騎士団の悪役令息は失踪した王女を探す

騎士団の悪役令息は失踪した王女を探す 第14話「第一部幕間」

夜の廊下に、鎧の金属がこすれる音がひとつ、ふたつと落ちる。蒼鋼騎士団の兵舎は昼の喧噪を脱ぎ捨て、油の匂いと革の湿った匂いだけが残っている。蝋燭は低く垂れ、鐙や胸当ての淵に小さな影を落とす。ユリオは、修繕が終わった写本の頁を開いたまま、鉄の匂いの混じった冷気に指をさらしていた。ページの継ぎ目はまだ乾ききらず、ハナが押さえた白布の重みが微かに手の甲に伝わる。

夜の廊下に、鎧の金属がこすれる音がひとつ、ふたつと落ちる。蒼鋼騎士団の兵舎は昼の喧噪を脱ぎ捨て、油の匂いと革の湿った匂いだけが残っている。蝋燭は低く垂れ、鐙や胸当ての淵に小さな影を落とす。ユリオは、修繕が終わった写本の頁を開いたまま、鉄の匂いの混じった冷気に指をさらしていた。ページの継ぎ目はまだ乾ききらず、ハナが押さえた白布の重みが微かに手の甲に伝わる。

「読み上げるとなると、――ここで、公にするべきだと思うんですか」

ロゼットが静かに訊ねる。副長の声はいつも低いが、今はさらに抑制されていた。彼女の掌には包帯が巻かれ、指先に付いたインクが暮れのように薄い紺を残している。彼女は儀を重んじる人間だ。だが、今夜の彼女の目には疑いというより、何かを預かる責任が映っていた。

「公にしなければ、意味がない」トマスが割って入る。下士官らしいぶっきらぼうさで、掌には新しい手紙が折りたたまれている。家族からの借金の督促だ。ページの灯に反射して、封の蝋が薄く揺れる。「馬鹿な隠し事で済ませるつもりはない。誰かが既成事実を作ろうとしてるなら、反証は必要だ」

ハナは小さく息をつき、写本の継ぎ目を指でなぞる。糊の痕はまだ白く光る。彼女の指先は糊で少しふやけており、指紋の溝に埃が入り込んでいる。「でも、この写本を"共訳"するには、ここにいる全員の合意が必要だ……ユリオさん」

ユリオはその言葉を待っていた。合意的規文解釈――共訳。彼が掌の中に抱えた力は、古びた墨と紙を媒介にして、現実の取り決めを再定義する術だ。だが、使うたびに、彼は自分の未来の選択肢を一つ、永久に消費する。前に交わした誓いが、指の間に冷たい痕を残している。

「全員の合意、か」ユリオはページから視線を上げ、兵舎に集まった面々を見渡した。ロゼット、トマス、ハナ、そして、扉の影に寄り添う数人の下士たち。欠けているのは、司令の署名と、王宮側の公的な監督者のいないことだ。司令エドランの日課は夜遅くまで続く。彼をこの場の関係者として引き込むなら、格上の威光が必要になる。

「"関係者"の範囲をどう定めるかだよ」ロゼットが言う。「君はいつも、ここにいる人間たちを"関係者"として進めてきた。だが、司令がそれを認めるかどうかは別問題だ」

トマスが唾を飲む音を立てた。「だが、司令を巻き込んだら……我々はここにいられなくなるかもしれない。いや、そうなれば、逆に彼が全部を揉み消すだろう」

ユリオは写本の頁の一角に手を滑らせた。そこに修繕で浮かび上がった文字は、存在の足音のように彼らの耳に触れる。「王女は不均衡な選択を強いられていた」――前の解釈を覆す一節は、声に出されることで効力を持つ。だが、効力は同時に代償を伴う。彼は自分の胸の中にある小さな箱を取り出した。父から譲られた木箱で、蓋には細かい彫りがある。箱の中には、小さな木の六面体が一つ。面にはかつての彼の選択肢が刻まれていた:領地の継承、軍務の継続、婚姻の自由、修道入門、国外亡命、そして……まだ二つ、淡い刻みが残っている。

「これを使うたびに、面の一つが削られる」ユリオは指先で木片を転がす。表面が滑る。前に使ったとき、婚姻の面は既に鈍くなっている。写真のように、心に描いていた一つの未来の扉が閉じられた後、ユリオはそれを確かめるために、小さな問いを浮かべてみた。近々、侯爵家の令嬢が顔見世に臨み、彼に近づく可能性があるという噂。以前の彼なら、心にある誰かを思い描いて微笑むことができただろう。だが、その扉はもう、幾分か錆びついていた。彼が思い浮かべると、そこはいつの間にか灰色に塗られている。

ハナの声がまた入る。彼女は静かだが、今夜はその手が強かった。「ユリオさん、これを公にするかどうかを決める前に、あなたは何を失っても構わないのか、正直に言ってください」

彼女の問いに、場が静まる。蝋の先で小さな滴が落ち、鉄の音と似た高い音が横切った。ユリオは木片をぎゅっと握った。彼が選択を削るとき、その代価は抽象的な語りでなく、身体的に現れる。前回誓ったとき、彼は夜明けに目覚めて、密かに覚えていたはずの一つの夢の詳細を思い出せなくなった。具体的な顔、笑い声の一節、手の匂い。消えたものは取り戻せない。今はそれがどう具現化するか、彼は怖さと共に知っている。

「王女を探すために、私は何かを失う」ユリオは低く言った。「前回、私は婚姻の一つを手放した。あれは、君たちには見せられないほど個人的なものだった。だが、もし今、公にしてこの写本を読み替えるなら、また一つ、私から奪われるだろう。だが、それを差し出すのは、誰かの代わりにはならない。――私の意思だ」

ロゼットの眉が跳ねる。「その"差し出す"というのは、君が自ら選ぶの? それとも、使い方によって強制的に還元されるの?」

「自ら選ぶつもりだ」ユリオは答えた。「この術は不可逆だ。儀を行った瞬間、何かが消える。だが、私がその何かを選び、ここに契約として記すことができる。そうすれば、誰かに奪われるよりは、自分の意志で払うことができる」

ハナは黙って微笑んだ。それは、糊跡を拭うときに見せる疲れた安堵の微笑だった。「それは……勇気ですね」

トマスが舌打ちする。「勇気だって? それで君が領地を放り出しても、俺たちは守られないぞ。公にしたら、司令が怒り狂う。彼は歴史を守る男だ。彼が"関係者"に入らない限り、これが法的根拠を持つかどうかは疑わしい」

「その点をどう判断するかが、今夜の問いだ」ユリオは頁を閉じ、蝋燭の火を見つめた。火の揺らぎのなか、彼の心には小さな灯がともる。彼は木片をもう一度見る。六面のうち、今残る面は四つ。使えば三つ、二つと減っていく。どれを残して、どれを手放すか。家督、軍籍、国外逃避、宗教的選択――どれを犠牲にすれば、王女を見つけるための道が拓けるのか。

「私は――家督の権利を放棄します」ユリオは言った。声に震えはない。だが、その一言を言い終えた瞬間、胸の奥で何かが金属音のように擦れた。木片を手にした指先が冷たくなり、箱の蓋が一拍遅れて閉まる。窓の外、遠くで飼い馬が鼻を鳴らしたような悲鳴が聞こえた。

ロゼットの顔色が変わる。「そんな……!」

「君は本気か」トマスの声は低く、しかも切迫していた。「領地を放棄するってことは、お前たちの背後の盾がなくなるってことだぞ。王家と貴族たちがそれを知ったら、利用されるだけだ」

ユリオは両手を膝の上に置き、静かに首を振った。「分かっている。だが、家督を持つことは、私を縛る。王女を探すのに、私の立場が足枷になるなら、それを外す。私が個人として動けば、誰かの敷いた脚綱に引かれずに動ける」

ハナが小さく息を吐いた。「あなたの選択は、私たちのやり方に影響を与える。でも、あなたがそれを自分で決めるなら……私たちは――」

「従う」ロゼットが言った。言葉は短く、しかし鉄の刃のように研がれていた。「私は君の副長として、その判断を尊重する。だが、君が自由になる分、私たちもより多くの危険を負う。覚悟しておけ」

トマスは拳を握り、しばらく黙っていた。彼の顎の動きが見えるだけだ。「仕方ねえ」ようやく吐いた。「だが、書物を読み替えるなら、ここにい