水族館で結婚式を嫌うプランナーは故郷に帰る理由を探す

水族館で結婚式を嫌うプランナーは故郷に帰る理由を探す 第22話「第20章」

画面の青白い光が、部屋の顔を冷たく浮かび上がらせていた。パソコンの角ばった字列が流れて、スクロール音は低い波のように続く。凪は肩越しにそれを見ながら、コーヒーの残り香とプリンターから立ち上るインクの匂いを嗅いだ。手首にはまだ、昨夜折った和紙の折り鶴の紙粉が微かに残っている。

画面の青白い光が、部屋の顔を冷たく浮かび上がらせていた。パソコンの角ばった字列が流れて、スクロール音は低い波のように続く。凪は肩越しにそれを見ながら、コーヒーの残り香とプリンターから立ち上るインクの匂いを嗅いだ。手首にはまだ、昨夜折った和紙の折り鶴の紙粉が微かに残っている。

「これだけか」芹谷(せりたに)が指先で画面のログを押さえる。画面の中央には一連のトランザクションと、締結した『基準委外パートナー』の登録名が並んでいる。文字列の間に挟まれるタグは商業的な契約書式を示していた。周辺に張られた付箋の端が、少し剥がれている。

「可能性はある。だけどこれだけで裁定が覆るわけじゃない」灯子(とうこ)が腕組みをして椅子にもたれた。彼女はこの場で一番冷静に数字を見る。凪より年長で、計画の現実面をいつも押さえる役だった。

扉が開いて、小峰(こみね)が静かに入ってきた。彼は県庁の下請けだったが、芹谷のルートから口を割ってくれた内部協力者だ。目の下に影があり、制服の名札を胸ポケットにぎゅっと入れていた。手に薄い封筒を持っている。封筒は中身が硬い物だと主張するようにわずかに膨らんでいた。

「来てくれたんですね」凪は立ち上がり、無意識に手を伸ばして封筒を受け取ろうとした。そのとき、凪の掌に冷たい波が走る。能力の差し込み緒──誰かと何かを共同で作った物だけに痕跡が残る、あの感覚が皮膚の奥で囁いた。小峰と一緒に作れば、何かが見えるかもしれない。

「頼む。少しだけ時間をくれ」小峰の声は低かったが、確かな線があった。彼の指先がぎこちなく封筒を差し出す。凪は一呼吸置いて、それを受け取った。その紙の感触は、安物の封筒のざらつきと、誰かの汗の痕が混ざった匂いがした。

「共同で作る、ね」芹谷が念押しした。「条件は覚えてるだろう?決めつけたら見えなくなる。急がせると、共同が壊れる。今回は慎重にやる。強引に誘導はしない」

凪は静かに頷いた。能力のルールはいつだって冷たく、ひどく具体的だった。誰かの気持ちを『証明』する便利な道具にはなり得ない。もし自分の疑念を先に示せば、痕跡は黙り、手元に残るのは空虚だけだ。だがこの場に来たのは、まさにそれを確かめるためだった。

小峰はテーブルの端に座り、封筒を開けた。中には、一枚の白紙と小さなスタンプが入っていた。スタンプには明朝体で「AQUA-INDEX」と刻まれている。封筒を持っていた掌がわずかに震えた。

「これは、職場で回ってきた簡単な確認書だ。直接契約の本体じゃない。でも、これを作った人たちの感情が残ってないかと思って……」小峰は言葉をつまらせる。彼の視線が机の上の和紙の折り鶴へと落ちた。凪はふと、折り鶴を半分取り出して二つに広げると、芹谷に手を差し出した。

「一緒に折るか」凪が提案する。共同制作の原理は単純だ。物を作る過程で交わされる触れや言葉、ためらいが痕跡を刻む。だから三人で同じ紙を折ってみれば、何かが残るはずだ。

「ここで?」小峰がためらう。彼は監視の目を恐れていた。けれど芹谷が背中を押すように小さく笑った。「今日を逃したら、中に入るのはもっと難しくなるぞ。覚悟はあるか?」

小峰は唇をかみ、小さく頷いた。三人はテーブルを挟んで位置を整え、紙を折り始める。布団をめくるような指先の動き、息が合う瞬間。凪は意識を開いて、痕跡を探る。ただ見るのではない。見たいものを決めつけず、候補を抱えたままその物の中で浮かぶ粒子を拾う──それが鉄則だった。

だが途中で凪は気づいた。小峰の指が震え、彼が何か言おうとして唇を噛みしめた。芹谷は折り方を早め、やや力を込めた。凪は咄嗟に「ゆっくり」と囁いた。だがその一言が、相手に「これを急いで仕上げなければ」という圧をかけてしまった。三人の指先のリズムがずれ、紙の端がしわになった。

「まずいかもしれない」灯子が前に出て、腕を伸ばして紙を押さえた。そのとき、凪の目の前に一瞬、一枚の薄い影が走った。痕跡が、砕ける――。決めつけの気配を自分が発し、共同が壊れた。凪は喉の奥が冷たくなったのを感じた。

「ごめん……」凪の声は小石を飲み込んだように切れた。彼女は両手を紙から離した。紙はただの紙に戻る。痕跡の代わりに、空虚が残る。

だがその瞬間、別の痛みが凪を襲った。目の奥のどこかがズキズキと焼けるように痛み、次いで舌の先から消えた感覚が戻らない。凪は手を胸に当て、じっと息を整えた。いつもなら能力を使うたびに訪れる微かな代償──記憶の一片が失われる感覚だ。今回は、それが鮮烈だった。祖母の家の台所にあった、海の匂い混じりの藍色のタライの匂い。干潮の朝に濡れた砂を踏んだときのあの冷たさ。凪はそれが掴めなくなっていることに気づき、身体の中の空白に震えた。

「ちゃんとやれば良かったのに」芹谷は苛立ちを隠せない。小峰は震えながら頭を下げ、封筒をぎゅっと抱きしめた。灯子が代わりに話す。

「暴露は急げばいいってもんじゃない。今すぐ出したら、現場の人間がいちばん困るのは確実だ。裁定が制度側に有利に出たのは痛手だけど、裁定のプロセスで出てきたログは、まだ解釈の余地がある」

「解釈の余地、ね」凪は指先で空をなぞる。さっきの代償が爪先に冷たく残る。自分の能力を『武器』にすることの代価は、確かな物を失うことだった。失うのは他人の記憶ではない。自分の帰るべき場所の断片、守りたかった小さな感覚。凪はそれを取り戻す手段がないことを知っていた。

「小峰さん、あなたが持って来たデータ、そのタグの意味は?」芹谷が画面に指を伸ばす。AQUA-INDEX。凪はその文字列を視界の端に追った。裁定書の文言が頭に戻ってくる。商業提携が基準の一部を形成しているという可能性。だが、凪は単純な確定に飢えてはいなかった。先刻の失敗が、その欲求を砕いた。

小峰は震える声で言った。「これは直接の黒じゃない。だが、会議の出席者がAQUA-INDEXを参照している。契約番号じゃなくて、推薦ルールのテンプレートとして使われてる。……それを提案した部署の署名は、確かに外部の『展示企業』と交わしたものだ」

「展示企業っていうのは?」灯子が眉を寄せる。

「水族館の装飾とか、新しいウェディングコンテンツを作る業者だって。契約自体は下請けレベルで回ってて、表には出ない。でも、基準のマトリクスにそのテンプレートが紛れ込んでる」小峰は声を落とす。「ここに出ている日付、"AQUA-INDEX-07"。それは、二年前の改定が通った日付と一致します」

芹谷が指でログをなぞる。画面の中の数字が滲んで見えた。凪は思わず椅子の背を掴んだ。二年前──それは自分が都市を離れて水族館の企画から逃げた頃と重なる。水族館という光景が、ぎこちない笑顔とともに頭をよぎる。

「つまり、あの頃からこの構造は動いてた可能性がある。裁定が制度に傾いたのは、単なる偶然じゃない」芹谷の声は鋭かったが、その先には迷いも混じっていた。「でも、暴露したところで、現場の人間の雇用が切り捨てられるかもしれない。データだけで一気に仕掛けるのは賢くない」

凪はテーブルに手をつき、青白い光に自分の爪先が透けるのを見た。能力の代償がまだ胸の中を掻き回し