花火師 第2話「第1章」
夕暮れの煙が低く垂れこめる。焼け残りの竹の匂いと、使い古された火床の油の匂いが混じって、辺境の花火工房はいつもより重たく息をしていた。ユウは作業台に肘をつき、指先で壊れた花火筒の口径をなぞる。彼が今したいのは、ただ一回だけ、子どもたちの目の前で小さな光を見せることだった。祭りを取り戻すための力強い祝華ではない。怖がって耳塞ぎを続けるあの子たちに、「火は全部悪くない」と一瞬でも思わせる――そのための、最小限の火だ。
夕暮れの煙が低く垂れこめる。焼け残りの竹の匂いと、使い古された火床の油の匂いが混じって、辺境の花火工房はいつもより重たく息をしていた。ユウは作業台に肘をつき、指先で壊れた花火筒の口径をなぞる。彼が今したいのは、ただ一回だけ、子どもたちの目の前で小さな光を見せることだった。祭りを取り戻すための力強い祝華ではない。怖がって耳塞ぎを続けるあの子たちに、「火は全部悪くない」と一瞬でも思わせる――そのための、最小限の火だ。
「できるなら、今夜にでも……」工房の奥で声を振り絞るように言ったのは、避難民区画の代表を務めるミナだった。彼女の声には疲労の芯があり、けれど眼差しはぶれない。小さく縮んだ集落の灯りを背に、彼女は筒を差し出す。表面は煤に覆われ、所々に補修の跡がある。だが内側を覗きこみ、ユウは息を飲んだ。細い金の線が、薄く筒の内壁に溶着している。光を受けると微かに虹色を帯びて見えるそれは、装飾に紛れて目立たぬ場所にありながら、確かに回路に見える。
「殆どが壊れて運び去られたけど、残ったのがこれよ。王都向けに仕組まれた回路の一部って聞いた」とミナが言う。言葉は軽くても、含意は重い。王都の名を出すだけで、周囲の空気がひんやりとする。
その時、入口の方で小さな足音が止まる。リラの妹分の子ども――ジェンナだ。耳に大きな布製の耳栓を詰め込み、顔は白い塗り薬で覆ったように強張っている。彼女は筒を見もせず、ただユウの袖を掴んだ。「火は・・・こわい」小さな声が複雑な震えを伴って漏れる。耳栓の端から覗く黒い瞳は、光を避けるように細い。
ユウは彼女の頭を乱暴に撫でることはしなかった。前世の職業――防災用火薬の安全検査員だったころの癖が残っている。人間の恐怖に、機械的な理屈で説得しようとしてはいけない。安全の理屈は大切だが、まずは感覚を取り戻させねばならない。彼は小さく息を吐き、机の上の年季の入った箱を開けた。中には削り粉、鋼の小片、少量の硝石と鉛灰が仕分けられている。どれも集落が何とか守り続けている材料だ。
「見せてくれるだけでいいの?」ミナが問う。期待と不安が混ざった声。ユウは頷いた。「ほんの、小さな合図だけ。逃げるときの目印になる程度のものを。大きくはしない。材料は節約する」
作業台の前に座ると、ユウは手袋を外した。以前の職業柄、手早く正確に扱う指先にはまだ傷跡が残っている。彼の掌が黒い粉に触れた瞬間、慣れた感覚が蘇る。ただしこの世界では、そこに「色」が見える――と彼は思う。粉の粒子に触れると、指先がぴりりと違う温度差を知らせる。赤の熱は針で刺すように端的で、青は微かな流れとして指先を撫でる。金は柔らかく、しかし触れるとほんの少し世界が遠くなるような感覚――痛みが薄れるときの、陰のような温度だ。
彼は念じるように、やるべきことを一つずつ紡いでいく。まず赤。粉を小さく練って、指の間で色の熱を形作る。赤は火の意志だ。次に青を重ねる。青は方向を決める。微かな指の動きで、炎の行く先を示す糸を編む。二色までなら、心地よい手応えが来る。三色目の金は、守りの役割を持つ。ただし――同じ色を重ねることは禁じ手だ。もし赤を二度重ねれば、筒は即座に暴発するだろう。金を多用すれば、帰って自分の痛みから遠ざかり、火傷に気づかない恐れがある。ユウはそれを事前に防ぐために、彼自身の手に小さな刻印を入れていた。代償を忘れないための、記憶の印だ。
「三色までだ。重ねる色はみんな違ってなきゃいけない」彼は声に出して確認する。ミナは不安そうに眉を寄せるが、ジェンナは耳栓を押し当てたまま小さく首を縦に振った。合意は取れた。
修復作業は単純な力業では済まなかった。壊れた筒は、表面から見て想像する以上に繊細な仕組みを内包している。ユウは錆びた金属片を掻き分け、内側の金の線がどう繋がっているかを確かめる。光が差し込む角度で線は薄く光り、在りし日の設計図の残滓が見えた。回路は、火薬の発火を王都へと連絡する一種の合図網につながっていたのだろう。彼の心臓が一瞬冷たくなったが、今は夜の子どもたちのための合図を作ることに集中した。
最小限の硝石をこね、小さな芯を作る。赤と青を指で編み、筒の奥へ導く。青の線は、炎の吐き出す方向を決めるためにわずかに捻られる。赤は一瞬の熱を造る。二色だけで済ますことができれば、金の代償を払わずにすむ。だが筒の内壁に触れた金の線が、わずかに反応した。金は、無理やり封じ込められた守りの残滓だ。ユウはそれを触ってしまいそうになって手を引っ込め、顔をしかめた。指先にほんのりとした痺れ――痛みの距離が、少しだけ伸びた気がした。
「大丈夫か?」ミナが尋ねる。ユウは首を振る。痛みはまだ来ていない。しかし、彼は知っている。金を使えば、確かに守りは強くなる。しかし代わりに、自分は自分の身体の悲鳴に気づけなくなる。昔の検査員としての理性が囁く。自己犠牲は英雄譚には映えるが、いまは誰かを守るための道具で自分を壊してはならない。
「今は二色だけで行く。合図になるだけの光を、子どもたちに見せる」ユウは決めた。その声には迷いが混じっていたが、それを隠そうとはしない。ミナは一瞬ためらったが、やがて大きく息を吐き、頷く。「それでいい。短く、確かに」
外では風が一度強く吹いて、集落の紙灯籠が揺れた。辺りには好奇心と恐怖が混じったざわめきが広がる。ユウは筒を持って広場へ向かった。子どもたちは耳栓を押し当てたまま、しかし身を乗り出している。大人たちは後ろに控え、表情を固めている。ユウは膝をついて筒の口を地面へ向け、唇を噛んだ。彼の指先は、赤と青の熱を確かめる。二色のみ。規則は守られている。
「数秒で消える、すぐ逃げていい」彼は声を低くして告げる。ジェンナだけが耳栓を外して小さな声で言った。「見る」その瞳は揺れている。ユウは合図に合わせ、静かに火種へと触れた。赤が瞬き、青がその方向を撫でる。炎は花のように膨らみ、そしてそっと空へ向かった。小さな光の花が、夜の空間にゆっくりと咲く。音は控えめで、しかし確かなひびきが地面を伝う。
子どもたちの間から、思わず息を呑む音が聞こえた。ジェンナの手に握られていた耳栓が落ち、彼女は光を見上げる。目の端で、ユウはミナの口元が少し緩んだのを見た。だがすぐに、遠方の山際で何かが動いた。影が走るような感覚があった。見張りの者が、手旗を振る。集落の背後にある古びた見張台の人影が、警戒の目を光らせている。王都の監視網はまだ生きている。小さな試演は誰かの耳に入ったかもしれない。
光は想像以上に短く、空でぱっと開いた後、粉だけが残って地表に舞い降りた。誰一人として逃げ出さなかった。ジェンナは肩を震わせながらも笑みを浮かべた。ユウは短く息を吐き、手元の筒を机へ戻す。指先が熱を失うのを感じ、安心と緊張が同居する。
だが手の甲に小さな刺すような痛みが走った。見れば、細い赤い線が皮に走っている。ユウはそれを無造作に指で触り、痛みに目を細めた。痛みはまだ鋭かった。金を使わずに済ませたはずだ。なのに、どうして――。彼は瞬時に体勢を正した。もしこれが放置されれば、感染や深い傷に変わる。ユウは自分が壊れ始める前に治療の算段をしなくてはならな