玩具職人 第10話「第9章」
夕暮れの工房は、まだ明かりを点していた。窓から差し込む橙色の光が木屑と乾いた紙屑を透かし、作業台の上に散らばった歯車や糸巻き、紙人形の半身を淡く染めている。トトは作業着の袖をまくり上げたまま、ユナの前に突っ立っていた。彼の目はいつになく硬く、声は短かった。
夕暮れの工房は、まだ明かりを点していた。窓から差し込む橙色の光が木屑と乾いた紙屑を透かし、作業台の上に散らばった歯車や糸巻き、紙人形の半身を淡く染めている。トトは作業着の袖をまくり上げたまま、ユナの前に突っ立っていた。彼の目はいつになく硬く、声は短かった。
「ミオの行き先を示すものを見つけたって。軍の箱の中に、あの木鳥と同じ傷があるって人が言ってる」
ユナは手を止め、紙人形の小さな顔を覗き込むようにしてから顔を上げた。紙の切れ端が指の間でカサリと鳴る。
「誰が言ったの?」
「市場の荷馬車の御者。夜に荷を下ろした屋敷の裏で、軍の箱が積まれていたって。板の端に焼けたような跡と、ナイフで引っ掻いたような浅い欠け。ミオが作ってた木鳥の片翼と同じだってさ」
アベルは、ドンの持つ小さな懐中時計の蓋をつまむようにして黙っていた。片目を覆う革のパッチが夕闇に黒い影を落とす。ドンは小さく息を吐き、手元のスケッチをもう一度撫でた。
「証言者は安全か? 名を明かしてもらえるのか」
「匿名で十分だって。名乗ると自分の店が狙われると言った。けど、箱の中身を見たって。木の鳥の欠片が、そこにあったと」
トトは、守るべきものをリストのように頭の中で確かめた。工房と孤児たち。ミオ。玩具を奪われた子どもたち。胸の奥で固く結ばれたものが冷たく痛む。彼はその痛みを押し殺し、低く答えた。
「証言を集めて、確実なものにする。だが公にするつもりはない。ハルトたちに気づかれれば、工房が狙われる。証拠は少人数で回して、ミオの足取りを探す足掛かりにする」
ユナの指先が震えた。「隠すの? それで見つかるの?」
「見つけるための材料にするんだ。外へ放れば軍が手を引き締める。隠しておけばこちらの動きも隠せる」トトは肩をすくめた。「俺一人じゃない。ドン、アベル、ユナ。みんなの判断で動く。ミオを連れ戻すまで、誰にも見せない」
アベルの唇が鋭く引き結ばれた。彼の表情は兵士としての訓練で磨かれているが、内側で溶けかけた氷の裂け目が見える。
「内部事情を暴くのは危険だ。だけど証拠を握って動く手立てがあるなら、甘んじて従う。軍と正面衝突する気はない。情報戦で行こう」
ドンは首を振りながら、机の隅に積んでおいた紙束から一枚の古いスケッチを引き出した。そこには玩具の設計図と、似た形の木片の拡大図が細密に描かれている。紙の角が黄ばんでいた。
「これも見ておけ。昔の軍の備品スケッチだ。遊具に見せかけた何か……に近い。造りは粗いが、部品配置が合致する。試作機の構想図だろう」
トトはスケッチに指を走らせた。拡大図の角に、刃物でつけたような浅い切り傷の描写がある。描き込みは慎重で、作者がその欠けに意味を持たせているのが分かる。
「ミオはあの傷を残して行ったのかもしれない」ユナが小さく呟いた。「命令に従わないっていう印かもしれない、とドンが言ってた。ミオはいつも、自分で遊び方を決めたがる子だった」
その言葉が、灯りの下で軽やかな重みを持って落ちた。トトは目を閉じて、ミオのあどけない笑顔と、片翼の木鳥を作りかけていた手を思い出す。ミオは指先で木の表面を撫で、どこか遠くを見ていた。命令を押し付けられるのを嫌っていた。だからこそ、自分で決める自由を守りたかった。
「ならば、欠片は単なる物証以上のものだ」トトは口を結び直した。「ミオの意思の残滓かもしれない。彼がどこかで“自分で選んだ”玩具を持っているなら、その玩具が鍵になる」
ドンは煙草を吸う仕草をして、棘のような声で言った。「だが軍の箱に同じ傷があったって証言だけで足を踏み出すのは愚かだ。証言者の目撃時間、場所、箱の積み替えの経路を押さえるべきだ。連中は運搬の経路を変える。見つけにくくするためだ」
外では夜が深くなり、風が屋根の瓦を小さく鳴らす。トトは決断を固めるために工房の奥にある小さな金箱へ手を伸ばした。金箱はいつの間にか彼の“隠し場所”になっていた。中には図面のコピー、写真に代わるような記録、ミオの作った木屑の小片――そうしたものが入っている。トトは金箱の蓋をそっと開けた。
だがそのとき、外から声が聞こえた。低く、荒い、見張りの兵士の声。四人組の馬子が通り過ぎる足音とともに、誰かが街路灯の下で話している。
「……箱、調べたか? 伯爵の指示だ。子どもの玩具を回収しておけ。命令だ、返すな」
「夜の運搬だ。表に出てる連中が気づく前に済ませる」
声は遠のき、馬の蹄が消える。トトは体を固くした。軍の動きが、今日に限らず常に彼らを押し付ける壁となっている。証言は確かなものかもしれないが、これが露見すれば工房や孤児院に直撃弾が落ちる。
「だから隠さないといけない」ユナが囁いた。「みんなが知らない方がいい。ミオのためにも」
その夜、トトたちは証言者にもう一度会う約束を取りつけた。市場の裏通りで、木陰に座る商人に小さな紅茶を差し出し、目線を合わせて事実を確かめる作業だ。こうした作業はいつも緊張を伴う。耳に入るのは自分たちの呼吸と周囲の小さな音だけで、空気が濃く、言葉は慎重に紡がれた。
証言者は、白髪交じりの荷馬車御者だった。手の甲に年季の入った傷があり、目は昼間の砂と石の光を映していた。彼は何度も紅茶を飲み、指先でカップの縁をなぞるようにしてから口を開く。
「注文通りの箱が来た。覆いのついた大きな箱だ。軍の烙印は無かったが、兵士が操ってた。箱を降ろすとき、木のくずがこぼれた。板の端が欠けてて、焼けたような黒い跡。こいつの小遣いで遊ぶ子の木製鳥の欠片みたいだった」
「どの屋敷に運ばれていった?」アベルが絞り出すように聞いた。
御者は顎を撫で、話を少し遠くへ遡るようにして答えた。「大きな屋敷の裏手だ。北門から入って、倉庫のある通り。夜に運び込むのは目立たぬためだと言われた。多分伯爵の関係先だ」
その言葉で、トトの心臓が跳ねた。北門――城下の荷捌き場から少し離れた場所だ。だが情報はまだ断片だ。時間、人数、箱の移動経路。どれも確証には遠い。
「一度だけじゃなく、関連する言葉を集める」ドンが低く言った。「誰が指示したか、運搬業者の名札、兵の数。そのどれかでも一致点があれば足取りは掴める」
トトは御者に礼を言い、景気づけに小さなお菓子を渡した。御者は顔をほころばせ、子どもにでも与えるような笑顔を向ける。昔の簡単な喜びが、トトの胸を軽くした。だが彼はすぐに思い直し、金箱へ戻った。証拠を一つ増やすためだ。
金箱の中には、白い布に包まれた木片が慎重に入っていた。ミオが捨てたときに残した、ささくれた片翼。トトはそれを取り出し、掌で包んだ。木の触感が、冷たくも頼もしく感じられる。欠けた端の形、焼けたような小さな黒い線。彼はそれをじっと見つめながら、誰にも見せまいと固く思った。
「どうする、これを持っていくか?」
ユナが囁いた。声に震えが混じる。
「持ち歩くな。工房に置くな。君たち以外の目に触れさせない」トトは言葉を選んで囁いた。「ドン、専用の隠し場所を作ってくれ。単なる箱じゃダメだ。二段重ねの仕掛けが必要だ。アベル、運搬の可能性がある場所を教えてくれ。北門周辺の倉庫の守りを見張ってくれ