卒業制作室で成績優秀な落第生は一緒に休むことを覚える 第16話「第14章」
蛍光灯が低く唸り、卒業制作室の空気は乾いた溶剤の匂いで満ちていた。夜十一時を回っているはずなのに、時計の針はぼんやりとしか進まない。白石透は、木製の小さな人体模型──彼と宮川結衣が共同で彫った掌大のフィギュアを、テーブルの端で転がしていた。指先は削り粉で白く、爪の下に粉が詰まっている。模型の腹に細い亀裂が入っているのを彼は見落としていた。亀裂は一度「早く形にしよう」と結衣と急いでやった夜に入ったものだ。二人とも、時間の圧に負けてくっつけた接合部だ。
蛍光灯が低く唸り、卒業制作室の空気は乾いた溶剤の匂いで満ちていた。夜十一時を回っているはずなのに、時計の針はぼんやりとしか進まない。白石透は、木製の小さな人体模型──彼と宮川結衣が共同で彫った掌大のフィギュアを、テーブルの端で転がしていた。指先は削り粉で白く、爪の下に粉が詰まっている。模型の腹に細い亀裂が入っているのを彼は見落としていた。亀裂は一度「早く形にしよう」と結衣と急いでやった夜に入ったものだ。二人とも、時間の圧に負けてくっつけた接合部だ。
「透、見てくれる?」結衣の声が、作業用のラジオからのノイズを切り裂いた。彼女は紙筒に巻いた新しいプレゼン用の図面を抱えて入ってきた。髪はインクで端が黒く、袖口には粘土が付いている。彼女の笑い方はいつもより緊張していた。
「うん……」透は模型をぽんとテーブルに置き、立ち上がる。足元で芹沢がドリルを止め、望月が手元のライトを調節した。水野はノートに何かを書き留めている。彼らはこの二週間、空き時間を削って集まり、互いの制作の時間を共同のものにしてきた。だが、ここ数日の焦燥で空気が擦れていた。
結衣は図面を広げ、プレゼンのリズムを口に出してみせた。言葉が台本のように整っている。みんなが頷く中で、透は無意識に自分の能力を動かした。共同制作物に残る「痕跡」を探る癖だ。模型に触れ、かつて結衣が夜中に囁いた言葉、笑い声、手の温度をたどろうとする。だが、その瞬間、模型の亀裂の線がくすみ、木目の色が一瞬浅くなった。透の頭を針のような痛みが刺し、視界の端に金属の味が立った。
「だいじょうぶ?」水野が顔を寄せる。透は手を離し、ゆっくりと深呼吸をした。能力を使いすぎるといつもこうなる。何かを「決めつけて」しまうと、その痕跡は消える。今は彼自身が、「結衣が私への好意をそこに刻んだ」と勝手に解釈し始めた瞬間だった。解釈は、痕跡を消す。消えた痕跡を取り戻そうとして無理に掘り起こせば、体が反応する。吐き気と眩暈と、どうしようもなく空っぽになる感覚。これが彼の代償だ。
「透、顔色が悪いよ。無理しないで」結衣が手を伸ばす。彼はその手を避けるように一歩引いた。避けるつもりではなかった。ただ、彼女の手が触れるだけで、彼の中で何かが「確定」してしまう気がしたのだ。確定は痕跡を閉ざす。だから彼は、確定するために触れたり、言葉を掴んだりすることをやめようとしている。だが、逃げることは共同制作を壊しかねない。
「試してみよう」と芹沢が言った。「急いで合評のつもりでプレゼンして、審査がどう反応するか。でも――」彼の言葉はそこで切れた。二日前に彼らがやった通し稽古を思い出していた。あのとき、全員で早回しにプレゼンを終わらせようとして、共同の大型オブジェが共鳴して一部が崩れ落ちた。接合部に無理な力がかかり、乾ききっていなかったパテが剥がれ、金属のフレームが軋んだ。破片が床に散り、結衣が泣きそうな顔でそれを見ていた。壊れた音は、彼ら全員の胸をよぎった。共同制作が「急ぐ」ことで壊れるという代償の生々しい証左だった。
「急いでもいいことはない」と望月が言う。「でも、教務の締め切りは待ってくれない」
その瞬間、部屋の扉が軽くノックされ、薄い紙の封筒が床の隙間に滑り込んだ。誰もが無言でそれを拾い上げた。表には学科長の印と、朱書きで「重要」の文字。透は封を切り、目を走らせる。文面は簡潔だった。卒業制作展の審査日程が一週間前倒しになる。学科長視察のため、外部審査員の都合で日程変更を余儀なくされる──。締め切りは、彼らの予定よりも短い。
空気が一瞬硬直する。結衣の顔色が蒼白になり、芹沢は紙を握る指を強くする。水野は舌打ちをした。望月だけは、眉をひそめて「なるほど……」と唸る。日程が前倒しになれば、彼らが「共同でゆっくり刻む」余裕は削られる。早めの審査は、制度が一方的に関係のテンポを決める象徴のように感じられた。
透は、その封筒を胸の高さで持ちながら、過去の合評の場面を映像のように再生した。合評室の蛍光灯、教授の眼鏡の反射、点数表が白いボードに貼られる瞬間、順番待ちの学生たちの息遣い、誰かが手を震わせながら説明する姿。細かな断片が次々と重なり、短いモンタージュになる。いつもそこには一つのリズムがあった──提出物が誰かの評価となり、評価が関係を固定化していくリズム。共同制作という形式そのものが、序列を作り出す装置として働いている。透はそれに気づいていたが、今、そこに身を置くと、すべてがつながって見えた。
スローモーションの中で、透はテーブルに手を置いた。先ほどまで触れようとしていた模型がそこにある。彼の掌が木に触れると、過去の運針のように、かつての会話や笑い声が脈打つように感じられる。しかし、そのまま「これは彼女の告白だ」と決めつけることもできた。決めつければ、見えたものは一瞬で消える。消えたら、彼はその欠落を埋めるためにもっと踏み込んでしまうだろう。そうすれば、結衣との共同制作も、グループの信頼関係も、亀裂の入った模型のように砕けるかもしれない。
透は、掌の力を抜いた。スローモーションが止まり、時間が普通に戻る。彼は息を吐いて、目を結衣に向けた。「みんなで決めよう。これを、俺一人の道具にしないって」
言葉は予想外に素っ気なかった。だが、その重みは室内に満ちた。結衣はその言葉を受け止め、頬をふくらませた。「どうするの、具合的には?」
透は小さな箱を取り出した。箱の中には、彼らがこれまで共同制作に使ってきた小さな印章が入っている。木の印は、それぞれの手の跡を模して彫られている。透は提案した。「これからは、共同で作るものにはこの印を刻む。刻むときは全員の同意、あるいはその場にいる代表がいること。俺が痕跡を読むときは、全員の了承を得る。つまり、読み取りは個人的利得のための秘密裏の手段にならないようにする。読み取りの結果は公開されるか、共同でどう扱うかを決めるんだ」
芹沢が腕を組んで考え込む。「それで、本当に制度と戦えるのか?」
「制度を壊すってより、制度に使われないようにするんだ」透は言葉を選んだ。「共同制作という形式が評価の餌になってきたのなら、その形式を取り戻す。評価を外側の裁断の道具にしないためのルールだ」
水野は鋭い目で彼を見た。「つまり、あなたの能力を使うときは、みんなの意思を介さないといけないってことか。ずいぶん手間だな」
「手間だが、それでいい」結衣が小さく笑った。「私は嫌だよ、透が勝手に私のことを読んで、あとでそれを基に自分の行動を決めるのは。嘘みたいな安心を求めてほしくない」
望月が鼻で笑った。「だが、外部の圧力は待ってくれない。教務が日程を変えた今、急いで形にしてしまえば、審査員を納得させることはできる。ルールは後で整えればいい――それが、今までのやり方だ」
透は立ち上がり、模型を指差した。亀裂がさらに目立つ。彼はその場で、自分の節を越える決断を迫られていると感じた。急ぐことで壊れるものがある。ゆっくり刻むことで守れるものがある。彼はどちらを選ぶかで、共同体の未来の一部を決めることになる。
「俺は、ルールを先に作る」と透は言った。「審査日が前倒しになっても、やり