天気屋

天気屋 第14話「第一部幕間」

雪解けの匂いが谷を満たしていた。瓦礫のあちこちから鍬の音が跳ね、昨日まで避難所だった大広場には木製の作業台が並び、子どもたちが寄せ集めの紐で旗を縫っている。アオは腰に差した毛布をぎゅっと抱え、風を見上げながらゆっくり息を吐いた。したいことは簡単だ。眠ること。体を伸ばして眼を閉じ、まとわりつく疲れを落としたい。だが顔を上げれば、守るべき人々が動いている。

雪解けの匂いが谷を満たしていた。瓦礫のあちこちから鍬の音が跳ね、昨日まで避難所だった大広場には木製の作業台が並び、子どもたちが寄せ集めの紐で旗を縫っている。アオは腰に差した毛布をぎゅっと抱え、風を見上げながらゆっくり息を吐いた。したいことは簡単だ。眠ること。体を伸ばして眼を閉じ、まとわりつく疲れを落としたい。だが顔を上げれば、守るべき人々が動いている。

「アオ、こっちに来てくれ。雲のこと、もう一度教えてくれ」
糸で縫い目を合わせる老人の声に振り向くと、縫い物に没頭していた羊飼いの孫が手を止めていた。青い縞シャツの少年の頬はほてっているように見えたが、アオの目にはそれがうまく判別できない。いつの間にか、誰の頬が赤く、誰の眉が紫に濁っているのかを読み取る力が薄れていた。眠りを差し出して書き換えを重ねた代償は、確実に肉体の一部を蝕んでいた。

「今日は東の雲を見て。低い積雲が速く流れてるだろう? その下に薄い層雲がかかっている分、午後には気温差で細かい霰が降る可能性がある」
アオが指さすと、老人は頷きながらも眉をひそめた。その眉のわずかな角度が不満の色か、単なる疲れかを判別できない。話の途中で老人が口を開き、言葉が鋭くぶつかった。アオは驚きで言葉を飲む。

「君がどれだけ雲を読むと言ったって、過去の誤報でここは信用を失ってるんだ。説明だけで避難ができるなら、あんな夜は起こらなかった」
怒りの赤さがどれほど強いのか、アオは測れない。ただ、声の震えと、両手をぎゅっと握る様子から苦い感情だと推測するしかなかった。無自覚の冷淡さが古傷を抉るように感じられ、アオは口をつぐむ。

側にいたエナが、毛布の端をつかんだまま低く息をついた。師匠の娘としてここに残り、予報帳の断片を抱えている彼女は、誰よりも現実に疲れていた。風見鶏の羽根は依然として色を失い、彼女はその先をじっと見つめては表情を曖昧にしていた。アオは、その眼差しの重さも、完全には読み取れなかった。

「説明だけでは人は動かないって、君はいつも言ってた」エナが言う。「だから、行動で示さなくちゃ。ここを直して、彼らが自分の目で空を確かめるしかない」

ミツが大きな金属の筒を担いで近づいてきた。稲妻のように乱暴に笑い、手元の仕掛けを覗き込んでいた。彼女のやる気は色で示されるよりもはっきりしていて、アオの鈍った色覚を気にしない。ダンは離れたところで石を積み直しながら、地図を嫌う癖に作業の段取りだけは几帳面に仕切っていた。三人三様に、彼らはアオの道具ではなく、それぞれの判断で動いている。

「俺はあの塔の基礎を作り直す。地図なんかいらねえ。手を動かせば道が見える」ダンは言った。彼の声には譲らない堅さがある。エナは小さく頷き、ミツはにやりと笑って金属筒を肩に戻す。

アオは欲張らない決心をした。自分の力で一枚一枚の予報を空に貼り付けるよりも、ここにいる人々自身が観測できる方法を広げる方が長く効く。だがその言葉を発する直前、胸の奥でじわりと冷たい感覚が広がった。昨夜も彼は眠りを削って一枚を書き換えた。書き換えの代償は睡眠で、睡眠を差し出すたびに人の表情を色として見分けにくくなる。今その代償が、実害として顔に出ている。

「図を一枚だけ、空に描く──見せるためだけに、俺がやってもいい」アオが言うと、ミツが即座に首を振った。

「それじゃまた君が全部背負い込むだけだ。見せ物の一枚は一時の安心しか生まない。今必要なのは、旗を立てる方法を教えることだ」
ミツの声は真っ直ぐで、無駄がない。アオはその言葉の中に自分のしたくない未来像を見た。能力で時を稼ぐことはできても、誰かが常に眠って代価を払い続ける社会は不健全だ。

彼はもう一つの妨げを感じた。王都の動きだ。物資を運ぶ商隊の男が広場を横切るとき、皆が低く唇を噛んだ。噂は届く――塔の一つが動力を切られた、風見鶏の色が剝がれていた、王都から使者が来ている。アオはその声を背に、低い声で言った。

「分散させよう。塔一基に頼るんじゃなくて、ここにいるみんなが小さな旗を上げられるようにする。観測の基準は難しくない。雲の形、風の方向、雪煙の起き方。基本を繰り返して記録するんだ。誰か一人の色眼で決めるんじゃなくて、みんなの情報を重ねる」

エナが息を詰めた。彼女は予報帳の皮表紙を胸に抱いていた。あの帳面の白紙の頁は、彼女にとっては未だに刺のように残っているが、ここで彼女は小さく笑った。

「白紙の七日目を、私たちの観測で埋めてみせる。もしその一ページが空っぽだとしたら、それをどう塗るかは私たち次第でしょ?」
その言い方には、師匠の面影を映すものがあった。アオは胸が暖かくなるのを感じた。それは自分一人で何でも描くよりも、皆で塗る未来の方が鮮やかだという確信だった。

夕方、仕事が一段落すると、谷の再建委員会が小さな木の囲いの中に集まった。老人、羊飼いの家族の代表、商隊の男、若い母親たち。ダンは紙の地図に鉛筆で危険箇所を指し示し、ミツは雷集めの器具を簡易発電として使えば観測機器に電力を送れると説明した。エナは予報帳の断片を広げ、そこに残る記号を見せる。アオは紙の隅に自分が思いついた観測旗の図案を走り書きした。旗には雲の形を示す簡単な印、風向きを示す短い色帯、雪の積み具合を記録するための小さなポケットが描かれている。

「やってみよう。観測のやり方、旗の立て方、記録の付け方を教える。最初は簡単なチェックリスト。誰でもできることから始めるんだ」アオは言った。自分の声に、以前ほどの自信はなかったが、はっきりとした責任感があった。

だが会議の途中、若い母親の顔が一瞬冷たくなるのをアオは見逃さなかった。いや、正確には見逃した。彼はその表情の色を判別できず、母親が不安なのか諦めなのかを読み違えた。結果、彼が出した案内は彼女には負担に映ったらしい。母親は小さく声をあげ、釘を打っていた手を止める。

「私たちは夜の警戒だってできない。小さい子を置いておけないんだよ。それを君に言ってもらっても、ただ不安だけが増える」

その言葉が場に落ちたとき、アオは自分の誤認に気づき、血の気が引いた。説明は正確だったかもしれない。しかし、言葉だけでは不安を解かない。彼は自分が持つ「一枚の天気図」で時間を稼ぐ力と、それに伴う代償が、ここでは逆効果になりかねないことを感じた。眠りを削るたびに彼の対話能力、その場の空気を読む力が落ちているのだ。共同で動くためには、彼自身がまず安定して人と向き合える必要がある。

「ごめん、ちゃんと考えてなかった。聞かせてくれ、どうしたらいい?」

アオは素直に尋ねた。自分を責めるより、相手の声を取り戻す方が先だという当たり前の判断だった。女性は小さく笑ってから、提案を出した。夜の見回りは交代制にして、昼間は年配の人や、子供と一緒に居られる人が担当する。夜間の寝場所に仕切りを作れば心理的負担も減る。具体案が出て、場が動く。アオはその合意を見てほっとする一方で、自分の色盲めいた感覚にいらだちを覚えた。

夜が近づくころ、広場に立てられていた風見鶏の一つを子どもたちが取り払い、皆で色を塗り直していた。色はまだ薄く、下地の木目