花火師

花火師 第1話「序章」

朝の光は薄く、工房の窓から差すそれは、硝煙の匂いと混ざり合っていた。ユウは粗末な木の床にひざまずいたまま、まず自分の手を見た。指先には黒い粉が入り込み、小さな傷が幾つも。どれも新しいはずなのに、どこか遠い記憶の痕に見えた。

朝の光は薄く、工房の窓から差すそれは、硝煙の匂いと混ざり合っていた。ユウは粗末な木の床にひざまずいたまま、まず自分の手を見た。指先には黒い粉が入り込み、小さな傷が幾つも。どれも新しいはずなのに、どこか遠い記憶の痕に見えた。

「ここが、俺の場所か……」

断片的な前世の映像が、まだ鮮明に残っている。夜勤の検査表、爆発の直前に冷静であった自分、防災のために何を守るべきかを測ってきた日々。ここは違う。ここでは火が祝祭と帰還の象徴だ。だが守るという点では同じだった。

戸口の方から声がした。低く、抑えた口調。外の広場には仮設の屋台、毛布を掛けた木箱、人々が寄り集まっていた。顔には疲労と諦め。中で最も真剣な表情をしていたのが、濃い茶色の布を頭に巻いた女性だった。腕に巻いた幾つかの巻物が、彼女が区画の代表であることを物語る。

「ミナさんか」

言葉は無意識に出た。彼女は一瞬固まり、そして小さな笑いを返したが、笑顔の端に諦めが混じっている。

「あなた、昨日からここにいるのね。手伝ってくれるの?」ミナの声は慎重だ。

ユウは広場をまっすぐに見渡した。子どもたちが軒先で身を寄せ合い、白いや革の塞ぎを耳に詰めている。誰もが、祭りについて口を閉ざすときのように目を伏せている。

「帰天祭は……今年も中止だって役所が言うの。上の者が『静かな空が安全』だってさ」ミナの言葉に、怒りと哀しみが混ざる。「でも、ここにいる人たちは祭りでしか帰る意味を想像できない。祭りが消えたら、この区画は掘っ立て小屋の集合になってしまう」

ユウの胸の奥で、以前の仕事で鍛えた計算が働いた。守る対象は目の前にいる人々、特に耳栓を外せない子どもたち。自分の目的は今ここで形を得た。帰天祭の夜までに、何としてもこの区画に灯りを取り戻す——その小さな灯りが、人々の帰還の希望になるのだ。

ミナの視線が彼の手に向く。ユウは奥へと目を移した。積み重なった壊れた花火筒のあいだで、ひとつの破片が半ば剥がれて金属の帯を露出させていた。そこに、かすかに金色の線が残っている。

手が勝手に伸びた。触れた瞬間、指先に細い振動が走り、温度でも可視でもない色の感触が絡みついた。赤、青、金——色が分離して見えるかのようだった。ユウは無言で破片を拾い上げる。前世の検査官としての癖が、彼に細部を確かめさせる。

「それ、飾りじゃない。導線だ」ユウは破片を指で辿りながら言った。金の線は、ただ曲がっているのではなく、ある方向を指している。わずかな溶接跡、角度の付け方。設計の意図が残る。

子どもが近づいてきた。耳栓を少しずらし、怖々と破片を見る。瞳には恐れと好奇が交錯している。

「なに、それ?」声が震える。

ユウは破片を棚に戻すのではなく、試しに自分の能力を短く使ってみることにした。ここでやるべきは先ず小さな、安全な提示だ。能力にはルールがある——彼はそのルールを体で覚えていた。

1)同時に扱える色は三色まで。
2)同じ色を重ねると不安定になり、暴発の危険がある。
3)金の“守り”を使うほど、自分の痛覚は遠のいていく。痛みを感じなくなる代わりに、身体の損傷に気づけなくなる。

説明は要らない。指先を動かし、赤と青だけを選んだ。赤は熱を可視化する色。青は方向を与える色。金は守りだが、今は封印する。金を一度でも多用すれば、自分が火傷していることに気づけなくなる——それは過去に見た光景の繰り返しだ。仲間を守るために、自分の身体に目を光らせられなくなるのは致命的だ。

指先で硝煙の微粒を掬い、静かに編むように色を絡ませる。赤が中心に集まり、青がその先端を針のように差した。糸を結ぶような一連の動作が終わると、掌に小さな光点が生まれた。音はほとんどせず、柔らかな浮遊感を伴って横に飛ぶ。ぱちぱちと小さな火花ではなく、暖かな灯りだ。

子どもたちの目が光る。耳栓をしたままの子が、思い切って少し外してみると、その顔が柔らいだ。ミナは息を吐いて、肩の緊張が解けるのが見えた。

「花火みたい……けど、音がしない」子どもが囁く。

「合図だ。大きな音は出さない。怖がる君たちのための灯りを、まずはこれで示す」ユウは答えた。言葉が途中で止まる。目の前で小さな灯りが揺れるのを見て、彼は自分の決断を固める。

そのとき、別の男が囁き声で近づいてきた。「もっと明るくできないか? 二つ赤を重ねれば、遠くまで見える」若い職人の声には実利的な欲がある。だがユウは首を横に振る。

「同じ色を重ねるな。それは暴走の元だ」ユウの声は穏やかだが断固としていた。昨夜の事故の光景が甦る。色同士のバランスが崩れたとき、火薬は設計どおりではなくなる。ここで一発の派手な成功があっても、次には取り返しのつかない代償が生じる。

ミナがそのやりとりを見つめ、小さく微笑んだ。決断の時が来たのだろう。周囲の視線が集まる。彼女はゆっくりとユウの顔を見てから、周囲に向き直った。

「私たちは、危険だと分かっている。でも、静かな空で閉じ込められるのは嫌だ。もしあなたがルールを守ってくれるなら、ここで手伝ってほしい。子どもたちに夜空を見せたいの」ミナは迷いを隠さずに言う。言葉の最後にあったのは、諦めでも懇願でもなく、選択の表明だった。

彼女の決断は、ユウにとって仲間が自分の判断で参加する瞬間でもある。誰かに強制されて助けるのではない。自ら責任を取るという合意が形成されること。それがユウの力を本当に人々のために使うための前提になる。

「分かった。残る」ユウは短く答えた。言葉は宣誓のように胸に響く。目の前の合図の小さな灯りを確かめ、彼は自分の能力の制約を改めて確認した。三色の限界。同色の重ねの危険。金を頼れば守りは得られるが、代償は身体感覚の喪失だ——それは、守るための条件として常に自分を縛る鎖になる。

ミナの目に涙が光ったが、笑みがそれを押し隠す。周囲からは小さな拍手が起き、子どもたちの一人が耳栓を完全に外した。嬉しそうな顔はまだぎこちないが、確かにそこにある。ユウはその笑顔を胸に刻む。

だが破片の金色の線は、彼の手の中で静かに光っている。触れたときに感じた違和感は消えていない。内部に残った回路のように、その線はある方向を指していた。ユウはそっとそれを棚に戻しながら、無言で観察する。

「王都の方を向いている。意図的に作られたものだ」ユウが言うと、広場の空気が一瞬凍る。ミナが顔色を失い、子どもたちがざわつく。導線が指す先には、物資や情報を一方的に握る力があるということを、彼らは肌で知っている。

「流通が止められて、役所が封をした。『静かな空が安全』っていうだけじゃなく、上が空を独占しているって噂があるわ」ミナの声は小さく、だが確かな怒りがにじむ。「ここに残る意味が、ただの郷愁じゃないってことを、あなたにも分かってほしい」

ユウは黙って頷いた。彼は今、やるべきことを見据えていた。まずはこの地区の安全を最優先に、小さな合図から始める。技術と手順を積み上げ、人々の信頼を取り戻す——そしていつか、あの金の線が指す先に問いを投げる。

棚の影で、金の線はじっと彼を見守るように光った。ユウは棚を背にして空を見上げた。低くたれ込めた