夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える
夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える 第8話「第7章」
会議室の蛍光灯が一つずつ消えていくと、部屋の空気が音を吸い込むように変わった。長机の縁に付いた紙屑、椅子のキャスターが残した白い擦り跡、そして窓の外から入ってくる、祭りの太鼓の練習音。扉は半開きで、廊下の話し声がふっと漏れているだけだった。
会議室の蛍光灯が一つずつ消えていくと、部屋の空気が音を吸い込むように変わった。長机の縁に付いた紙屑、椅子のキャスターが残した白い擦り跡、そして窓の外から入ってくる、祭りの太鼓の練習音。扉は半開きで、廊下の話し声がふっと漏れているだけだった。
高柳蓮は手のひらに温度を取り戻すためにこすりながら、会議室の隅に積まれた灯籠箱へ近づいた。紙の匂い、のりの乾いた匂い、少しだけスプレーした色彩の匂い。誰かが雑に置いた大きな和紙の灯籠がふたつ、重なっている。昼間は笑い声と針仕事で満ちていた場所が、今は冷え込んで見えた。
蓮は無意識に灯籠に触れた。指先が和紙に触れた瞬間、冷たさが手のひらへ流れ込み、小さな波紋のように身体の深いところへ響いた。その和紙の繊維の間で、ほんの一瞬、虹色の線が光った。細い糸のように、朱色から藍、淡い金へと滑っていく。光はすぐに薄れて、残るのはただの紙と彼の驚いた呼吸だけだった。
「蓮?」
桐生春斗の声が背後からした。副委員長は疲れた顔で扉を閉め、肩に掛けた鞄を下ろす。三島美乃里は彼の隣で、指先を見つめるようにして立っていた。二人の顔に浮かぶ影が、灯籠の上で落ち合う。
「まだいるのか。会議、もう終わったよ」
「うん……ちょっとだけ」
蓮は手を引っ込めた。指に残った微かな温度を、誰にも見られたくないもののようにしまい込む。灯籠を作ったのは美乃里のチームだ。彼女は手作り班のリーダーで、夜なべして桜の柄を描いていた。蓮は、その和紙に誰がどんな思いを折り込んだのか、なぜか覗きたくなってしまうことがある。代行の仕事は、他人の不器用な想いを形にする仕事だ。だが能力にはいつも、見えない縛りがついていた。
「流出の件、どうしよう」春斗が重い声で言う。「市役所の担当が来て、委員会の活動停止も検討って。責任の所在をはっきりさせろって……」
「被害に遭った人のプライバシーを守るのが先じゃないの?」美乃里は紙の匂いを深く吸って、ほんの少し震える手を隠した。「でも、外の圧力が強いと個人が盾にされる。誰かが誤解の中で潰されるのは嫌だよ」
蓮の胸が小さく、硬くなる。自分のせいで誰かが潰されたかもしれない——その思いが、彼の意識を突く。彼が介在した「共同制作物」にだけ感情の痕跡が残るという能力。それは誰かの傍らに寄り添うためのものだったはずだ。だがもしそれが、誰かに都合良く使われたり、証拠として加工されたりしたら――。
「これ、見てくれ」春斗が灯籠に手をかけ、紙を軽くめくる。和紙の裏側から、薄く折りたたんだ紙片が滑り落ちた。床に落ちる音が、会議室の静けさを割る。紙片は角が擦れて色褪せていて、小さな文字が乱れたように並んでいる。だが、その端に、やはり小さな虹が残っていた。淡く、指先で引けば消えてしまいそうな光の跡が、一瞬だけ紙片の表面で踊る。
美乃里が息を飲む。「それ……この前、蓮が避けるように触れたときに出てたのと同じ虹よ」
蓮の心臓が跳ねた。彼は反射的に手袋を外したままの指先を見つめた。指紋の溝に、さっきより僅かに明るさが残っている気がした。記憶が鋭く痛んだ。去年の夏、彼は初めてこの能力を使って、同僚の片想いを代行していた。二人で作った小さな千代紙の花、交換日記、それが相手の不器用な言葉を残す媒介となった。それが正しい形だと思っていた。だが、あのときも、虹は同じように光った。あの痕跡が、今回の流出とどう結びつくか――思考は凍りついた。
「蓮、説明できるか?」春斗が低く問う。問いは委任状のように重い。
言葉が口をついて出そうになる。だが彼は喉を詰まらせてしまった。説明が必要なのはわかる。だが説明によって誰かを晒してしまうかもしれない。蓮の内側で、かつて誰かに向けた優しさが、知らぬ間に刃に変わっている気がした。
彼は灯籠を取り、そっと和紙を掴んだ。確かめたいという衝動があった。共同制作物に残る痕跡は、指先でなぞると輪郭を整えることができる。だがその代わりに、確定的な「一つの解釈」へ自分を固定してしまう。蓮はそれを知っていた。だが今は、曖昧さが恐ろしかった。
彼はゆっくりと、紙片の上を指でなぞった。虹は一瞬だけ躍り、先ほどより濃く、細い線となって現れた。色が一つに集まり、朱の気配が強くなる。蓮はその色に引き寄せられた。朱は怒りか、それとも決意か。彼はその「意味」を確かめたくて、さらに力を込める。
そのとき、和紙の繊維にひびが入るような音がした。小さな裂け目ができ、紙の張りが一気に緩む。灯籠の綴じ目から糊が剥がれ、和紙の一片が床へ落ちた。裂けたところから、炭のような黒い細い線が広がる。彼が急いで関係を前に進めようとした瞬間、共同制作そのものが壊れたのだ。
「壊れた・・・」美乃里が唇を噛む。彼女の目には、怒りと悲しみが混じる。共同で育てたものを、無理に早く花開かせようとしたせいで枯らしてしまったような感覚が広がる。
蓮の視界がにじむ。目の前の光景が、一瞬遠のいた。触れた瞬間の高揚を追いすぎたせいで、彼は周囲の層を見落としていた。誰がどの色を足したのか、誰がどの言葉を折り込んだのか。彼は「これだ」と決めつけたことで、それ以外の声を聞けなくさせてしまった。能力が与える代償は、ただ一時的な視覚の歪みだけではない。誰かの意思を一方向に縛り、共同体の多音性を壊す危険があるのだ。
「蓮、落ち着け」春斗が無理に静かな声を出す。「壊れたものは直すしかない。だが、先にこれが何なのかを確かめるべきだ」
床に落ちた紙切れを拾い上げると、端に小さな文字が見えた。それは手書きの短いメモで、日付と時間、そして人名の略記があった。だが文字の横、ほんの小さな部分に、薄く押されたような印があった。一見すると祭の小さなシールのようにも見えるが、よく見るとそれは机の上に時々転がっていた、事務局用の「公式スタンプ」と同じ模様だった。
「これって……公式のスタンプだよね?」坂本透がスマホのライトを強めにして覗き込む。彼はIT担当で、指先が乾いている。その光の下で、紙の端の虹は再び微かに揺れた。だが今回の虹は、先ほど蓮の手元で見たものと明瞭に符合していた。色の重なり方、微細な光の走り方。美乃里がささやいた。
「蓮が触ったときの虹と、同じだ」
その言葉は会議室の空気を凍らせる。蓮は自分の掌の裏側を見た。心臓が喉元まで上がってくるように、鼓動が速くなった。もしこの痕跡が、外へ出た文書に残っていたとすれば、誰かがそれを手がかりにして責任の所在を決めることもできる。だが同時に、その痕跡は彼固有のものなのか、ある種の「共同」を示すものなのか、判別がつかなくなるときもある。誰かが意図的にそれを利用して、他人を追い詰めることもできる。
「ここまでくると、もう外に持ち出す前に調べるしかない」春斗が言った。「市役所には記録を見せるときに、ちゃんとした説明が必要だ。だが、俺たち自身で先に事実関係を整理しよう。誰も傷つけないために」
美乃里はその言葉を聞いて、うなずいた。誰にでも結果は同じに届く。だが「どう」届けるかは違う。蓮は、その「どう」に自分が関わっているかもしれない事実を、胸に重く抱えたまま息を吐いた。
「まずは証拠を集