ地面に、かつて何かが燃えた跡だ。そこに暮らす者は、滅多に外界と交わらぬ人だと噂されていた。リオの足は自然に速まり、心臓が喉元で鳴った。石に触れて流れを読むときと違い、今の彼は言葉と記憶を武器にするしかない。

小屋は二軒が並び、どちらも屋根の一部が黒く焦げていた。戸口にいたのは、細身で背の高い青年だった。肩には古い計測筒が斜めにかけられ、目は地図に焼かれた夜の余燼のように静かだった。彼はナナとリオを一瞥し、言葉少なに「誰だ」とだけ訊ねた。

「村の者だ。リオっていう。ここから南の——」リオが言いかけると、青年の顔が少し険しくなった。視線の奥に燃え残りの影がある。ナナは鋭く息を吸い、歯車を隠すように背嚢に手をかけた。

「来るな」と青年は短く言った。「王都の者か、徴水隊の手先か、義賊か。どのみち、厄介ごとは受けたくない」

その口調には拒絶があったが、同時に疲労が滲んでいる。リオは父の保守印を見せるために一歩前へ出た。金属の表面には擦れた符号が刻まれていて、辺縁に父の名が小さく彫られていた。

青年はそれをじっと見た。彼の指先が地図筒の紐に触れ、指先が微かに震える。やがて、彼は静かにため息をつき、戸口へ招き入れた。小屋の中は煤と紙の匂いが混ざり、日暮れの斜光が積まれた帳面の端を黄金に染めていた。

「ここは、セドの宿だ」ナナが呟いた。青年は目を細め、口の端だけで小さくうなずく。名乗るのを嫌がったわけではない。その名はこの谷の外では知られていなかったが、リオは父が書き残した文字の端々でその名前を見覚えたことを思い出す。父の日誌に、王都の測量隊の台帳を読み取る記述があったのだ。

セドは古ぼけた机の上から、灰色の布を取り出した。布の下にあるのは、紙片の寄せ集めだった。端は黒く縮れて、ところどころ炭のように脆い。彼はそれを指でそっと撫で、まるで触れるのをためらうようにひとつの破片を差し出した。

「燃え残りだ」と言った。「地図は焼いた。王都に利用されることを恐れた。俺が測ったものが、人を動かすための武器になってしまうなんて、耐えられなかった。だが、残した。証拠は残しておいた。必要なときのために」

リオはその紙片を受け取った。煤の匂いが鼻腔を刺す。破片の中央には、かすれた線で幾つかの記号が描かれている。見開きの図面の端っこに残った線は、地下を示す斜めの断面図のようだ。そこに刻まれた一つの印が、リオの胸を強く掴んだ。父の保守印と同じ、細く湾曲した三つの符号——小さな波を象った記号だった。

「それ……」リオの声は震えていた。「これ、うちの父の印と同じだ。父さんは——」

セドはじっとリオを見返した。その目に、一瞬だけ驚きと何か重いものが揺れた。彼は手を伸ばし、リオの胸元に触れて刻印の形を確認するように掌を滑らせた。指先の触れた金属は冷たく、微かな溝が指に引っかかる。

「保守の印だな」セドは短く言った。「この記号は、竜骨渠の維持を行う者たちのものだ。古い組織の印。だが、この印を持っていても、王都が認めるとは限らない。あの頃、測量帳面には別の線が引かれていた。上流の水門、取水優先の路線——それを、上の連中は隠した。帳面を焼くよう命じられた。俺は焼いた。だが、全てを焼けはしなかった。燃え残りはある」

セドの指先は紙片の縁を辿り、まるで記憶の地図をなぞるように動いた。彼の言葉には怨念も怒りも混ざっていない。むしろ冷たい諦観が漂っていた。彼は昔何度も王都の命令を受け、路線を測り、数字を線に置き換えてきた。だがある日、測ったものが人を苦しめる証拠になると知ったとき、彼は耐えられなくなったのだ。

「どうして、ここにいる?」ナナが問う。彼女の声には、疑念と同時に探ろうとする好奇心が入っている。

「逃げたんだ」セドは答えた。「巻き込まれた。帳面の一部を燃やすとき、誰かがその指図を出した。俺は拒否する余地を与えられなかった。命令は命令だった。だが、その日以降、生きる理由が変わった。地図を焼くという行為自体が、誰かの善意になどならないと知った。俺は測った。記録はあった。でも、それは誰かの都合で書き換えられてしまった。俺はそれを見た。だから、ここにいる」

言葉は淡々としていたが、机の上に広げられた紙片は語ることを拒まなかった。燃え残りの地図は、王都が「自然枯渇」と結論づけた区域と、実際に流れている地下の細い脈を、微妙に違う線で示していた。リオは紙の上の線を目で追い、頭のなかで流線の図像を組み立てようとした。だが、それはセドの記憶の領分だった。彼はただ、父の印がここにあることだけを確かめたかった。

「父さんは、この記号をどうして持っていたんだろう」リオが尋ねると、セドは一瞬だけ顔を綻ばせた。かすかな笑いが口元を横切り、すぐに消えた。

「保守印は、現場で働く者が持つべきものだ。誰かが『守る』と宣言するための小さな証。だが紙の上の権威と、現場で泥をすする者の名誉は違う。お前の父は、記録を残したのか。あるいは、誰かに抗ったのか」

リオは父が残したものを思い出す。夜、配水管の小さな亀裂に触れながら、父が黙って作業していた姿。村の人々に知られずに、彼は古い管を繋ぎ止めていた。感謝されることのない仕事、それでもやめなかった父の背中。リオの胸に、暖かいものと同時に鋭い悲しみが差した。

「父さんは逃げなかった。最後まで管を守った」リオは静かに言った。「だから、俺がそれを引き継ぐ。父さんの印は、それを証明する」

セドはリオの言葉を聞き、やがて頷いた。彼の瞳に、小さな揺らぎが残った。やっと誰かが、燃え残りの地図と現場の実情を繋ごうとしている。だが、それだけでは彼を動かすには不十分だった。

「俺は王都に利用されたくない」セドは低く言った。「だが、お前の父の名を侮辱することはしない。条件がある。俺はお前たちを危険な場所へ案内はする。封鎖区画の外側までなら、俺の足で歩く。だが、子供や村人を巻き込むような無茶はさせない。ここで無理をして、誰かが捕まれば、結局はまた記録が消される。俺はもう、あの時のように背中を焼かれるのはごめんだ」

ナナは眉を寄せた。口調には内心の苛立ちが滲む。「子供を守るのが嫌なら、鍛冶の真似事でもしてなさいよ。私たちは行く。村が干からびるのを見ているわけにはいかない」

セドはこちらを見据え、ナナの荒削りな意志を測る。鍛冶屋の娘の言葉には嘘がない。彼女は道具と汗で世