天気屋

天気屋 第15話「第13章」

アオはまず、目の前の小さな手を見たかった。羊飼いの少年が、膝の上で丸めた手の平を隠すようにしていた。アオはそれが拒絶か、怯えか、あるいは同意のしるしかを読み取りたかった。朝の光は鋭く、谷の空気は凍るほど冷たい。だがアオの世界は、色を失い始めていた。赤が鈍いグレーになり、頬の紅潮が灰色のトーンに吸い込まれていく。「眠りを差し出す」たびに、彼は人の表情を「色」で読めなくなっていった。今日は三晩続けて書き換えをした翌朝だ。眠気が脳を曇らせるだけでなく、顔の輪郭と同じぐらい重要だった色の差が消えかけている。

アオはまず、目の前の小さな手を見たかった。羊飼いの少年が、膝の上で丸めた手の平を隠すようにしていた。アオはそれが拒絶か、怯えか、あるいは同意のしるしかを読み取りたかった。朝の光は鋭く、谷の空気は凍るほど冷たい。だがアオの世界は、色を失い始めていた。赤が鈍いグレーになり、頬の紅潮が灰色のトーンに吸い込まれていく。「眠りを差し出す」たびに、彼は人の表情を「色」で読めなくなっていった。今日は三晩続けて書き換えをした翌朝だ。眠気が脳を曇らせるだけでなく、顔の輪郭と同じぐらい重要だった色の差が消えかけている。

「アオ、どう見える?」エナが距離を詰めてきて、低い声で尋ねた。彼女の瞳はいつも静かに光る。アオはエナの左頬に浮かんだ小さな傷痕を探した。痕の赤は、昔なら容易に見分けられたはずだ。だが今は輪郭だけが残る。アオの心のなかで小さな緊張が鳴った。

「――わからない」アオは正直に答えた。「色がうまく見えない。表情も読みづらい」

ミツが手を腰に当てて、横目でアオを覗いた。彼女は雷を集める少女らしく、短く切りそろえた黒髪が風に揺れている。ミツの顔には怒りとも違う、苛立ちにも似た決意がある。ダンは背を丸めて床に腰掛け、地図を広げたまま視線を落としている。四人と一組の羊飼い家族の間に、冷たい沈黙が張りついていた。

羊飼いの父親は顎をしゃくり、短く言った。「我らは雪崩で二度、家を失った。お前らの約束は暖かい言葉だけだった。どうして今、我々を信えと言うのか」

アオは少年の手を見つめ直した。彼の頭のなかでは、色が欠けた世界で代わりに音や匂いが濃くなる。息遣いの速さ、膝が微かに震える振動、唇の乾き。色を失った分だけ、他の感覚が敏感になってくる。だがそれは十分ではなかった。父親の顔が怒りで赤くなるのか、悲しみで青白くなるのかを確かめられない。アオは言葉を選んだつもりだった。

「…避難を、考えてほしい。白嵐は――」アオは言葉を探し、語尾を整えようとした。「――七日後だ。確かなことを、全部は消せないけど、時間は作れる」

父親の目がぎらりとアオを捕らえた。アオはその瞳に熱があるのを感じた。だが色は判別できない。父親の言葉が速く、刃物のように刺さる。

「時間? また時間だと? 時間をくれた結果、叔母は亡くなった。我々が逃げたあの夜、お前らの予報で……何も変わらなかった」

その言葉に、羊飼いの母親が肩を震わせた。誰かが嗚咽を飲む音が聞こえる。アオは少年の顔を見た。唇の震え、目尻に溜まった透明な光。涙だと判断するには、かつては赤味と光の反射を手掛かりにしていた。しかし今、彼にはただ「湿り」と「滑るような光の点」だけが見えた。アオは咄嗟に、慰めの言葉を投げるつもりで「信じて」と言った。そして、その瞬間にあやまった。

「信じて?」母親の顔が硬直した。父親は立ち上がり、アオを睨みつけた。「あんたは我々の悲しみを軽んじるのか。お前の一枚の空図が、どれだけ我々を傷つけたか分かっているのか」

空気が割れた。言葉が連なり、場の雰囲気は裂け目のようになった。エナが間に入ろうとするが、父親は彼女の腕を押しのけ、「外へ出て行け」と吐き捨てた。少年は、そのまま布を握りしめて、家の中に引きずられていった。家族の扉が閉まるとき、アオは自分の心臓がどんどん冷えていくのを感じた。彼が「信じて」と言ったつもりが、「安心しろ」と約束したように聞こえたのだと気づいたのは遅かった。

エナが静かに、だが強く、アオの肩を打った。「何をしたの、アオ。言葉一つで戻れない橋を渡すってわかってる?」

「違うんだ…違うんだけど」アオの声は震えた。色を失った世界は、彼に新たな恐れをもたらしていた。顔の色でわかるはずのがっかりと怒りの違いを識別できず、彼は優しい声と決意の境界を誤読した。彼の不器用さが、人の信頼を壊す刃になってしまった。

ミツが小さく舌打ちをして、岩陰に腰掛けた。「だから言っただろ、アオ。能力は便利だけど、それを使う者の判断が重要って。眠りを差し出すたびに、色が減るというのは知ってたけど、ここまでとは」

ダンは地図を閉じて、冷えた視線でアオを見た。「だがそれは相手に伝えなかったお前の責任だ。人はお前の色だけじゃなく、声や姿勢でも読む。お前が変わったのなら、先にそれを伝えなければならなかった」

アオは頭を抱えた。眠気が襲ってくる。もしここで一枚描いて、明日の天候を固定すれば、彼はこの谷の人々に「時間」をもう一度差し出せるだろう。しかし代償は明確だった。眠らずに書き換えるたびに、彼は一層、人の表情の色を見分けられなくなる。今の失敗は、その代償の一端だ。アオは息を吸い、言葉を選んだ。「今は…今は描けない。描いても、まだ信じてもらえない。俺のせいで傷付けた。まずはそれを取り戻す方法を探す」

エナは俯いて小さく笑って、だがその目は硬かった。「弁解は聞き飽きた。だが謝るなら行動で見せなさい。言葉はもういらない」

その夜、アオは村の外れにある小さな風見鶏を見に行った。雪が薄く積もっている。風見鶏は、ここ数ヶ月で彼の中に象徴的な意味を持つようになっていた。師匠が残した色のない風見鶏、白紙の七日目――それらは一見して無関係に見えるが、何かを繋ぐ糸のように彼の心に引っかかっていた。指はかじかみ、だが彼は羽根に残るわずかな塗料の肌理を探った。色が薄れている。指先に伝わるのは、剥がれた木のざらつきと、最近の切削痕。誰かが塗料を削り落としたのか。あるいは、強い熱や油で洗い流したのか。

「誰かが故意に――」アオは小さく呟いた。色を見分けられない代わりに、彼は触覚と記憶を頼りにする。師匠と一緒に回った観測塔の風見鶏は、いつも鮮やかな色で目立っていた。動力が稼働している時、旗や鶏の色はよく塗り替えられて、村人たちが遠くからでも塔の状態を一目でわかるようになっていた。だがここに立つ風見鶏は、色を奪われていた。塗料がそぎ落とされ、下地の木が露出している。作業の跡が、新しく白く乾いている。

「これは、ただの風化じゃない」アオは腕に力を入れた。色が消されるということは、視覚的な情報が奪われるということだ。観測を止めさせるために、見せる手段を破壊する。彼の頭に、ある考えが浮かぶ。もし観測の証拠を目に見えなくすることで、住民が塔の稼働を信じられなくなるなら、それは直接的な統制になる。情報の目に見える部分を官が操作すれば、民心を操作することが可能だ。

背後から気配がして、ミツが来ていた。彼女は懐から小さな鉄片を取り出して、破れた塗膜の断面を覗き込んだ。「塗料の成分が変わってる。昔の村用の顔料じゃない。匂いも違う。都市の倉庫で使う油性の溶剤の匂いがする」

アオは臭いを嗅ごうとしたが、匂いは微かで色を欠いた世界の中では霞んだ。だが彼は確信めいたものを得た。風見鶏の色を奪う行為は、偶然や時の流れではない。誰かが観測の可視的証拠を消している。もしそれが意図的なら、王都に通じる指示があるはずだ。アオは手の震えを止めながら、ミツの肩に置いた手を軽く握った。「やられてる。観測の見える化を消してる。誰かが塔を使わせないようにしているんだ」

「つまり、大臣さんの手が入っているのか?」ミツ