図書館の悪役令嬢は大切な人に謝る 第8話「第7章」
窓から差し込む午前の陽光が、図書室の長い机と背表紙を金色に縁取った。紙と革の匂い、椅子がぎしりと鳴る音、人々の服擦れの低いざわめき。レイナは掌でテーブルの端をなで、深く息を吸った。今日は「討議の場」になると決めてから、初めての公開ワークショップだ。机の上には古い写本の複写、意見を書き留めるための木製タブレット、鉛筆に似た芯の硬い筆が並ぶ。人々の顔が列を作ると、図書室はいつもの静謐さを保ちながらも、まるで息を殺しているようだった。
窓から差し込む午前の陽光が、図書室の長い机と背表紙を金色に縁取った。紙と革の匂い、椅子がぎしりと鳴る音、人々の服擦れの低いざわめき。レイナは掌でテーブルの端をなで、深く息を吸った。今日は「討議の場」になると決めてから、初めての公開ワークショップだ。机の上には古い写本の複写、意見を書き留めるための木製タブレット、鉛筆に似た芯の硬い筆が並ぶ。人々の顔が列を作ると、図書室はいつもの静謐さを保ちながらも、まるで息を殺しているようだった。
「始めます。まず、ここにある条文の条項一三、〈婚約の強制〉について、当事者全員の意思で意味を読み替える提案を出します。どなたか、当事者のうちの一人がいらっしゃいますか?」
背後から小さな声がした。薄茶の髪を後ろで結った中年の女性が前に進み出る。目の端に疲労と、決意の光があった。
「リサです。私です。婚約させられそうになって──いいえ、させられました。相手は侯爵家の息子で、父が押し切ったものです。取り消したいの。どうすればいい?」
彼女の手は震えている。机の表面に伝わる微かな震動が、周りの人々にも伝播するようだった。レイナはリサの顔を見て、静かにうなずいた。能力の条件はいつでも彼女を縛る。『当事者全員の同意』を得ること。それは道具のように、鎖のように、レイナ自身のやり方を規定してきた。
「ここに座ってください。書類を読み上げます。読み替え案を書くのはリサさん、相手側の意思を示す代表がここにいるか確認します」
だが、会場の入口で黒い縁の公文書袋を抱えた中年の役人が割り込んできた。役人は皺の深い顔をしかめ、書類を誰に見せるでもなく掲げた。
「長官府からの通達だ。この場を以て、〈既定の手続きによる婚約履行〉を確認する。公共秩序のため、ここでの読み替えは差し止められる。」
役人の言葉には法の冷たさがあった。図書館の温度が一度下がる。人々の間で、小さな息遣いが漏れた。リサの肩が少し落ちる。
レイナは口を開く前に、自分の内側で何かがぶつかったのを感じた。誰かをその場から救うために、以前、彼女は力を一度だけ独りで振るったことがある――それが何を奪ったのかは、言葉にし難かった。だが、今日、彼女はきっぱりと拒んだ理由をはっきりさせたかった。
「差し止めの効力を遮るには、ここに明記された当事者の同意がない限り、私のやり方ではできません」レイナは低く、しかし確実な声で言った。「ここは討議の場です。規定を変えるかどうかを決めるのは、当事者です。長官府に戻ってください」
役人の目が針のようになった。「この者が言う権限を——」
「私に権限はありません。ですが、ここにいる皆の合意があるなら、解釈を提示できます」レイナは続けた。彼女の言葉は寒さを伴っていた。無理やり力を行使すれば、簡単に場面は覆せる。だがそのたびに、レイナは自分の選択肢が一つ、別の扉が閉ざされていくのを知っている。今日だけは――その代償を受け入れたくなかった。
そのとき、脇の入り口から大きな影が滑り込んできた。カイだった。鎧の揺らめき、油と皮革の匂いを引きずっている。彼の手には粗い紙束があった。兵の署名がぎっしり並ぶ署名簿。表情は疲れているが、眼差しは穏やかで、何かを決めてここへ来たという確信がにじんでいた。
「レイナ、これを見てくれ」カイは息を整えながら紙を差し出す。「兵たちが、非公式の慣例を問い直すための同意を示した。書面でなくとも、現場の意思だ。長官府に押し付けられたやり方を変えるために、自分たちで署名した」
紙には粗末なインクで、しかし真っ直ぐに書かれた名字と短い文言が並んでいる。ドレンという名の下の署名が複数、濃淡違いで色づいていた。公の場では無意味に見えるそれでも、一人一人の自発的な意思表明は、この場の重さを変えた。
長官府の役人は、しばらく黙ってそれを眺め、次にぐっと唇を噛んだ。周囲の空気がまた少しだけ変わる。人々の顔に、かすかな緊張のほかに希望が混じった。
ワークショップは、ただレイナがルールを吹き込む講義ではなかった。参加者同士が言葉を交わし、疑問を掘り下げ、当事者同士の同意を形成する場である。リサは侯爵家の代表が来ないことを嘆いた。しかしそこに座った若い使いの者が手を挙げ、自分が伝えると申し出る。彼は侯爵家の侍女の弟で、当事者の口を借りれるわけではないが、侯爵家に話す可能性があると述べた。会場はざわめき、二つ三つの声が重なって議論になった。レイナはその交錯を見守り、言葉の裂け目を埋めるべく、問いを投げる。
その間、マルチェは静かに一角の席に座っていた。彼は朝、重たい木箱を抱えて来たと聞いている。今、その箱から薄い冊子を取り出し、ゆっくりと端を開いた。そこには彼自身の名前で書かれた過去の記録、行った命令、傷つけた者の名――彼が隠していた事実が列挙されている。周囲の人は息を飲んだ。
「私は──これを、ずっと隠していました」マルチェの声は震えていたが、必死に堅く、その場を貫いた。「私にも選択がありました。選んで、誤りを正す機会を奪ってきた。今日は、それを直したい。証拠としてここに置きます。公開して、私も当事者として責任を取ります」
彼の決断が、図書室の空気をさらに変えた。誰かがためらっていた口を開き、別の誰かが小さく拍手をし、また別の誰かが目をそらした。マルチェの勇気は、リサの問いに新たな重さを与え、カイの署名に更なる正当性を与えた。
だが、長官府の手は簡単には緩まない。役人が最後の一枚の書類を出す。古文書の複写、王家の勅令の抜粋。そこには、裁定を下す「唯一の機関」として、王璽を有する宮廷が挙げられている。長官は低く言った。「ここでの読み替えを有効にするには、王璽の下す改定か、全ての当事者の文書による承認が必要だ。いずれかが欠ける限り——」
その「いずれか」が欠けている。侯爵家の代表の承認はない。王璽は遠い。ここで議論が止まるに見えた瞬間、レイナの胸に、かつての痛みがざわりと寄せた。彼女は手の中に、ポケットに入れてある小さな折り紙を見た。以前、力を独断で使ったとき、折り紙の一片が消えた。消えたというより、彼女の手から「選択」が一つ、揺らぎながら抜け落ちていったのだ。それは言語にできない感覚だが、確かにあった。彼女は、また同じことをしたくはなかった。
「私がすべてを決めることもできます」長官府の役人が冷たく言った。周囲は固まる。誰もが、強制の影を感じた。
レイナの指先がテーブルの表面を撫でる。掌に伝わる繊維のざらつきが、現実であることを確かめさせる。「でも、それをすれば、また一つ、何かを失います」彼女は静かに言った。言葉は、自分の胸に引っかかった痛みを表していたが、誰に向けてのものでもあった。「私のやり方は、『誰かの運命を一方的に決めない』という制約の上に成り立っています。もし私がそれを破れば、ここで得られる勝利は、私の他の選択肢を奪います。あなたたちの代わりに決めることは、私にとっても許されないはずです」
会場に沈黙が落ちた。リサの顔に涙が揺れた。マルチェは静かに頭を下げる。カイが怒りに震える代わりに、ゆっくり息を吐いた。
「では、我々がやるしかない」カイが低い声