騎士団の悪役令息は失踪した王女を探す

騎士団の悪役令息は失踪した王女を探す 第5話「第4章」

糊の匂いが、古書室の石壁を満たしていた。薄暗いランプの光が、冊子の断片に貼り合わせられた紙の縁を鈍く揺らす。ハナは指先に糊をべったりとつけて、ためらいなく次の破片を押し込んだ。指先に紙の繊維が貼り付き、指紋に細かな黒い煤が入る。彼女の唇は真剣に噛みしめられ、眉間の皺に小さな皿のように影が落ちる。ユリオはそれを見つめながら、胸の奥に小さな緊張を抱えたまま膝を抱えていた。

糊の匂いが、古書室の石壁を満たしていた。薄暗いランプの光が、冊子の断片に貼り合わせられた紙の縁を鈍く揺らす。ハナは指先に糊をべったりとつけて、ためらいなく次の破片を押し込んだ。指先に紙の繊維が貼り付き、指紋に細かな黒い煤が入る。彼女の唇は真剣に噛みしめられ、眉間の皺に小さな皿のように影が落ちる。ユリオはそれを見つめながら、胸の奥に小さな緊張を抱えたまま膝を抱えていた。

「ここだ。ここが婚姻律の肝だろう」ハナが言う。声は低く、確信に満ちている。彼女は破れかけた段落の縁を指でなぞり、焼け跡の黒い縁を懸命に合わせる。その手つきは荒っぽいが無駄がない。ユリオはハナの手の甲に付いた糊を見て、自分の指先が冷たくなるのを感じた。自分と彼女の距離が、この紙一枚分に縮まっている。

「公開する、って言ったな。寄せ集めた写本を、関係者の前で繋ぎ合わせて読み替える――それで、全員の同意を取る。ハナ、本当にいいのか?」ユリオは声を細める。彼がこの作業に賭けているものは、単なる解釈だけではない。王宮の古い制度を、当事者の同意で読み替えることができる自分の術――だが、同時にそれは必ず代償を伴う。

ハナは顔を上げ、紙の隙間からユリオを見た。指先にはまだ大量の糊が残り、爪の縁は黒い。だが彼女の目は揺らがない。「いい。私たちでやる。勝手に変えるんじゃない、ユリオ。皆と同意する形にする。それがあなたの力を正しく使う方法でしょ?」

「そうだけど」ユリオは言葉を詰まらせた。彼は自分の能力の条件を思い出す。制度文書を読み替えるには、当事者全員の合意が要る。合意さえあれば、古い文字の齟齬を埋め、新たな運命の道を示すことができる。しかし、それは万能ではない。無理に他人の運命を決めれば、自分の選択肢の一つが消える。これまではただの理屈だった。だが今夜、それが具体的な形になって現れる気配があった。

古書室の扉が軋んで開き、蒼白い光が一瞬差し込む。入ってきたのは記録係のイーヴァ、そして騎士団の副長レン・タス。レンは重い鎖帷子に手をかけ、肩に飾られた紋章が小さく光った。彼の顔は、戦場で疲れた古参のように厳しかった。だが今日は、彼の目にただの厳しさではない好奇心があった。

「呼ばれたと聞いた。何をしている?」レンが息を吐くと、甲冑の金属音が微かに部屋に響いた。彼の声には、問うというより確認する冷たさがあった。ユリオは瞬間、胸が跳ねた。騎士団――それがこの館の視覚的な印象であり、同時に外圧そのものでもある。

ユリオは立ち上がり、手に持ったページを差し出す。「古い婚姻律の写本の断片です。焼けて失われたところを、ハナが修繕しました。これを公開し、関係者全員の前で再訳したい。そこで、皆の合意を取りつける必要がある。レン副長、あなたの承認も欲しい」

レンはページに近づき、黒ずんだ断片を指先でなぞった。彼の指先は硬く、紙の端を押し返すようにして、焼け跡の形を確かめる。部屋は一瞬静まり返った。イーヴァが小さく息を漏らす。ハナはゆっくりと頭を下げて、ユリオに合図するように目を細めた。

「公開、か」レンが言った。「王宮の記録を、そのまま触れるわけだな。何を変えるつもりだ」

「呼び出し手続きを整理する条文の不整合を解く」ユリオは自分の声が震えるのを抑えながら言った。「具体的には、無断で閉ざされた女性の移動権について、当時の条件と実際の運用が食い違っている。正しく読めば、王女の所在を追う手続きの門戸は、もっと開かれるはずだ」

レンの眉が僅かに動いた。「王女か。――それを言うなら、我々騎士団にも利害がある。安全、秩序、そして……筋目だ。お前の言う解釈で、誰かが不利にならないと断言できるのか」

「断言はできません」ユリオは正直に言った。「だから皆の合意が必要なんです。私一人の読み替えではなく、関係者全員で合意することで、現行の運用を改める。ハナが修繕した頁を、ここで公開し、議定書を取る――それが目的です」

レンは長く黙り、やがて唇を薄く結んだ。「わかった。会合は明日、正午に。記録係も立ち会え。だが条件がある。公開するならば、その場で貴族評議の代表も呼べ。ここから先はただの学問じゃない」

ユリオは頷いた。会合の場で、正式に読み替えを提案する──それ自体が、彼にとっては一歩前進だった。だが同時に、心のどこかで引き金が引かれるのを感じた。彼の手のひらが、唐突に冷たくなった。

ハナが最後の破片を押し込み、頁がぴたりと繋がる。紙の隙間から微かな紙の香りと、時々焼けた部分がこすれる音がした。ユリオは息を呑んだ。乱反射したランプの光が、継ぎ目に滲むように横切る。そのとき、継ぎ目が――ほんの一瞬、ふわりと息をしたように動いた。紙が生き物のようにごく小さく膨らみ、過去の声が囁くような錯覚がユリオの耳を掠めた。

「見たか?」ハナの声が震えた。彼女の指が紙の縁を押さえる。ユリオはうなずいた。間違いなく、何かが反応した。だが反応は、同時に代償を伴っていた。

その瞬間、ユリオの左手の甲に冷たい触感が走った。まるで細い針で引っ掻かれたように、細い線が皮膚を横切った。見ると、皮膚に白い筋が一筋光っている――それは消えかかった痣のようであり、同時に紙に刷られた古い印章の形をなしていた。ユリオは驚いて息を吸った。痛みはない。ただ不吉な確信だけが、胸を鈍く打った。

「ユリオ?」イーヴァが呼んだ。記録係の目が鋭く、ユリオの手に向けられる。

「大丈夫です」ユリオは答えたが、口から出た言葉は紙切れのように軽かった。彼はその白い筋を睨んだ。脳裏に、突然ひとつの光景が消えた。未来の断片――以前は鮮明に描けた、城を出て南へ向かう自分の姿、何も持たずに荷紐だけを背負った日を見ることができなくなっていた。代わりに、ひとつの不可避の絵が差し込まれる。鎧と剣、そして誰かの命令に従う自分。選べる未来のひとつが、文字通りその場から削ぎ落とされたような感覚だった。

ハナがユリオの様子を見て、眉を寄せた。「どうした?」

「……何でもない」ユリオは微笑もうとするが、笑えなかった。彼は自分の心の中にぽっかりと開いた穴を感じる。選択肢が一つ消えると、それは空白ではない。そこには他の何かがはめられてしまう。だが何がはめられたのかはまだ見えない。

「公開は約束通り、明日だ」レンが口を挟む。「それで合意が得られれば、読み替えを公的に採用する。だが忘れるな。お前のような特異な能力は、誰もが歓迎するものではない。援護する者もいれば、敵視する者もいる。騎士団としては秩序を守るのみだ」

ユリオは小さく頷いた。レンの言葉には脅しは含まれていない。だがその冷たさは、制度が持つ重さを象徴していた。制度は人々の選択を定める枠組みであり、それを変えれば必ずどこかで誰かの安全や特権が揺らぐ。だからこそ、変革は必然的に抗力を生む。

ハナが破片を机に置き、手を振って糊を落とす。古書室の空気が一瞬、張り詰める。ユリオは自分の左手を見つめた。白い筋はまだ残っている。指先が冷たく、肘の内側に小さな鳥肌が立った。

「ユリオ、明日、どうするの?」ハナがそっと問うた。彼女の声はわずかに震えていたが、目は決意に満ちている。彼女はもう