花火師 第20話「第18章」
朝の光は薄く、硝煙の匂いが風に混じって干し草の上を滑った。ユウは作業台に突っ伏したまま、冷えた掌の感覚を確かめる。包帯の下で指先がじんとする。熱さが、遠い。
朝の光は薄く、硝煙の匂いが風に混じって干し草の上を滑った。ユウは作業台に突っ伏したまま、冷えた掌の感覚を確かめる。包帯の下で指先がじんとする。熱さが、遠い。
「また夢か」
ガルドの低い声。彼は工房の入り口に立ち、煤だらけの手袋を片手で外していた。顔には疲労と苛立ちが混じるが、眼底には昔の点火士としての慎重さが残っている。リラはいつも通り、耳に当てた布きれの端を指先で揉んでいた。外からは避難区画の子どもたちの笑い声が届く。ミナは帳簿の束を膝に抱え、次の配給の計算をしているようだった。
ユウは身体を起こし、作業台の端に置いた小さな硝石の欠片を手に取る。欠片の表面に、彼だけが見えるように薄い彩が残る。赤い線が呼吸を作り、青い透き通った波が向かいを指し、金の光は護りの輪郭を示していた。指先が自然に動き、彼は三色の「熱」を紡ぎ始める——赤、青、金。糸のように織り上げ、欠片の尖端へと流し込むと、微かな振動が指を伝った。
「やめろ!」
リラの声にユウははっと手を引いた。金の光がまだ指先に残っている。布越しでも、彼女は色の調子を読む。リラはユウの掌の匂いを嗅ぐように近づき、眉を寄せた。
「金、また多すぎる。ユウ、見て──あなたの手、煤が付いてる。焦げてる」
ガルドが火ばさみを持って来た。誰もがそれを当然のように手に取り、ユウの手首を覆うように暖められた湯の入った器を差し出す。ユウは抵抗する。いやだ、と思う。自分でできるはずだ。何年も火薬の管理をしてきた。だが指の先が鈍い。疼きが薄いと、痛みの警鐘が鳴らない。ユウは、自分の感覚が裏切りつつあることを改めて実感した。
「気づかなかったんだ」
ユウはそう言ってしまう。声が小さく震えるのを、彼だけが聞いた。リラは黙って指先に軟膏を塗り、包帯を巻き直す。包帯の端を結ぶ音が、小さな終止符のように響く。
「あなたが気づかなくても、私たちは気づく。私たちでやるって言ったじゃない」とミナが言った。その声は怒りでも諭しでもなく、静かな確信だった。避難民の代表として彼女はここにいる。ユウの仕事は火を作ることだけではない。皆の安全を守ることだった。
ユウの胸の中で何かが崩れる音がした。彼は立ち上がり、作業台の上の地図を指した。上空の防壁、回路の接続点、各工房の位置。ここ数日、彼は顔を真っ赤にして線を引き、届いた情報を整理していた。自分がいなくなることはできない。前線で点火することを放棄するわけではない。だが、手を前に出すことは――自分の身体を危険に晒すことは、もう許されない。
「今日は、外に出たい。南側の古い堰まで行って接続を確認したいんだ。ガルド、君の手は貸してくれるか?」
ガルドはしばらく黙ってユウを見ていた。口元に笑みが動きかける。笑いではない。観察の結果を伝える男の顔だ。やがて彼は頷いた。
「いいだろう。だが手は使わせん。指一本でも失ったら駄目になる。俺たちで持つ。お前は指示しろ。現場は俺が動かす」
ユウはその提案に、最初は反発した。指一本で、俺の仕事は終わるのか、と。だがリラが小さく、確かな声音で言った。
「ユウ、あなたの痛みが消えるほど金を使うたびに、私たちはあなたを失うんだよ。あなたが誰よりも知ってる。火は人を守る道具になるかもしれないけど、扱う人の身体が道具じゃない。私たちはあなたを守りたい。あなたがいないと、私たちが困る。だから、守る側にいて」
言葉が胸に刺さる。ユウは俯いたまま、ハンカチで唇を拭った。彼は自分の体を丁寧に見たことがなかった。痛みが遠くなるということは、危険に気づかないことを意味するのだ。先日、極小量の金を使って灯を結界状に形成したとき、ユウは掌が赤くなっているのに気づかなかった。周囲の者が大声で叫び、炎を消し止めてくれた。もしそのとき、もっと深い火傷を負っていたら──。想像が、冷たい。
ユウは息を吐いた。「分かった。今日から、現場を管理する。点火士になるつもりはない。だが総括は譲れない。合図、タイミング、色の配分――それは俺がやる。現場で火に触れるのは、君たちだ」
彼の決断を耳で確かめるように、工房の扉が開いた。外には制作に参加してくれる隣村の職人たちが列を成し、顔には疲労と期待の色が混じっていた。ユウは彼らに向き直り、地図を広げた。青い線がいくつも引かれている。赤のしるしが避難通路を照らし、金が防壁回路の接続点を示す。だがその金の点は、ユウには危険の匂いそのもののように映る。
「俺たちが必要なのは、感覚を共有することだ」とユウは言った。「金が必要な箇所はある。だがユウ一人で使ってはいけない。金は誰が使うか決める。赤と青は各工房が担え。金は三つに分けて、三つの工房が責任を持つ。使うときは必ず二人以上で、確認を行う。リラ、合図は君だ。音で色を選ぶんだ」
リラは顔を輝かせた。彼女の耳は普通の人の何倍も情報を捉える。彼女は目を閉じ、掌に小さな鉄片を置いた。音を拾う仕草。彼女の能力は単に音を色に変換するだけではなく、人の呼吸や歩幅のリズムで合図の色を微調整することができる。彼女の小さな体が頷いた。
「分かった。音を紡いでみる。君が指示した色を、私は音で送る。皆はその音を聞いて動く。ユウ、あなたは配置と計時を指示して。私たちが手を動かす」
ガルドは唇を真一文字に結んで地図に指を滑らせた。「ここが要だ。旧堰の遺構。防壁の一部だが、金の回路がまだ残っている。王都に繋がる線が一本ここから伸びてる。もしそこが遮断されてるなら、金の独占はここから始まった可能性がある」
ミナが腕を組んでいる。彼女の目は、住民たちの生活を一枚の布に見立てる力がある。彼女はユウの決断を歓迎しているようで、しかし心配そうでもあった。
「でも、ユウ。あなたが前に出ないとなると、民衆にどれだけ安心してもらえるか……。あなたの顔は力の象徴だった。ここでじっとしているのを見られるのは平気?」
ユウは自分の手を見た。包帯の上からでも、関節が痩せて見える。火の中で鍛えられたあの手は、もう全てを背負えない。けれど彼は微笑んだ。小さな笑みだった。笑みは恐らく、彼にとっての新しい戦略の誓いに近い。
「安心させるのは火じゃない。手順だ。皆でやれば死ぬ人は減る。俺が前に出るときは、誰かの命を賭ける瞬間だけだ。今は、その瞬間を先延ばしにする。皆でやれば、瞬間は少なくなる」
決断は口に出すだけで軽くなるわけではない。だが周囲の人々はそれを受け止め、各々の役割を承認していった。職人たちはお互いに工具を見せ合い、作業の分担を即座に調整した。赤を主に扱う職人は火花の微調整を得意とし、青を得意とする者は打ち上げ角度の計算を得意としていた。金を扱うと名乗り出た三人は、互いに誓約の印として掌を重ねた。ユウはその誓いを見て、胸を締め付けられた。
午後になり、旧堰遺構へ向かう小さな隊列が出発した。ユウは外套で包まれた左手をポケットに入れ、残る右手で地図の場所を指し示す。だが歩みはゆっくりで、時折足を止めては周囲を確かめる。金を編むときの発動は、対象の火薬や鉱石に触れることが条件だ。現場で触れることが最も危険な瞬間だとユウは知っている。今日は触れない。触るのは、ガルドと職